アメリカ合衆国の高度情報化戦略は、ブッシュ政権下でスタートしたHPCC(High Performance Computing and Communication)、クリントン政権下で提唱された国家情報基盤「情報スーパーハイウェイ」NII(National Information Infrastructure)、そして、世界情報基盤GII(Global Information Infrastructure)へと発展し、世界中を巻き込んで技術開発競争、情報基盤整備競争、そして、各国の情報産業の生き残りをかけた競争が展開されつつある。
このようなトレンドにおける情報基盤整備は「いつでも、どこでも」情報にアクセスすることを可能とするための通信基盤整備 FTTH(Fiber to the Home)と、ネットワーク上に大量の情報を蓄積し、提供するためのソフトウェア基盤技術の開発に主眼が置かれ、21世紀の初頭(2005年〜2015年)に製品化され、ビジネスの場や家庭に普及することを目標に進められている。
技術的な話題としてはインターネット上の分散データベースWWW(World Wide Web)やこれにアクセスするための種々のブラウザ、或いは、図書・書籍・ビデオ・音楽等のマルチメディアコンテンツそのものがデジタル化された電子図書館 Digital Library と、その情報提供サービス技術等、枚挙にいとまがない。また、ビジネスの分野では、マスメディア産業や電話産業入り乱れての、ケーブルネットワークやサテライト通信の(再)編成・組織化、ベンチャー企業によるデータベースサービスの隆盛など、活発な動きが報道されない日はない。
我国においても、急展開するアメリカ合衆国の影響を受けて、通信基盤整備やソフトウェア基盤整備のための様々な施策が通産省、郵政省、文部省等により行われており、また、民間の動きも活発である。
本稿でははじめに、このようなトレンドが目標としている21世紀初頭の社会を、「日本」的なコンテクストや事情という視点から検討し、「現在のトレンドでの技術開発が我々に何をもたらすのか?」「何をもたらさないのか?」を考察する。
人口動態予測によれば、2015年には我国の人口構成の高齢化と少子化がどの国よりも急速に進み、約4人に1人が65歳以上の高齢者となる。今後の10〜15年間には、我国は未だどの国も経験のしたことのないスピードで高齢化が進むのである。同時に地球環境の面からは、二酸化炭素の排出量の規制なども厳しくする必要があり、モノやエネルギーの大量生産、大量消費は、許されなくなると考えられる。
このような制約の下で、我国の社会が健全な成長を続け、日本列島に住む人たちの生活が成り立っていくためには、以下に示すような発想の転換、パラダイムシフトと、これを可能とする情報基盤技術開発が必要である。
以上のような分析から本稿では、誰でもが個人の経験・知識・年齢・嗜好・文化などの背景の違いによる壁を越えて情報基盤を利用できる情報環境として、人間中心型情報基盤 HCII(Human-centered Information Infrastructure)という概念を提唱したい。
このような情報基盤技術は、「高齢化先進国としてのやむを得ないコスト」ではなく、「高度情報化・高度高齢化社会に向けたチャンス」ととらえたい。「高齢化」に関しては、従来のような「アメリカ合衆国での技術シーズを我国に導入する」という図式が当てはまらない。なぜならば、アメリカ合衆国には今後の20年間、高齢化に対処するという社会的ニーズがないため、この分野の技術開発へのドライビングフォースが無いからである。その一方で、我国での技術開発、社会への提供と検証が、21世紀の世界の社会インフラ整備のお手本、すなわち、国際標準となりうるのである。
近年のマルチメディア技術、ネットワーク技術、インタフェース技術を含む情報技術の急速な発展にもかかわらず、最先進国のアメリカ合衆国を含めて、社会的・産業的に、次のような問題点が認められる。
このような問題点に対処しないままでは、多種多様な背景を持つ広範な利用者の側に、「情報機器」「情報サービス」への拒否感が定着すると共に、新産業の開拓や、既存産業の情報化を進める上でのボトルネックとなることは明白である。
