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わが国IT開発拠点の中国移転に関する調査

2. 中国のソフトウェア産業の概況

 本章では中国におけるソフトウェア産業、IT産業の発展の経緯についてその概要をまとめる。本章の記述はいくつかの参考文献によっている(それらは本報告書の最後に「参考文献」として整理されている)。

2.1 経済改革・市場開放

 中国における経済の市場化の出発点は10年におよぶ文化大革命による政治・経済の大混乱からの回復と軌を一にしている。具体的には1978年の中国共産党11期3中全会での「4つの近代化」(近代農業、近代工業、近代国防、近代科学技術)の再確認に基づく「経済改革・対外開放」の決定による。
 以後、1986年6月の天安門事件によって経済成長率は一時マイナスになったが、改革・解放の方向性は変わらず、この20年にわたる経済改革・開放政策は中国経済に年平均10%の経済成長をもたらした。国民一人当たり実質消費額は3倍に増大し、さらに

・ 計画経済から市場経済への転換
・ 商品経済化と産業構造の高度化
・ 閉鎖経済から解放経済への転換
・ 軍需経済から民需経済への転換
・ 重工業から軽工業・電子情報産業

への転換をもたらした。

2.2 コンピュータ分野・ソフトウェア分野の産業政策

 中国の産業政策の基本は1953年から2000年までのあいだに9回実施された5カ年計画であるが、同時に国内外の状況変化に対応してさまざまな個別の政策が併行して実施された。

(1) 国産コンピュータ開発

 中国の国産コンピュータ開発の歴史は1956年の中国科学院計算機研究所設立にまでさかのぼる。当初は旧ソ連の技術導入によって国産コンピュータ開発が進められたが、その後の中ソ対立期間における米国機のコピー時代を経て現在に至っている。その間の主なエポックとして以下が挙げられる。

a. 748工程
 1974年にスタートした漢字情報処理システムの研究開発プロジェクト。これによってコンピュータの開発だけでなく、コンピュータの応用普及の技術(漢字コード、漢字識別、機械翻訳、人工知能など)が整備されるなど中国のコンピュータ技術に大きな変革をもたらした。

b. 科学技術発展8ヵ年計画
 1978年に発表された計画である。大型機の外国からの導入を決定すると同時に中小型コンピュータとマイクロコンピュータは国内開発を進めるとの方針が定められた。

c. 「863計画」
 1986年、鄧小平の指示のもと科学技術省の担当で開始された「863計画」は正式には「中国ハイテク研究開発計画」と呼ばれ、IT、バイオ、新材料、エネルギーなど8つの分野、20のテーマに関して全国100の大学、250の研究機関、数百社の企業の力を結集して研究開発が進められている。この計画によって、IT分野では1993年に初の大型コンピュータ「曙光1号」が発表され、続いて「曙光1000」、「曙光3000」などの並列スーパーコンピュータが開発されると共に、国産CPU「龍チップ」の完成を見た。

(2) ソフトウェア産業育成

 上に述べた政策が功を奏し、80年代に入って中国におけるコンピュータ生産は飛躍的に増大したがコンピュータ利用と言う観点では問題を抱えていた。利用技術の普及の遅れから、多数のコンピュータが放置され平均利用率は5~20%と言われていた。こうした状況を反映して、コンピュータ産業に「4重4軽」との反省がもたらされた。すなわち、

 ・ 本体重視・周辺機器軽視
 ・ ハード重視・ソフト軽視
 ・ 製造重視・サービス軽視
 ・ 生産重視・応用軽視

である。この反省に基づいて以下に掲げるいくつかの政策が実行された。

a. 中国軟件開発公司
 1980年にコンピュータ技術者不足解消のために中国計算機技術服務公司が設置され全国にトレーニングセンターなどが設けられた。さらに1984年には国策会社として「中国軟件開発公司」が設立され、以下の5つの目標が掲げられ実施された。

