わが国IT開発拠点の中国移転に関する調査
論点1:日本と中国の関係のシナリオ
中国の経済的・技術的発展が新たな市場を生み日本の経済・ソフトウェア産業界にプラスの効果をもたらすとの見方がある一方で、中国の台頭によって日本のソフトウェア産業界は市場を失い空洞化が一層進展するとの観測もある。
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日本のソフトウェア産業が中国への進出を深めることによって空洞化すると言う仮説を支持する声は少ない。理由は、中国でのソフトウェア開発には以下のような問題点があるためどの企業にも簡単にできると言う訳ではなく、その結果、中国での開発が日本のソフトウェア産業界で支配的な傾向になる可能性が少ないからと言う論拠である。
・文化的な相違。仕様書にすべての情報を明示することは現実的には不可能であり、記述されていない部分の解釈には自由度があるため、文化を異にする日中間で食い違い、これが原因となって発生するトラブルが多い。
・コミュニケーションの困難さ。言語の問題は当然としてビジネス慣行の相違もある。日本で学生時代を過ごし、あるいは業務経験がある中国人技術者がプロジェクトチームに含まれていることが望ましいが、さもなければ一定の期間をかけて教育する必要がある。
・品質に対する認識。中国人技術者の品質意識はまだ低い。日本と同様のテスト環境が用意できにくいことも問題。
・機密保持の問題。日本の発注者の中には、中国への再委託によって知的財産権が流出する恐れを抱く人々もおり、中国への委託を躊躇することも少なくない。
上の指摘は基本的には日本がソフトウェア設計開発の上流部分を担当し、それを受けて中国側が開発を行うことを前提にしている。言い換えると日本のソフトウェア産業が国内市場を対象にしているケースを想定しており、その限りでは中国は大きな脅威にはならないことを意味している。したがって、中国あるいは世界を対象にしたマーケットで日本と中国のソフトウェア産業が競合し、その際に両国の力関係がどのような構造になると想定されるかと言う問題設定は現時点では両国の関係者の意識には顕在化していない。こうした環境変化があり得るかどうかは推測の域を出ない。しかし後述するように日本のソフトウェア産業界の現状から推し量ると、国際展開の結果として中国と覇権を争うような事態の可能性が非常に高いとは考えられず、逆にそのことがより大きな問題と指摘することもできる。
一方、別の意味で日本のソフトウェア産業の空洞化についての懸念を表明する見解がある。それは、単純なソフトウェア開発に限ればコスト低減の要請が決定的な要素であるため、そうした業務が中国などに流れる傾向はさらに続くと考えられ、それによって日本のソフトウェア産業で初歩的なプログラミングを経験する機会が少なくなり、技術者の育成の観点で問題を生じる可能性があると言う指摘である。すなわち「プログラミングを知らないソフトウェア技術者」が生まれ、「生産能力を欠いた製造業」と同様の問題を抱え込む可能性が高まる。
また、ソフトウェア産業に対する日本国内の発注者企業の海外移転が進み、これら海外移転した日本企業が現地のソフトウェア企業に発注する方策を取ることによって、国内のソフトウェア産業のプロジェクト機会が減少することによる影響も憂慮すべき問題と考えられる。
日本のソフトウェア産業の中国進出による国内ソフトウェア産業界の空洞化への懸念と言う問題は、当初設定された問題の枠組み自身の範囲では杞憂に終わるとの認識が支配的であるが、この問題設定の周辺には別の重要な課題があることが明らかになったと言える。
論点2:中国市場の可能性
日本のソフトウェア産業は中国の経済発展による市場拡大で恩恵を受けることができるとの期待があるが、別の見方として、中国の市場や商慣行はまだ十分に国際的なレベルに到達しておらず、また物価の面からも市場としての中国には当分期待が持てないとの悲観的見解もある。
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全体的に中国を市場と認識している日本企業は少ない。潜在的な市場と考えている企業にしても、実際に市場として期待できる時期はまだ読めていない。中国でのソフトウェア事業の市場をパッケージ販売と受託開発に分けて考えると、パッケージ販売は違法コピーされないで商品を流通させるためには数百円程度にまで価格を抑えなければならずまったく収益が出ない。ハードウェアにバンドルして販売する戦略も考えられるがこの場合にはさらに1桁価格が抑制されるため、知名度を上げる程度の意味しかない。
一方、受託開発で日本企業に可能性があるとすれば国営企業であるとの認識を示す企業もあるが、まだビジネスに至っておらず、当面はそれに向けた意欲もほとんど無いかに見える。原因は金額的な格差の問題が大きいが、さらにこれまで日本の民間市場で培ったソフトウェア開発のノウハウが活用できないとの認識も手伝っている。確かに日本の民間企業と中国政府とでは業務プロセスがまったく異なると考えられる。この他、リスク回避の観点から中国国営企業の業務受託を躊躇する見解もある。