上記のような問題点を技術面から抜本的に解決し、我国の情報関連産業の競争力の強化に結びつけるためには、以下のような技術が求められる。
本研究グループは、これらの技術開発により、情報機器・情報サービスの利用者層を拡大し、情報関連産業の裾野を大きく広げる意義をもつ。
人間中心型情報基盤 HCII は、人間と人間、人間と機械の間の情報授受でのコミュニケーションギャップを克服するものとも位置付けられる。ここで「コミュニケーション」とは、いわゆる伝送通信ではなく、人間と人間、人間と機械がメッセージを伝え合って相互作用するものを意味する。
2015年(Fiber to the Homeの時代)には、全ての家庭に光ファイバーが入るとされている。この時代までに、何時でも、誰でもが、どこからでも、世界中の人と(あるいは世界中の情報機器)と社会や文化の壁を超えてコミュニケーションできるようにするための確固とした情報基盤を実現することが、人間中心型情報基盤 HCII の将来の目標である(図3.8-1(c))。
では、従来どのような技術開発課題に取り組んできたか、また今後、新たにどのような技術開発課題に取り組んでいかなければならないかを考えよう(図3.8-1(a)〜(c))。
19世紀の電信や電話の発明以来、現在に至るまでの伝送通信の技術目標は、離れた場所の間の距離(空間的ギャップ)と、伝えられる情報量の制限の克服であった(図3.8-1(a))。
これらの課題は、現在に引き継がれ、マルチメディアデジタル統合技術等により、face-to-face の通信を実現しようとしている。今日のマルチメディア・マルチモーダルインタフェースの研究は、各メディアが伝えられる情報の性質上のギャップを克服するものとも位置付けられ、例えば、視覚や聴覚などで異なった障害を持つ方々のスムーズな通信にも威力を発揮しよう。
では現在から21世紀初頭に向けて、どのような技術が必要となるだろうか? face-to-faceの通信は、マルチメディア通信ではあっても、いわば「言いっ放し、伝えっ放し」の世界である。本来のコミュニケーションでは、相手に解かりやすいようにマルチメディアメッセージを伝え(相手は時として、計算機やロボットの場合もありうる)、また受け取ったマルチメディアメッセージから相手の意図を理解することが必要である(図3.8-1(b))。
例えば、経験・知識・年齢・嗜好・ライフスタイル等で個性の異なる人々の間で、主観による考え方の違い(主観的ギャップ)を越えて、コミュニケーションを成り立たせることが、次のステップとなろう。これらの課題は、現在から21世紀初頭へとつなぐ人間中心型情報基盤 HCII で、human-to-human のコミュニケーションを実現して行くことと位置付けられる。
このようにして実現されたコミュニケーション技術は、なお one-to-one のコミュニケーションである。これがFiber to the Home(FTTH)の時代以降に全世界的に展開していくためには、文化的なギャップを克服するための、社会文化的な視点をもカバーしうる情報技術が必要となろう(図3.8-1(c))。
"Human Centered"を、高度情報化時代の産業の「主力商品」の一つと考えられる「情報コンテンツ」の発信技術・提供技術とヒューマンインタフェース技術から検討すると、以下のような、我国の産業界に固有の問題点を指摘することができる。
現在、アメリカ合衆国で急速に技術開発が産業化に結びついているのは、個々の要素技術開発も、情報基盤整備のグランドデザインの中に位置付けられて進めているためと考えられる。「三つのC」それぞれが、新しい技術とそのビジネスへの適用に貪欲・積極的である。例えば、電子図書館Digital Libraryプロジェクトには、三舎が一体となってチームを作って研究開発を進めており、研究成果が、すぐにもフィールドで産業化に向けたテスト可能な体制を作り上げている。
