人間の知識創造プロセスは『問題提起、知識収集、仮説生成、定性的・論理的モデリング、定量的モデリング、予測・シミュレーション』[JSAI 93]からなり、知識創造プロセスを支援する環境を構築するには『問題提起環境、知識収集システム、発想支援環境、大規模知識ベースシステム、大規模モデルベースシステム、大規模・複雑系シミュレータ』[KUNIFUJI 98]が必要である。
人間の創造的問題解決プロセスの第一ステップは「問題提起」である。ここでは、そもそも問題は何か明らかにすることから出発する。そこで、問題提起を支援するプレゼンテーション環境の構築が必要である。第二ステップは「知識収集」である。提起された問題に対して、関連知識を収集し、現状の分析(現状把握)を行う。はじめは内省的に自分自身の経験的記憶の思い出しから始め、ついで文献検索、データベース検索、インタビュー、現場調査などのあらゆる知識収集手段を通じて、与えられた問題の関連知識を分析する。そこで、大規模データベースシステムの利用、インターネットやスペースコラボを用いた経験知の知識収集が有用である。第三ステップは与えられた問題の本質追求による「仮説生成」である。知識収集を通じて得られた膨大な関連知識の奥に隠されている問題の本質を追求し、問題解決のための本質的仮説を読み取っていく。全てを説明する概念が形成されたとき、問題の本質にあたる仮説が形成されたと見なされる。このプロセスの中心は仮説の生成であり、発想支援システムの構築とそれを利用したユーザのひらめきが必要である。ここでは形式知のみならず暗黙知も総動員し、優れた経験に基づく直観が尊重される。
後半の3ステップは自然科学の方法論に則って、順次仮説を検証していくプロセスである。問題解決の第四ステップは「定性的・論理的モデリング」である。ある仮説を採択したら、定性的あるいは論理的にどのような帰結が得られるかを推論する。既存の知識ベースの知識を用いて定性的あるいは論理的に推論し、現実の世界でテスト可能な実験に落としていく。そこで、大規模知識ベースシステムなどの高度利用が考えられる。問題によっては、大規模・複雑すぎてあるいは時々刻々変化し再現性が保証できない。このような場合、第五ステップとして「定量的モデリング」が必要である。大規模・複雑系としてモデルを作成を支援するために、ノウハウ型知識を蓄積したモデルベースシステムの利用が考えられる。最後の第六ステップはモデリング結果を利用した「予測・シミュレーション」である。大規模・複雑系シミュレータあるいはスーパコンピュータの高度利用により、21世紀に派生する様々な問題(地球環境問題、南北問題、人口爆発問題、エネルギー問題、資源枯渇問題等)に対する各種代替案の国家を越えるアセスメントが可能となる。
以上の考えを図式化したのが図3.9-1[KUNIFUJI 98]で、それぞれのシステムの事例をまとめたのが表3.9-1である。この図3.9-1の一つのサイクルを循環することで問題解決のための新しい知識が創造される。大規模・複雑な問題になればなるほど、このサイクルが何回も螺旋階段的に遂行される。「仮説生成」プロセスで触れたように、知識には形式知と暗黙知[NONAKA 90]がある。従来から行われてきた研究は形式知を形式知に変換(連結化、結合)するツールの研究開発のみであった。これからの時代は、形式知を暗黙知に変換(内面化、刷り込み)するツール、暗黙知を形式知に変換(分節化、外在化)するツール、あるいは暗黙知を暗黙知のまま伝達(共同化、伝承)するツールの研究開発すら必要である。人工知能、マルチメディア、仮想現実感、ネットワーク、エージェントなどの技術を利用すれば、内面化支援ツール、分節化支援ツール、共同化支援ツールすら構築できるし、実際そのような研究開発の動きが「発想支援システム」の研究[JSAI 93, FUJITSU 91, KUNIFUJI 92, 93, SICE 94, 95a, 95b, 97, JSAI 96,97]として、この分野の若手研究者層に力強く台頭しつつある。
我々知的システム研究者にとって「なすべきことは余りに多き、なせしことが余りに少なき (セシル・ローズ) 」が研究開発の現状であるが、上記の知識創造プロセスの解明とそれに基づく世界レベルの知識創造環境が構築されれば、21世紀における宇宙船「地球」号の大規模・複雑系としての営存を保証し、新たなる知識創造社会の到来を告げる機縁となるであろう。