 ・ ソフトウェア技術発展のための政策研究と提案
 ・ ソフトウェア技術の研究開発と普及促進
 ・ 内外のソフトウェア技術の交流と協力への参加
 ・ ソフトウェア技術の研修・コンサル・評価
 ・ ソフトウェアの標準化と開発環境整備

b. 中国版シリコンバレー
 1980年、中国科学院の研究員がシリコンバレーを視察し、同様の「技術拡散モデル」を中国で発展させることを構想したことを契機に、北京郊外中関村に内外のコンピュータ、通信、ソフト企業を集めた中国版シリコンバレー建設が始まる。

c. ソフトウェアパーク
 1988年には「中国ハイテク産業指導計画」、いわゆる「火炬計画」が開始される。この政策は大学などの研究成果をハイテク産業に活用させることによって研究課題の設定と産業・市場との遊離を防ごうとの狙いに基づいて策定されたものである。この政策のもと、90年代に入って政府はソフトウェア産業育成のために主要都市に新技術産業開発区を建設し、外国企業の誘致、内外のソフト企業の集中による効率的なソフトウェア生産の実現につとめた。これがソフトウェアパークで、主なものとして、瀋陽の東大、山東省の斉魯、湖南の創智、四川の拓普の4大ソフトウェアパークが有名であるが、「火炬計画」全体としては10のソフトウェアパーク、56のハイテクパーク、33の留学生創業パークなどを含み、それぞれの地域と密接に結びついた形でハイテク研究成果の産業への転化を推進している。
 なお、1997年には戦略的基礎研究計画として「中国国家重点基礎研究発展計画」、略称「973計画」がスタートしている。

d. 中文平台技術委員会
 中国のソフトウェア企業には零細規模のものが多く人材不足、資金不足などで立ち後れ、結果として海外のソフトが大量に流入したのを受けて中国のソフト会社を集めて中国語ソフトの標準化を行うために「中文平台技術委員会」を1993年に設立した。

e. 紅旗Linux
 1999年には中国版「紅旗Linux」が中国科学院ソフトウェア研究所、北大方正電子公司、コンパック中国公司によって共同開発された。中国語の操作環境を提供している。

2.3 IT企業の急速な成長

 中国の国産パソコンメーカは1992年から始まった外国パソコンメーカの進出によって徐々に後退を余儀なくされた。しかし90年代後半になって国産メーカが伸び、聯想がトップシェアを奪回し現在に至っている。中国では、高価ではあるが性能と信頼性の高い海外ブランド機、性能や信頼性では劣るが安価な国産機との認識が定着していたが、最近では国産ブランド機が技術力の向上によって性能と信頼性を高めており、そのシェアを拡大した結果と考えられる。

 中国科学院は、2000年のレポートで、中国コンピュータ製造業の国際競争力の評価を行っており、大型機分野では生産能力が弱く、パソコン分野では外国との差が縮まっているもののチップなど心臓部は依然として輸入に依存しているなどの問題点を指摘している。

 一方ソフトウェアに関して、90年代初期において、中国にはソフトウェア企業はほとんど存在せず、大学と研究所が企業の情報化を担った。用友公司、金蝶公司などの現在の多くのソフトウェア開発企業は企業情報化のためのソフトウェア開発を出発点として80年代後期から90年代初期にかけて急速に発展したものである。

 上に述べたIT産業の勃興は中国の各地で展開されているが、とりわけ中関村を擁する北京周辺、上海および浦東を中心とする長江デルタ、深?、東莞周辺に広がる珠江デルタの3地域が際立った産業の集積力を発揮している点で注目に値する。3つの地域はIT産業の中心地として独特の出自を有し、得意とする産業領域やビジネスモデルも異なっている。