1980年代よりDon Normann らによって「利用者中心のシステム設計」(User-centered System Design)が提唱されるようになり、基礎研究としては認知科学が発展し、現実のシステムではユーザインタフェース(特にグラフィカルユーザインタフェース)が大幅に改善されるようになった。
本節でははじめに、「利用者中心」の優れた点と限界を分析し、我々が目指すべき「人間中心」をどのように実現するかを考察しよう。
「利用者中心のシステム設計」の最も優れた点は、旧来のシステム設計の考え方が、計算機内部での個々の処理やトランザクションの速度や効率だけを問題にしていたのに対して、「生身の利用者が使う」上でトータルなスループットに関して速度や効率、安全性に注目した点である。このような発想の結果、例えばDOSのコマンドの利用を余儀なくされていた利用者は、windowsにより、コマンド名称やパラメータ列を正確に覚えていなくても、同等の処理が容易に行えるようになった。また、複雑なプラント施設の運転用モニタは、多数のメーターの監視盤から、運転状況の把握が容易なグラフィカルインタフェースに置き変わってきている。
その一方で、システムの利用目的や本質的な利用方法はあらかじめ定められている。すなわち「特定の情報機器・情報サービスの『利用者』に対して、どのようなインタフェースを提供するか?」が主要な課題であって、どの利用者も同じ目的意識で同じ使い方をすることが大前提である。
これに対して、「人間中心のシステム設計」の特長は、「利用者、一人ひとりは同じ経験・知識・年齢・嗜好・ライフスタイルではない」ことを前提に、一人ひとりに適応した機能・サービス・インタフェースを提供することに主眼を置いていることである。
これらの立場・考え方の違いを、データベースシステム技術を例に比較してみよう。
(a)「計算機中心」の段階
データベース管理システムは、計算機システムの基本ソフトウェアの一つとして、大量のデータを計算機の二次記憶内に効率的に格納することから出発した。従って、ファイルの物理構造や、実世界のデータ間の関係をファイルシステムにインプリメントする際の効率が最も重要(計算機中心)であった。
(b)「データ中心」の段階
データベース管理システムが期待されている役割は、計算機システムの構成はもとより、データの物理的な構造や、応用プログラム群とは独立にデータを管理することである。そのために、実世界、或いは、対象とするビジネスの場面での複雑な関係の記述を容易に行えることを重視し(データ中心)、これとその物理的な格納形式との対応関係などはシステムが自動的に管理する。
(c)「利用者中心」の段階
ビジネスの場面や実世界でのデータ間の複雑な論理構造を、計算機が理解できる形に翻訳して与えることは非常に難しい。従って、ユーザインタフェースをグラフィカルにして、ダイアグラムの描画でデータベースのスキーマ設計などを行っている。また、このようなダイアグラムがデータベースの視覚的な操作言語となるシステムもある。これは、明確な目的をもったデータベース管理システムの操作・運用を、その利用者やシステム管理者が理解しやすくするためのものである。
(d)そして「人間中心」の段階へ
一人ひとりの利用者の主観的・直感的な情報の判断・解釈の仕方や情報の表現・伝達の仕方(=一人ひとりは異なった個性を持った人間)にマッチした情報機器・情報サービスを提供するのが、人間中心の段階である。自分の好みのメタファーをヒューマンインタフェースとし、自分自身の経験・知識・嗜好を計算機システムに理解させて、自分独自の使い方を可能とする。
一人ひとりの利用者の主観的・直感的な情報の判断・解釈の仕方や情報の表現・伝達の仕方にマッチした情報機器・情報サービスを提供する基盤技術を確立するためには、以下のような技術課題に取り組む必要がある。
すなわち、マルチメディアコンテンツ(例:設計図面、イラスト、写真、動画など)で構成されたマルチメディアデータベースを素材に、
これらの技術課題をブレークダウンすると、以下のような独創的な技術開発や新規技術の開発が必要なことがわかる。
(1)独創的な技術開発課題