ここでは知識創造の前半の仮説生成(知識創造)プロセスである問題提起環境、知識収集システム、発想支援環境に係わる要素技術について述べる。後半の仮説検証のプロセスは、創造された仮説知識がどのようなレベルの知識かに応じてその検証の方法が異なっている。
人文科学・社会科学等の自然言語レベルのテンタティブな仮説の場合、厳密な意味での検証可能性の確認の手段はなく、代わりに説明可能性概念でその仮説の有効性を納得する。すなわち、その仮説が多くの事例を説明可能ならその仮説の尤もらしさが上がり、その有効性を納得する。その仮説が論理的知識の場合、知識ベースシステムを用いて論理的推論で検証するのが妥当である。定性的知識やモデル的知識の場合、それぞれ定性推論システム、モデルベースシステムを用いて検証するのが適切である。定量的知識の場合、解析可能な数理モデルがあればその数理モデルを解析するモデルベースシステムを用いて検証する。解析が困難でも、そのモデルをシミュレーションする大規模・複雑系シミュレータがあれば、統計的に予測・シミュレーション可能な場合もある。このように検証可能性のプロセスを如何に支援するかは、従来からある伝統的学問の方法論に委ねる必要がある。
問題あるいは課題を明らかにするプレゼンテーション環境は、暗黙知レベルでふと気にかかる曖昧模糊とした問題が、そもそも何かを抽出するための環境である。手書き入力可能なPDA、(野外・探検モードでの)モバイル端末、ウェラブルコンピュータ等の新しいデバイスを最大限に活用し、ブレインストーミング支援ツール、アウェアネス支援ツール、各種お絵描きツール等の発散的思考支援ツールを構築し、「新しい酒は新しい革袋に」の精神で、次世代のための問題提起(プレゼンテーション)環境を構築する必要がある。
知識収集の仕方もフィールドワーク経由、図書館あるいはデータベースから直接入手、インターネットや静止衛星経由など、様々な知識収集手段がある。その中で最も注目されるのは、KDD あるいはデータ(テキスト)マイニングと言われる大量のデータの中に埋もれている情報の中から何らかの規則性や仮説を発見する知識発見手法の利用である。従来は主としてキーワードからの部分照合によって如何に文字列を高速検索するかが問題だったのが、KDD あるいはデータマイニング手法を用いることによって、ある程度機械的に知識発見する手掛かりを得るようになった。これからの21世紀情報洪水時代に対処するためにも、各種情報フィルタリング機能を備えた知識収集システムを構築することが必要である。
個人あるいは集団の知的問題解決過程に則してインスピレーションを促す発想支援環境[JSAI 93, FUJITSU 91, KUNIFUJI92, 93, SICE 94, 95a, 95b, 97, JSAI 96, 97]は、主として収束的思考とアイデア結晶化を支援する機能からなる。上記、問題提起支援環境と知識収集支援システムを通じて、一般に膨大な知識がデータベースに蓄積される。このような膨大な知識を整理・統合する中で、問題あるいは課題の本質は何かを追求していく。例えば、頭の中のイメージの世界を2次元の計算機のディスプレー上に可視化し知識表現することで、しっかりした問題意識と専門知識をもつ人間は暗黙知を形式知に変換することが容易になることが期待される。すなわち彼らのインスピレーションが知的触発される。勿論、個々人は固定観点に捕らわれることが多いので、他の人々の観点から見直した知識の切断面をも表示・提供(例えば、可視化)することが、知の触媒作用を醸成する。発想支援グループウェアを用いた協創が最も期待されるプロセスであり、暗黙知から形式知を抽出する発想支援環境の構築が必要である。