(1) 北京 -中関村-:ソフトウェア開発とネットビジネス

a. 中関村の歴史

表2-1 中関村の歴史
1980年
  • 中国科学院の研究員がシリコンバレーを視察し、同様の「技術拡散モデル」を中国で発展させることを構想
  • 中国科学院物理研究所の陳春先博士が、中国におけるシリコンバレー型発展を目指して先端技術発展センターを設立。後にここを母体に四通など4社が創業
1983年
  • 胡燿邦総書記ら、民営ハイテク企業を支持し、科学技術者の「下海」を奨励
  • 「科海新技術公司」(中国科学院、海淀区の共同出資。「二通二海」)
  • 「京海計算機機房技術開発公司」(中国科学院の技術者と海淀区協同組合)
1984年
  • 「四通公司」(中国科学院計算センターの研究者が四季青郷から2万人民元を借入れて創設)
  • 「信通電脳公司」(中国科学院計算研究所、科儀工場と海淀区農工商公司が創設)
1988年
  • 国務院がハイテク企業の税制優遇を謳う「北京市新技術産業開発試験区暫行条例(18条)」批准、公布
1990年代
  • 第二の創業時期。資本の株式化、技術の刷新、科学的管理の採用、資金調達の多元化、規模の拡大
1999年
  • 「中京中央国務院関于加強技術創新発展高科技実現産業化的決定」を発表し、民営ハイテク企業の発展を支持
(三菱総合研究所作成)

b. 特徴

① 「両不」国家の人事と財政からの資金提供は不要とする。
② 「四自」自ら資金調達し、組織を作り、経営し、利益も損失も引受ける体制

c. 課題

① 中関村が作り出した主な製品はソフトウェアの漢字化、レーザー写真植字システム。新技術の創造と言う観点では方正の電子出版システム、聯想のPC、長城のディスプレイ、四通と外資の共同開発によるICチップなどだが、基本的には中関村にある技術は情報産業の周辺技術にすぎず、独自の新技術を持つ特色ある製品が欠けている。
② 中関村のこれまでの発展は貿易(輸入したコンピュータ部品を組立て、販売し、利益を上げる)によるものであって、技術によるものとは言いがたく、技術的創造が必要とされる。
③ 科学技術と産業の結びつきが不十分
④ 市場化を進める改革が不十分
⑤ ベンチャーキャピタルの未成熟
⑥ ハードウェアや電子部品については世界との差が大きい。しかしソフトウェアではキャッチアップが可能
⑦ 創造型産業への転換

・ パーク内の集成型産業の規模拡大とパーク外の伝統産業の転換
・ WTO加盟による創造型産業の相対的劣勢
・ 人的資源。国内の人的資源供給と国外の人的資源の導入
・ 環境システムの構築

d. 方向性

① 「外国の成功経験を参考にし、市場ニーズをキャッチし、技術創造を原動力とする科学教育立国戦略を推進し、総合的な改革の試験区、インキュベータや全国への波及の基地、起業家の育成基地、2010年までに世界一流のハイテクパークを目指す」との目標を掲げており、その意味で「巨人とともに行く」がスローガン
② 重層的な人材活性化メカニズム
③ 金融バックアップシステム
④ 金融・法律・各種情報など創業のソフト面での環境整備

(2) 長江デルタ(上海、浦東):ハードウェアとソフトウェアの生産拠点

a. 歴史

① 1980年代に広東省と福建省などの華南地域で経済改革と対外開放が始まる。
② 90年代になって上海など長江流域の開発が始まる。
③ 現在、後発の長江デルタ地域は先発である珠江デルタを上回る勢いで、台湾に限らず世界中のIT産業を誘致して発展している。長江デルタは珠江デルタよりレベルの高いIT産業の生産基地になりつつある。

b. 優位性

① 上海の開放性
② すべての産業が揃っており既存の産業基盤を活用できること
③ 技術開発力が高く人材豊富。40の全日制大学と専門学校、160万人の技術者を擁している。
④ 中国国内の一大消費市場であり、国内向け販売拠点の理想的な場所
⑤ 上海港がありロジスティックの便が良い。
⑥ 国レベルの経済開発区、ハイテク工業団地があり優遇措置を享受できる。珠江デルタは台湾企業が自然に集積したものであり、地元政府の規定外の優遇措置などで便宜的対応をしている部分もあるが、長江デルタ地区は合目的に実施しており、余分な出費も少ない。

c. 特徴

① 半導体製造
② PC部品と周辺機器
③ ノートブックPC
④ 人材と技術開発能力の観点では北京にも優る。

d. 人材育成策

① 海外留学生の争奪戦

北京、深圳と三つ巴で激しい争奪戦を展開中

② ベンチャー育成制度

「留学生創業資金」、「浦東科技創業自主資金」、「天使基金」などの資金提供。
「留学生創業園」、「留学生創業楼」、「留学生企業孵化楼」などで事務、人材交流、銀行業務などを支