一方、中国の企業は自国を最大のマーケットと認識しており、日本市場を向いている企業は部分的にはあるものの、それが全般的傾向とは言えない。日本から中国へのソフトウェア発注が増えることによって日本側が抱く空洞化への危惧は、多くの中国側関係者にとってはいささか的外れな八つ当たり的な訴えに響くようである。中国は膨大な人口を背景に国内需要が爆発的に発展する前段階にあり、そのことへの対処がビジネス的にも社会的にも極めて重要であって、日本向け市場で部分的に収益を上げている企業があったとしてもそれはごく一部の傾向に過ぎないとの認識がある。中国は国を挙げて中国問題に腐心しており、日本が自らの都合で抱えるに至った日本のローカルな問題に重大な関心を寄せる人々は非常に少ない。
中国では多くの企業が勃興しつつあり、しかも市場経済に入って管理レベルが高くなりつつあることから企業向けソフトの需要は極めて多い。さらに先端的な分野の研究開発を行っているソフトウェア企業でも自国(現時点ではその一部だが、それでも規模は大きい)を第一の市場と考えているところがあるなど、中国が市場として立ち上がる時期は予想より早いと考えられる。この場合も中国全体を一国と考えるのではなく、地方ごとの特色にあわせた柔軟な対応が必要である。
中国が市場として発展した場合、きめ細かいモノ作りと言う日本人の価値観は中国市場に対しても競争力の源泉になるとの指摘がある。中国側の有力企業でも、日本との連携を求めているにも係わらず、そのリスクへの危惧あるいは日本側へのコネクション不足などから二の足を踏んでいるケースもある。中国側は自国に無い技術を求めており、それに応えることのできる日本のソフトウェア企業が中国への展開を実現することが切に期待される。
論点3:低コスト労働力の永続性
中国の競争力の源泉の一つである低賃金労働力は今後も継続するとの考え方が一般的であるが、既に北京や上海などではこの傾向は正しくないとの主張がある。低コスト労働力を求めて中国内陸部にさらに事業展開する傾向が進み、さらにはベトナムなどへの移転の可能性を指摘する声もある。
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日本企業の中国への発注の最大要因は低人件費である。逆に言えば、中国で低コストが実現できなければ、日本のプロジェクトが中国に発注されることにはならない。現にここ1年くらいのIT不況で中国やインド人技術者の代わりに社内の日本人を使って仕事をするようになりつつある、とのコメントを寄せる日本企業もある。人件費は中国国内でも確実に上昇しているため、日本企業からの発注が企業のみならず地域の経済にも少なからぬ影響を与える大連市などはこの問題に重大な関心を寄せている。
今のところは日中間のコミュニケーションコストなどを加えてもまだ国内開発より安いと考えている日本企業が多いが沿海部の人件費上昇によって早晩現在のビジネスモデルが成立しなくなると考える日本企業は内陸部に拠点を展開し始めている。この場合も豊富な人材があることを前提にすると西安あたりが限界と考えられている。
一方、中国企業側にも日本からの仕事がこのまま継続するかどうかについて危機感がある。現時点では日本の発注理由がコストのみであることを中国も認識しており、中国企業の過当競争状態の中でコスト競争力を維持するために上流工程分野に向かおうとする企業もある。設計や場合によっては要求仕様分析なども含むこういうプロジェクトはやはり日本滞在5年以上などのごく一部の中国人技術者にしか対応できないため、大きなマーケットになるかは疑問である。
単に低コストを追求すれば中国以外の国への展開もあり得ないことではないが、無尽蔵とも言える規模のしかも優秀な人材を提供できる国は他になく、日本からすると中国は貴重な良質の労働力供給源であることに変わりは無い。
論点4:ソフトウェア分野の研究開発力
現時点では日本から中国に委託している領域は比較的仕様が定まった部分の開発が主体であり日中間の技術レベルには一定の差があるとの認識がある。しかし、既に研究開発を中国に委託している企業もあり、膨大な人口と優秀な頭脳で中国は遠からず日本の技術力を凌駕するとの予測もある。
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中国の技術力は総体的に考えればまだ日本に及ばない。ソフトウェア開発の作法にしても洗練されておらず、「動けば良い」的なレベルで留まっていることや十分な検証がなされていないことも多い。インド人技術者が拡張性やアーキテクチャ的観点なども考慮してプログラムを書くのと対照的と指摘する声もある。しかしこの点に関しては日本人技術者の発注者能力に問題があるケースも少なくない。中国に限らず、日本がソフトウェアプロジェクトで外国と連携するためにはCMMやISOなどに則った標準的なソフトウェア開発プロセスを身につけなければならないとの指摘はよく聞かれるところである。もっとも、この点が言わば非関税障壁となって中国人技術者が日本市場へ十分に対応できず、結果として「論点1」で指摘したように中国での開発が大きくは広まらないために過度に日本のソフトウェア開発が中国に流れず、日本は空洞化を心配しなくて済むと言ういささか皮肉な状況もある。