独創的な技術開発とは、従来は不可能と考えられていたことを可能にする技術開発で、また、その方法論を明らかにする技術開発である。これらは「新しいアイデア」を世に問う研究として位置付けらる。
(2)新規技術開発
様々な原理的な研究の成果を踏まえ、産業の場面で適用可能な新規技術の研究開発であり、いわば、可能性の幅を広げる技術開発である。これらは「頑健さ・処理能力」を世に問う研究として位置付けらる。
グローバルな波及効果としては、
また、我国の産業に固有の問題に対する波及効果としては、
結果として、情報機器・情報サービスは特殊な技能を持った人のものではなく、家電化し、あらゆる世代の人、あらゆる地域の人の、生活の一部として利用されるようになる。また、誰でもがコンテンツの発信者、誰でもがコンテンツの受信者となり、経験や文化の違いを超えて、世界の人々がコミュニケーションできるようになる。
その他、個人の感情、気持ちまでを踏まえたアンケート分析が可能となり、より精度の高い、調査分析環境が提供される。従来、定量的な調査分析が不可能であったリサーチャー、マーケッティング分野の拡大が期待される。
以下の節では通産省工業技術院産業科学技術研究開発制度で進められている「ヒューマンメディア」プロジェクトのサブテーマの一つ「感性エージェントとヒューマンメディアデータベース」を事例として取り上げて、「人間中心型情報基盤」の基盤技術開発の観点から整理する。
独創的な技術課題、新規技術開発課題を関連付けて図示すると、図3.8-2のようになろう。
(1)感性モデル化の基礎技術と感性検索への利用技術
典型的なコンテンツのカテゴリー(図案、自然画像、テクスチャ、家具等の立体物、オフィスなどの3次元空間)を対象に、複数の利用者の各人がそれぞれのコンテンツのカテゴリーに対して共通的あるいは個別的にもつ主観的評価尺度を、工学的にモデル化する。また、そのモデルに基づいた内容検索アルゴリズムを確立する。
(2)感性エージェント技術
評価尺度をモデル化するために、システムは利用者による入力機器の操作やサーバーの操作を定常的にモニタし、各人による評価尺度の違いを自動的に計測する。また、利用者による評価の事例が少なくて評価尺度のモデル化が難しい情報に関しては、利用者に能動的に問いかけて情報を補う。
また、クライアント側に評価尺度のモデル(これはプライバシー情報の一種)を置きつつ、データベースサーバー上で内容検索できるサーチエンジンのメカニズムを実現する。
(3)感性コーディネーション技術
検索すべき家具等の立体物やこれを並べるオフィスなどの3次元空間に関して、色彩や模様、形状などに制約条件のある場合に、検索された複数の立体物等が、全体として利用者の要求を満足させるように内容検索するアルゴリズムを開発する。
(4)内容検索可能なデータベース構成技術
データベースサーバー上に、複数の利用者がそれぞれの評価尺度のモデルをメタデータとして置き、様々なコンテンツのカテゴリを各自の評価尺度の工学的モデルに基づいて、内容検索できるサーチエンジンを実現する。
また、利用者が、統合的にクライアントの情報端末のインタフェースで操作して、壁材を扱う複数のサーバーや家具を扱うサーバーから、各サーバーのコンテンツ・内部仕様の違いを意識することなくコンテンツを検索できる、複合コンテンツ検索技術を開発する。
(5)多次元インタフェースの基礎技術
印象語などの概念語間、家具などのコンテンツ間、概念語とコンテンツ間の関係を、デザイナー等の利用者が空間的・直感的に観察し、理解できるように仮想空間上に展開して提示し、また、新たな分析を容易に行えるインタラクション機構を持ったインタフェースを開発する。
単なる光信号のセンシングのレベルから一歩踏み込んで、信号的に何らかのまとまりを感じて主観的に情報を取捨選択し、解釈するレベルでの人間の視覚感性を工学的にモデル化することを目的とする。
対象として幾何学的な模様などを含まないテクスチャ画像を選び、複雑な知識処理を介さないと考えられる段階での視覚情報処理過程を探る。そのために、テクスチャから計測される種々の画像特徴と人間(被験者)の示す主観的な評価尺度との関係を分析し、その間の相関関係・因果関係を求める。