③ 人材交流

研究施設の一体化、海外との学術交流

④ 生活面の支援

住宅の提供など

(3) 珠江デルタ(深圳、東莞):PCおよびその周辺機器の生産(輸出志向の安い製品)

a. 歴史

① 珠江デルタ地区のIT産業の集積は1980年代の香港の電子企業の生産移転に始まり、日本、韓国、欧米のメーカの現地生産へと展開
② 1990年代、対中間接投資の解禁に伴って台湾企業が珠江デルタに進出。現在約10,000社。今や「東莞と香港の高速道路が中断されれば、世界の70%のPC出荷が遅れる」状況

b. 東莞の優位性

① 優れた地理的条件

 ・ 香港に近く、輸出に便利

② 廉価かつ豊富な労働力

 ・ 東莞の戸籍人口は150万人、一方で実際の人口は6,700万人とも言われる。
 ・ 内陸からの若年出稼ぎ労働者の活用(手先器用、視力良い)で、低賃金で高い生産効率
 ・ 大量労働力で自動化機械への投資節約

③ IT産業の集積効果

 ・ PC生産に必要な部品の95%が調達可能

④ 生活環境

 ・ 「台湾企業の城下町」

⑤ 政策面の支援(長江デルタに比較すると場当たり的)

 ・ インフラ整備、優遇政策実施

c. 課題

① 労働集約的な部品生産と組み立て工程が主で技術レベル低い。
② 研究開発を現地で行わない。
③ このままでは、賃金コスト増大とともに他地域への移転可能性あり。

d. 方向性

① 製品の高付加価値化の追求

部品→周辺機器→中核製品→システム製品

② 国内有名大学を誘致して技術開発専門の団地設立計画。数校が進出決定

 以上のように各地域ごとの特色を生かした形でIT関連産業の振興が展開されているが、中国全土と言う観点で見ると跛行現象が目立ち、たとえば以下の3つのデジタルデバイドが存在している。

・ 先進国とのデジタルデバイド

インターネット普及率格差は1:143

・ 東部(沿海)と西部(内陸)のデジタルデバイド

インターネット普及率6倍

・ 都市部と農村部のデジタルデバイド

同じく740倍

 また、ITの進展によって、短期的には輸出拡大、新規雇用創出が期待できるが、長期的にはIT革命が社会の不安定要素になり得るとの指摘もある。

 技術的に見ると、急成長を遂げている中国のIT産業ではあるが、欧米に比較して後発に位置している事実に変わりはなく、現時点では、蓄積された技術力に相当の差がある。たとえばIT関連特許の申請件数を見ると上位にランクされる外国企業と中国国内企業の間には圧倒的な差があり、これがそのまま中国企業が支払う多額の特許使用料へと転化されることになる。

 後述するように、これまで順調かつ急速に欧米の技術に対するキャッチアップを続けて来た中国のIT産業、ソフトウェア産業は、離陸寸前の膨大な中国国内市場への対応に際して単なるキャッチアップにとどまらず、独自技術の確立・育成による国際的競争力の強化と言う課題に直面しつつある。中国の情報化の特性は、

・ 技術開発風土としての「社会主義市場経済」
・ 中核システムとしての「産学協同」
・ 志向性としての「華人ネットワーク」

の3点に集約できるとの指摘がある(成沢広行「産研通信」No.51)。

・ 技術開発風土としての「和の精神」
・ 中核システムとしての「政府主導」
・ 志向性としての「縮み志向(高機能を繊細かつコンパクトにまとめあげる)」

を特性にするとされる日本(同)にはいずれもその真の意味を理解するのは容易では無いが、とりわけ日本が有していない特徴として華人ネットワークの力が今後の中国のIT産業の進展に際してキーポイントになると思える。

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