日中の間のソフトウェア開発プロジェクトで発生する多くの問題の原因を、単に中国の技術レベルの低さに帰することは誤りで、日本側に原因があることもあれば、良し悪しの次元を超えて文化の相違に根ざす問題もある。
ただし、中国国内でも、自国が世界に対して競争力のある独自の技術を持たないことについて危機感を持つ層があることは確かである。中国の大学では、米国企業の資格制度のための授業を行うなどきわめて実践的な教育をしており、最新技術を用いたプログラミングなどの分野では日本と遜色が無いかそれを上回る程度の力を蓄えつつある。しかしその反面、基礎的な力やそれに関連する教育は十分とは言えない。
論点5:中国企業による日本進出
日本と中国の関係の多くは現時点では日本企業による中国への事業展開あるいは日本企業による中国人技術者の雇用である。しかし、中国資本による日本のベンチャーのM&Aや中国企業の日本進出傾向も加速している。
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中国企業による日本企業の買収の例はまだ少ない。しかしもともと投資や賭け事が好きな国民性なので、中国のベンチャーキャピタルが日本のソフト企業を買収するケースは今後増えていくであろう。日本の下請け企業で活路を中国に求めるケースも出始めている。自らの技術が残れば、外資であろうと、技術者を中国へ送ろうと構わないと考える経営者も多い。外資は買収しても基本的にマネジメントと日本のマーケットは日本にまかせるので、抵抗が少ないとの見解がある。
国際的なM&Aの背後にある事情は複雑である。たとえば、日本の中小企業で資金はないが、マーケットと技術力のある会社が中国の大手同業社と50%ずつ資本を出し合って会社を作り、そこが日本の会社を支配する形が出てきている。中国で安く製造したものを日本の会社を通して安価に売る、あるいは、日本の技術を利用して中国市場でも売ると言うパターンである。ソフトウェアではまだこういう例は少ない。
また、米国企業が日本の製造業を買収して、中国に移管するケースも出てきている。米国が資金を出して日本の優秀な技術を買い、中国に工場を作って安価で豊富な労働力を使って安くて良い製品を生産し、米国に供給するという構図である。こうした米国の投資グループには中国系米国人やユダヤ系米国人も多く、彼らとしては特に米国の国益を意識している訳ではなく、基本的には個人的な富の追求の結果と考えるべきであろう。ビジネスで成功を納める上で国境は決定的な要因にはならない。
日本ではソフトウェアに限らず、M&Aに対して十分な認識を持っている組織は極めて少ない。たとえば日本企業は意思決定があまりに遅すぎるとの指摘がある。M&Aではスピードが決定的に重要であるのに、リスク回避、責任回避、安全性重視のための社内根回しに時間を取られすぎた結果、後発の米国企業に先を越されてしまうケースもある。こうした状況から脱却するには経営者の意識改革が非常に重要である。
論点6:日本のソフトウェア産業の高付加価値型への展開
日本のソフトウェア産業では高付加価値型サービスで各企業がその力を競うような方向は残念ながら見られず、受託開発を中心として人件費コスト削減が唯一の競争力の源泉となっている。本質的にはこうした産業形態を改めてより高度で独自のサービスを各企業が展開する方向に向かわなければならない。
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日本が目指すべき方向は概ねこの路線であると考えられるが、具体的な道筋が見えていないことが問題である。基本ソフトは言うに及ばず、主だったミドルウェアやパッケージもそのほとんどが欧米の製品に依存しており、純粋なソフトウェア製品に限定すれば日本の活路は一向に見えない。
本報告書のテーマである中国との関連で言うなら、上の観点からしても、市場として成長し始めている中国に対して日本はもっと積極的に対応すべきであろう。その中から新たな市場を通して日本の技術や製品が有用性を発揮できる分野を見出すことができる可能性もある。中国企業にしても、中国市場への展開に備えて日本企業の助力を得たいと希望するところがあることは既に指摘したとおりである。
本調査の主題であった空洞化への恐れは、前述したように、中国から見ると日本のきわめてローカルな見方から発するコップの中の嵐的現象であり、巨大な国内市場への近未来の対応の必要性に迫られている中国ではほとんど一顧だにされていない問題と言っても過言ではない。現在の空洞化問題は日本のソフトウェア産業がその市場を自ら日本国内に限定してしまった上でなおかつそれを守ることができないとの自信のなさの表れでもある。
むしろ日本のソフトウェア産業は中国市場の発展を契機に自らも飛躍する方向に向かいたい。中国市場や世界の市場で中国人技術者と連携しあるいは競合して切磋琢磨する機会を得ることの必要性を自覚する必要があろう。その結果として日本の技術が中国市場あるいは世界市場で中国に破れて危機的状況に直面することがあるとすれば、その時こそソフトウェア産業の空洞化問題が現在の不定愁訴の域を越えて現実的な課題となる。現在の日本のソフトウェア産業は真の意味での空洞化を心配する以前の状態にとどまっていると認識すべきである。