具体例として、壁紙や床材などで利用されるフルカラーの人工的および自然テクスチャ画像に対する、視覚感性の工学的なモデルとこれに基づく処理アルゴリズムを開発する。印象語(ソフトな、暖かい、等)をキーとして、印象語でイメージされるようなテクスチャ画像を検索することを可能にする。
テクスチャ画像の分析は、1980年前後を中心に、精力的に取り組まれ、分析目的に応じて様々な物理的特徴量が考案、提案されてきた。物理的特徴量そのものに関しては、既に出尽くした感が強い。現在でも、画像の領域識別、領域分割等を目的として、取り組みが続いている。近年、Wavelet 変換によるテクスチャ画像の解析手法等が見られるが、その取り組みが本質的でなく、結果も従来より良いものとは言えないものである。
従って、主観的な評価尺度に合わせられるテクスチャ画像の解析と記述化を行う。どのような物理特徴量と、主観的な評価尺度の分析法を組合せた、頑健なアルゴリズムを構成するかがポイントとなる。
設計図面、図案、イラスト、写真(カラー、モノクロ)等の静止画、および、動画を対象に、利用者の提示する例示画に対して、類似の画像を検索するアルゴリズムを開発する。
類似の画像検索では、対象画像の構造にのみ依拠した画像特徴量を利用する場合、一人ひとりの利用者の主観的な評価尺度のモデル(視覚感性のモデル)を併用する場合の双方を可能とする。また、多様な画像特徴量の記述法の中から、対象とするコンテンツに最適な画像特徴量を選択するアルゴリズムも開発する。
感性検索技術は、以下のような部分問題に分割できる。
(a)画像特徴量の高度化
人の視覚特性を考慮して、画像からのパターンの切り出しや、画像比較時のパターンマッチングに対応した特徴量抽出を行い、より人間の感覚に近付いた類似画検索を可能とする。種々の画像特徴の数量化を試み、人の感覚に応じた尺度を再現するような画像特徴量の設計を行う。
(b)画像特徴量の統合
人間が様々な観点から類似度を判断している過程を工学的に実現するため、適切な画像特徴量を選択し、統合する方法についても開発する。コンテンツの種類によって、最適な画像特徴量の組合せを選択できるように、統合方法(画像特徴量の選択や統合の際の重み付け)を動的に変更する方法を導入する。
(c)画像特徴量の汎用化と類似検索への利用
対象とするコンテンツ(画像・映像)を一般化して、様々なカテゴリーの画像に適した類似検索を可能とする。また、カテゴリー間にまたがった類似検索を可能とする。そのために、カテゴリー別の画像特徴量の傾向を把握し、分類を行い、この結果に基づいて、頑健な工学的モデルと類似検索アルゴリズムを開発する。
オブジェクト指向関係データベース上に、視覚感性モデル化技術、感性検索技術や多次元インタフェース技術を含むソフトウェア群をデータベース管理システムの機能拡張として実装し、マルチメディアデータベースと感性モデルとの適合性や拡張可能性について、実証評価する。これは共通的なテストベッド、また、実証プロトタイプシステムのマルチメディアデータベースサーバーとして位置づけられる。
具体的には、工業デザインに関連する種々のカテゴリのコンテンツ(マルチメディアデータの形式で格納されている)を、それぞれの利用者毎にモデル化された主観的評価尺度に関するメタデータを用いて、データベースから検索する。また(多次元インタフェース技術とリンクさせて)検索の履歴や最終結果をその利用者の主観的評価尺度に応じて自動的に仮想空間内に配置し、より高度なインタラクションができることを目標とする。
より詳細には、以下の技術の研究開発を行う。
(a)マルチメディアコンテンツ向きのデータ型
種々のカテゴリのコンテンツの特徴を表現する物理特徴空間、一人ひとりの利用者の主観的評価尺度、これを反映した主観特徴空間等、マルチメディアコンテンツを対象とした主観的な内容検索に基本的に必要なマルチメディアデータを、オブジェクト指向関係データベース上に操作性良く格納するためのデータ構造、索引構造を開発する。
(b)拡張可能技術
