エグゼクティブ・サマリー
1990年代は、21世紀の情報化社会に向けた歩みの始まりとも言える10年であった。1980年代後半に至るまでは、数十年の歳月をかけて多様な種類のコンピュータが我々の生活を変えてきたが、今日、インターネットのユビキタスな利用が広がるに伴い、これまでに例を見ない劇的な変化が訪れるようになっている。今まさに、日常生活のあらゆる局面で一大変化の時期を迎えつつある。インターネットがもたらした最も重要な変革は、多分、新しいテクノロジーを育成・開発して行くやり方であろう。こうした変化の最先端には、生物学をはじめ、医学、材料科学、工学デザイン、コンピュータ科学に至るまで、多岐にわたる分野で蓄積してきた知識や経験をいかに産業部門で応用していくかという課題が存在する。さらに、インターネットは、特に新技術の生成を促進する場であるさまざまな分野の接点部分において、技術革新へと至る道筋に多大な変化をもたらした。本報告書では、以上の前提を背景として実施した調査に基づいて、明らかになった結果の検証と分析を行う。
調査の実施にあたって、まず米国内のIT関連分野で、最近実施されている研究開発イニシアチブの内部的仕組みを調べることにした。具体的には、次の3つのテーマを中心に調査する。
| (1) | 電子図書館(DL)および電子政府(Digital Government) |
| (2) | バイオテクノロジー |
| (3) | インフラストラクチャとツール |
この調査に際し、基本的な目標と目的をいくつか定めた中で、特に重要なポイントは、具体的なイニシアチブを着想するに至った戦略的な意図とその運用方法を探る点にある。さらに3つのイニシアチブと、これ以外のイニシアチブとの関係という観点から、個々のイニシアチブがどのような方法でどの程度相互作用し合うのか、また各プログラムの成果にどのような影響を与えるのかについても検証する。これらのイニシアチブはいずれも、既存分野と新興分野にまたがる多様なテクノロジーにかかわるため、今回の調査方針として、次の質問に対する答えをガイドラインに定めることにした。
以上の質問に対する答えを探る過程で、データの収集、プログラムの基礎となった資料の調査、Webサイトによる進捗状況のチェックといった作業を行った。さらに、各プログラムの策定と運用に関与した担当者(過去、現在を含めた関係者)を対象に個人的なインタビューも実施した。本報告書では基本的に、この調査結果と分析について考察する。具体的な分析に入る前に、まず調査の結果、明らかになった点について考察しておく。
技術革新に向けたネットワーク・パス
研究開発の世界では常に、技術革新が最優先の課題とされ、これが米国の投資政策を決定する上でも重要な役割を果たしてきた。産官の隔てなく、技術革新は現代社会の経済発展を支える基盤として捉えられている。これまで、政府支援型の研究プログラム、特に大規模なインフラストラクチャや設備を伴うプログラムは、米国の技術革新プロセスの面で重要な役割を果たしてきた。例えば、物理学や生物学に向けた大規模な実験設備を建設するには、多額の予算が必要とされる。さらに、期待される業績を上げるには、世界中から優れた研究者を集めなければならない。しかし、今、インターネットの普及によって、事実上あらゆる科学分野で研究のあり方が根本から変化しようとしている。大学、産業界、政府機関、そして一般国民の間を結び付ける情報網であるインターネットが、技術革新プロセスの実現に向けた新たな道筋を付けようとしている。
こうした新たな道を切り開き、幅広い普及を促したのは、インターネットに含まれる重要な要素によるものである。まず第一に、従来まではほとんど不可能とされていた次元で、時間と距離を越えた共同開発や協調作業が可能になった点である。この結果、個人や個別のチームのみでは成し得ないような作業に向けて、人材や物理的な資源を結合したグローバルなネットワークが形成される。第二に、インターネットに関連するテクノロジーによって、統合、相互運用、双方向性などに対応したツールの開発や利用が可能になった点である。ここでは、データ・フォーマット、通信モード、ヒューマン・インターフェイス、アクセス・プラットフォーム、プログラミング、ソフトウェア・システムなど、さまざまなテクノロジーの組み合わせが例として挙げられる。こうした各種ツールは、バイオテクノロジーやコンピューティング・テクノロジーなど、異なる技術の交わる共通部分を中心に扱った学際的な研究を支える強力な原動力となる。第三に、ネットワーク環境が、コンピューティングをはじめ、通信、コンテンツ(メディア)といった各業界の収束を促進した点である。この後詳しく検証するとおり、本報告書で調査の対象となった研究開発プログラムの原動力となり、方向性を決めているものが、この業界の収束の加速化である。
評価基準
全体を通じて、米国の3つの主要なイニシアチブを調べるにあたり、冒頭に挙げた前提条件は、調査結果を分析する上で大いに役立った。この調査では、5つの基準に従って、個々のイニシアチブに含まれる重要な要素と貢献度を検証すると同時に、イニシアチブ間の相互関係の分析を行った。
加速化するテクノロジーの収束と創造
取り上げた3つのテーマのいずれにおいても、古い技術、新しい技術、生まれつつある技術など、様々な技術が役割を果たしている。真っ先にあげられるのが、しばらく前から起きているコンピューティングと通信テクノロジーの収束という傾向である。この動きは、時間と距離を越えたデジタル・コンテンツの遍在的な利用をサポートするインターネットの普及によって、一段と加速している。次に、バイオテクノロジーの適用範囲を根本的に塗り替えるきっかけとなったコンピューティングと生物学の間で拡大する劇的な相互作用という点が挙げられる。それは、今やコンピューティングの将来に対して挑戦状を突き付けようとしている。
「社会資本」の形成と利用