マイケル・ポライニは知識を形式知と暗黙知に分け、源泉知から変換知への変換過程を次のように分類している。形式知を形式知や暗黙知に変換する過程をそれぞれ連結、内面化と呼び、暗黙知を形式知や暗黙知に変換する過程をそれぞれ分節化、共同と呼んでいる。従来の計算機(あるいは人工知能)で生まれた技術はこのカテゴリーでは連結のための技術であり、ニューロネットワークの技術は内面化の技術の一つである。発想支援グループウェアの技術はこのカテゴリーでは、まさに分節化や共同化を支援する技術であり、欧米においてはアウェアネス等の支援あるいは暗黙知の支援として研究が行われている。そこにおいては、マルチメディアグループウェア研究の一つとして、仮想現実感技術をも利用して、そこにその人が実際に存在するかのような、その人の持つ雰囲気、本音あるいは暗黙の気配が感性(あるいは暗黙知)として伝わる創発メディア環境をいかに構築するかが課題である。そのためにサイバースペース、バーチャルラボラトリ、バーチャルメトロポリタン等の様々なビッグプロジェクトが進行中である。ここではこのような問題意識から見て、優れたセンスと創造的コンセプトで世界をリードしている国内外の研究グループを紹介するに留める。
(1) GMD)Streitzグループ:協調作業を支援するインフラとして、建物の中に各種CSCWを埋め込んだルームウェア[STREITZ 98]や双方向臨場感通信システムDOLPHIN[STREITZ 94]を、GMD 内に実装し、未来会議を想定した応用領域で評価実験中である。建物自体にデジタルデバイスを埋め込むという発想が斬新である。
(2) MIT)石井グループ:Tangible Bits[ISHII 97]という革新的ユーザインタフェース体系とそれに基づく新しいインタフェースの研究開発を行っている。トランスボード、メタデスク、インタッチ、トライアングル、アンビエントメディア[WISNESKI 98]等の独創的 HCI を次々に具体化しつつあある。算盤のように手で触れることが出来るインターフェースが彼の独創的コンセプトで、いわば視覚・聴覚・触覚等の人間の5感全てを利用したインタフェースの研究開発を行っている。
(3) 慶大)岡田研究室:日本のアウェアネス研究の草分けで、アウェアネススペースを実現した大部屋仮想オフィス[HONDA 97]における脳波を利用したバイオフィードバックや各種臨場感通信システムの研究に見られる気配・本音の伝達といった多様かつ斬新な双方向グループウェアの研究開発を行っている。
(4) JAIST)國藤研究室:発散的思考支援ツール、収束的思考支援ツール、意思決定支援ツールの各種研究開発を行っており、国内外で最も系統的に発想支援グループウェアの研究開発を行っている。Web アウェアネスの提供[SICE 97]、ブレインストミーング支援環境の構築[SICE 97]、グループの合意形成を支援するグループナビゲータの構築[KATO 98]、組織知の流通促進を図るノウハウ支援ツールの研究[KADOWAKI 98]等は産業界からも注目されている。
人間中心知的システム(Human Centered Intelligent Systems)の研究開発動向を予測するには、ヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)の歴史に学ぶ必要がある。1980年代以前は HCI は技術中心の設計で、現状の技術に合わせて人間がコンピュータの操作法を習熟する必要があった。1980年代になって、コンピュータのパワーに余裕が生まれ、直接操作インタフェース等のユーザ中心の設計がなされるようになった。この勢いは1990年代になっても続いており、年配者、主婦、子供のユーザも操作のし易い初等的学習者にとって学び易いHCI となりつつある。それでは2000年代以降の HCI はどの様になるだろうか。人間中心に知的に設計された HCI は、実にこの時代のデファクトスタンダードになるのではないだろうか。これからは「揺り籠から墓場までコンピュータのお世話になる時代」である。「いつでも、どこでも、誰とでも」コミュニケーション、コンピューティングできる情報環境が次々と提供されるであろう。電脳時代の知の技法に注意し、次世代人間中心知的システム研究で取り上げるべき課題を提案すると、それは知識創造支援環境の構築ということになる。コンピュータの究極の進化形態は、人間の知的生産のツールである知識創造支援グループウェアを建築物を含むアーキテクチャの中に埋め込む事である。それらは将来的には、形式知のみならず暗黙知をも利用可能なアウェアネス支援環境の構築を提供しうる。我が国が協調と分散の時代である21世紀のリーディング国家になるには、新しい集団問題解決のツールである知識創造支援グループウェアの研究開発プロジェクトを、今直ぐにでも立ち上げなければならない。
<参考文献>