多数の利用者の間でマルチメディアコンテンツは共有しながら、同時に、各自は自分の主観的基準のメタデータを利用してマルチメディアコンテンツを内容検索できる、主観的基準の多様性に対する拡張可能性を実現する。また、新しいカテゴリのマルチメディアコンテンツをデータベースシステムに導入する際に、既知のカテゴリの物理特徴空間等を利用して、半自動的に新しいデータ型を定義できる、コンテンツの多様性に対する拡張可能性を実現する。
(c)主観的評価基準の記述の統合
あいまいさの程度・確からしさや、要求を満たす度合いを、統合的なグラフィカルユーザインタフェースやアプリケーションプログラムインタフェースを通じて制御・指定しながら、主観的な評価基準に基づく「あいまい性」を伴う検索機能をオブジェクト指向関係データベース上に実現する。
工業デザイン関係等のコンテンツを素材(実世界)から高精度にデジタル化してマルチメディアデータベースに取り込むための技術、また、利用者に微細な変化や微妙な違いを正確に知覚できるように、デジタル化されたコンテンツを提示するための技術と位置づけられる。
具体的には、人間の初期視覚の性質に基づいた視覚モデルを高度化し、様々な強さの明暗の対比・色彩の対比のある画像を、自動的に、より明瞭にデジタル化し、また、提示するような画像変換技術を開発する。
また、カラー画像に対する心理学的知見に基づいて、これを工学的に利用可能な形にモデル化し、利用者(消費者)の主観的な嗜好・基準・目的に合わせて色彩の構成を動的かつ適応的に変更する技術を開発する。
実証プロトタイプでは、利用者(デザイナーや消費者)が常に接する部分である。利用者への情報の提示と、利用者からの情報の抽出に関して整理すると、次の2つのメカニズムの研究開発が必要である。
(a)利用者への情報の提示
印象語などの概念語間、家具などのコンテンツ間、概念語とコンテンツ間の関係を、デザイナー等の利用者が空間的・直感的に観察し、理解できるように仮想空間上に展開して提示するメカニズムを研究開発する。
例えば、仮想空間内に提示する個々のコンテンツの属性値に基づいた意味空間を生成し、利用者の感性モデルに応じてコンテンツもしくはそのアイコンを仮想空間内に表示する環境を提供する。仮想空間では、三次元に時間軸を加えたり、空間の構成中に新たな空間を作る機能等を実現し、コンテンツの属性値の多様性への対応を実現する。また、仮想空間のスケール、提示するコンテンツやアイコンのサイズ、距離等の量は、利用者の示す主観的基準に適応させる。アイコンについては、単体ではなく、グループとしても操作できる機能を用意する。
(b)利用者からの情報の抽出
仮想空間を利用したインタフェース上での利用者の自然な動作から意図を抽出し、マルチメディア情報の提示方法を変更したり、データベース操作を起動するためのメカニズムを研究開発する。
例えば、仮想空間内に提示された印象語などの概念語間、家具などのコンテンツ間、概念語とコンテンツ間の関係を、デザイナー等の利用者が空間的・直感的に観察できると同時に、新たな分析や検索を容易に起動できるインタラクション機構を持ったインタフェースを開発する。
多次元インタフェース技術の研究開発では、異なった背景を持つ利用者毎の感性モデルに適合したインタフェース構成ができるように、選択方式や表示方法等について複数の方式を設定し、複数の人間で共同体験可能な没入型大型三次元画像装置上での比較実験を行い、方式の評価を行う。
(1)自然画像を対象とした感性のモデル化、感性検索アルゴリズム
電子技術総合研究所では、フルカラー絵画を対象に、印象語などのあいまいな言語表現から、それにふさわしい絵画を自動検索するメカニズム(電子美術館)の研究開発を進めている。具体的には、絵画の色彩・配色の特徴と、これを鑑賞する人間が持つ主観的な解釈(印象)との相関関係に注目し、各利用者個人の解釈のモデルを統計的に構築して、印象語にふさわしい色使いの絵画の推定、また、ある絵画にふさわしい印象語表現の推定を行っている。
最近は、学習の精度の評価とこれを利用した段階的学習の制御アルゴリズムの研究を行っている。検索の試行毎に、追加学習を行うアルゴリズムを開発し、インタフェースに組み込んで実験を行った。検索結果が主観評価に合わない場合、利用者は主観的な表現をシステムにフィードバックする。システムは、その絵画が既学習であれば、その絵画に与えた主観的表現を置き換える。学習絵画でない場合は、これを新たに学習絵画に追加し、統合特徴空間を再構成する。
これにより、システムは段階的に一人一人の利用者の主観的評価基準を適合化できると共に、評価基準の経時変化にも柔軟に対応できる。またこのメカニズムは、平均的な利用者のモデルから、特定の利用者のモデルを利用者に負担無く構築するメカニズムとしても利用できると考えられる。
(2)画像メディアの多様化(3次元物体への拡張)
従来より、3次元物体の検索には超二次関数で物体の索引を記述する方法や、物体をOctreeで表現し検索する手法などがあるが、これらの方法だけでは主観的類似度が検索に反映されない。本研究では、多面体を構成している頂点に注目し、多面体を等間隔のセルに分割し、頂点密度分布を物理特徴ベクトルとして使用した。
物体間の主観的な類似度の尺度を学習するため、利用者に学習用の物体を提示し、類似度を回答してもらう。利用者の主観的評価基準を反映した空間を構成するため、本研究では、多次元尺度法を用いた。
実験では被験者から得られた学習物体の類似度から主観特徴空間を構成した。そして物理空間と主観空間の関係を求める際、重回帰分析で有意検定を行ない、物理空間と主観空間での対応づけが適切に行なわれるようにした。物体500個に対し、学習用物体は物理特徴のクラスタリングから選ばれた代表68個とした。主観特徴空間の次元数はストレスが収束し小さな値となる6次元とした。
(3)複合型情報提供サービス
電子技術総合研究所と(財)イメージ情報科学研究所では、利用者が個々のサーバーのデータベースの構造を知る必要なく、単一のインタフェースから複数のサーバーに検索質問を送り、また、それぞれからの回答を内容レベルで整理・統合して利用者に提示する複合型情報提供サービスを行うインタフェースエージェントMaxwellの研究を始めている。
現在は、主としてテキスト情報から構成された本のカタログサービスを例に、キーワードとタグを手掛りに内容レベルで整理・統合するアルゴリズムを試作している。
(4)フルカラー類似画像検索システム
電子技術総合研究所では、白黒の二値画像として記録された図形・ロゴを対象に、手書きスケッチから類似図形を検索する画像対話型の商標・意匠データベースTRADEMARKを開発した。オムロンは、この基本アルゴリズムを発展させて、カラー画像の印象を表す特徴量抽出技術を導入した類似画像検索システムの試作を行っている。これは、人間の視覚系のように、形状を知覚するチャネルと色彩を知覚するチャネルの、それぞれでの評価や統合的な評価の過程をシミュレーションし、複雑な対象の類似度をモデル化している。
(5)フルカラー画像の高精度提示技術
電子技術総合研究所では、初期視覚の神経生理学的現象の数理的なモデル化の研究を行っている。これは網膜の神経細胞の光受容機構である受容野細胞の機構に基づいており、主に側抑制機構に着目して、光受容レベルでのコントラスト調整機能と、心理物理量に関する一般則であるウェーバー則とを関連付けて初期視覚の光調整機能をモデル化したものである。
このアルゴリズムは、元々視覚感度の良好な、光のダイナミックレンジの中間部をある程度抑えながら、その分を明部および暗部に割当てることにより明部および暗部の視認性を向上させるものである。
凸版印刷は、この理論とアルゴリズムを発展させて、視覚特性のもう一つの強力な調節機能である明暗順応に注目し、側抑制と明暗順応を統合したモデルを構築し、また、アルゴリズム化を行った。大域的明度情報、中域的明度情報、局所的明度情報をそれぞれ相互作用させることにより、画像に適応的にコントラストと明るさを改善することが可能となった。
原画像 高精度変換結果
情報、特に様々な背景を持つ人々が利用することを前提とするようなソフトウェアシステムは、多様なコンセプトに基づき、多様なアプローチで様々にトライし、その中から自然淘汰的に優れたものが生き残るのが最近の傾向である。現在、世界を席捲しているUNIX、Macintosh、Windows 等の基本ソフトウェアは、いずれもこのような経過をたどって、広く使われる基盤技術となった。さらに、それら優秀なソフトウェアは、互いに他の利点を取り入れ、より優れたものに混血していくという形態も現われている。これにより、ソフトウェアシステムの進歩はハードウェアには無い競争形態を獲得し、その進化の早さも加速される傾向にある。
このような特徴をもつソフトウェアシステムに対し、通常の大型プロジェクトのように、最初に大掛かりな長期計画を立て、一つだけの最適なシステム作りを目指したとしても、技術や環境の急速な変化に対応し切れず、計画の終わり頃には無意味になるような危険があろう。
そもそもハードウェア開発のプロジェクトが、分析的、要素の積み上げで進められる理由は、特定のハードウェアの進歩を数少ない技術、数値目標(メトリックのある目標)に帰着できるからである。それを可能としているのは、対象とするハードウェアを作る物理的手段は最初から限定されており、その物理的構造の制約から、どのパラメータが目標達成に良好な感度をもつかを分析し、選ばれたパラメータの値を改善する努力を行う、というように筋道が物理的/物性的/構造的に与えられるというハードウェア特有の性格にあるといえよう。
これに対し、ソフトウェアシステムは、目標に対する物理的制約はほとんどない。どのような目標を設定するか、どのようなアプローチをとるか、どのような制約を想定するか等は、ひとえに研究者や開発者のアイデアとセンスにかかっている。
さらに、人間中心型情報基盤技術の研究開発は、人間との接点を持つことに大きな特徴がある。人間の利用者にとって新規で有用な情報システムの研究開発を目標としているのであるから、利用者達からのフィードバックを取り入れながら進めることが効果的である。その場合、最初から一つのシステム、一つのアプローチに絞ってしまったのでは、ほとんどフィードバックする余地がなくなってしまうであろう。いくつかの類似のプロトタイプシステム作成を並行して進め、その中から生まれてきたアイデアや比較的小さな単位の技術要素を用いてさらに、次の世代のプロトタイプシステムを計画作成する、というような進め方が効果的であろう。
情報技術の歴史を顧みると、優れた「技術」は良質な利用者達の協力の下に育てられてきている。人間中心型情報基盤技術の研究開発においては、まさにこの点に特に留意して推進することが重要と考える。プロジェクトを進める過程において、アイディアをプロトタイプシステムとしてまとめる努力をすることにより、新しいアイディアが利用する立場から評価を受けることとなり、利用者からの要望に応えうる成熟した技術へと成長・進化して行くことに期待したい。
取り組むべき実問題によって、具体的なアプローチが明確になる。ただし、実問題の設定に際して考慮すべき重要な観点は次の3つである。
3.8.4節で取り上げた「感性エージェントとヒューマンメディアデータベース」の研究開発の場合、どのような実証用プロトタイプシステムを試作しつつあるかを、「実問題」の具体例として紹介しよう。
人間中心型情報基盤技術の中核的な役割をはたすと考えられるヒューマンメディア技術の方法論・アルゴリズム・メカニズムの妥当性を評価するために、実証デモシステムを開発する。
実証デモシステム(図3.8-10参照)として、大型スクリーンを利用した簡易版の「ヒューマンメディアルーム」を開発する。この上に、工業デザイナーが消費者と共に、オフィス内で使用するオフィス家具、什器、家電製品をデザインし、また、天井・壁紙・絨毯・クロスと総合的にコーディネイトする過程を支援する、感性デザイン・コーディネイト支援システムを作成する。
また、より高精細でリアリティのある6面スクリーンで囲まれた空間(CAVIN)を利用した「ヒューマンメディアルーム」を開発し、感性デザイン・コーディネイト支援システムを作成する。
それぞれのアルゴリズムが機能していることを示すに必要な規模のデータを集積したデータベース、人数の利用者を対象に、待てる時間で、高い精度で主観的基準と一致した結果が出てくるプロトタイピングを行う。