研究者の個人的な生産性向上を図るためのツールや資源など、物理的な資本と同様に、「社会資本」も技術革新の実現を支える上で重要な要素となる。社会資本とは、社会の組織間に形成される特性、例えば相互の利益のために調整や連携といった作業を通じて形成するネットワーク、規範、信頼関係などのことを指す。例としては、インターネットの多様性から生まれた要素同士のパートナーシップや共有可能な資源(データ、特殊装置、大規模なインフラストラクチャ、人材などを含む)などである。
新たな「規模と範囲の経済」の実現
インターネット環境は、研究や技術開発のさまざまな局面で、規模の経済のあり方に根本的な変革をもたらすものである。コンピュータの処理速度やネットワークの帯域幅といったパラメータを通じて、システム・パフォーマンスの改善(すなわちハードウェア・コンポーネントの追加などによる)を追求する従来の考え方に対し、ネットワークで結合された環境では、不特定多数のユーザーへの対応や各種フォームのデータによるやり取りといった側面に関連する、まったく別のパラメータという観点から考えなければならない。まさに新しいタイプの「規模の経済」である。同様に、様々な科学領域間(生物学から材料科学)や表面的には異種の産業分野間(生物学からナノテクノロジー)に跨って、同じコンピュータ資源の下でより大きな経済的効果を実現する場合においても、この変化が当てはまる。
国内外/地域の資源の有効利用
民族国家の優位性は、今後もしばらくの間、続くものと思われる。国家の研究開発プログラムは、国益を中心に打ち立てるのが基本である。とは言え、規模の大きいプロジェクトや最先端の研究開発でコスト効果を追求するには、グローバルな規模のコラボレーション(協調作業)が不可欠になる。一方、文化や歴史に固有の地域的/局所的な投資(例えばデジタル・コンテンツあるいは言語インターフェイス)を行うことが、成功への最善の道になることもある。これらの資源を有効利用しながら、一定のレベルにバランスを保持することが、国家プログラムを管理する上で重要な要素となる。
産業界や社会とのつながり
この点は、多額の公的資金で支援されたプロジェクトでは常に重要視される基準となる。特に、経済的な影響という面では、奇跡と痛みの両方を併せ持つIT関連のプログラムの場合、その効果については慎重に評価する必要がある。すなわち知識の進歩がもたらす利点が、産業界や一般市民の領域にいかに迅速に生かされるかという観点から判断するということである。
調査結果
本報告書は、「電子図書館研究イニシアチブ」、「バイオテクノロジー・イニシアチブ」および「インフラストラクチャとツールのイニシアチブ」の3章で構成される。それぞれのイニシアチブを支える重要な要素、すなわち主な研究開発の活動、主な成果、技術と社会に対する影響、および将来の展望の観点から概説する。
1. 電子図書館研究イニシアチブ
このイニシアチブは、デジタルの世界における「図書館」の将来について1990年代の初めに米国政府が予測した展望を反映したものである。興味深いことに、ほぼ10年の歳月を経た今でもこの展望は妥当性を持っている。
デジタルの世界における「図書館」は:
イニシアチブの重要なポイント
電子図書館研究イニシアチブ (DLI)は、NSF(National Science Foundation:全米科学財団)が主導する複数機関(マルチエージェンシー)プログラムで、NASAやDARPA(米国国防総省高等研究計画局)といった機関が参加している。プログラムは、次の2つのフェーズで実施された。
フェーズ 1 (1994年〜1998年)は、電子図書館のビジョンを実現する上で必要なコア・テクノロジーへの対応に重点を置いていた。このフェーズでは、6つの産学共同コンソーシアムが政府機関からの助成金を得て、次世代の知識ネットワークに向けて、コンピューティング、通信、コンテンツ管理の各領域の共通部分に関するさまざまな技術上の問題点を調査した。調査の対象となったテクノロジーは次のとおりである。
音声/テキスト/画像処理技術を統合して、コンテンツによってビデオ資料を検索する技術;
多様な情報構造とユーザー・インターフェイスを管理する技術;
新しいソフトウェア・エージェントによって、遠隔地間での共同作業を可能・容易化する技術;
ユーザー中心の、スケーラブルな空間的広がりを持ったシステムを実現する技術;
分散した知識ネットワークに見られる異機種の問題と相互運用性に対応する技術;
複数の知識ドメインの規模に応じたデジタル貯蔵庫(リポジトリ)を構築する技術
フェーズ2(1998年〜2003年)では、新たに米国立医学図書館(National Library of Medicine)、議会図書館(Library of Congress)、および米国人文科学基金(National Endowment for Humanities)の政府機関が後援組織として加わったことにより、研究の目標と範囲が大幅に拡大した。この結果、プログラムの研究資源と活動範囲が拡大されることになった。プログラムの特性という意味では、純粋なテクノロジー主体のフェーズ1から、人間主体のシステムへと観点がシフトしたということである。フェーズ2の目標は、電子図書館のライフサイクル全体に関わる、以下のようなテーマを扱う研究プロジェクトを実施することにある。
フェーズ2のプログラムでは、国際コミュニティとの共同研究プロジェクトに着手するという側面が新たに加わった。結果として、ヨーロッパおよびアジアを合わせて、十数件のプロジェクトが、このイニシアチブに参加している。フェーズ2は、研究者や研究機関が集まる大規模なコミュニティの場を提供しつつ、現在も継続中である。
電子政府プログラムとの関係
「電子政府」は、電子図書館イニシアチブと技術的に関連を持ったNSFのプログラムで、電子図書館プログラムのフェーズ 2とほぼ同時期に開始された。その移行期間中において、フェーズ1が一定の成果を収めたため、フェーズ1の結果を「電子政府」プログラムのテストと構築のコンセプトに応用することが、時宜を得た妥当な政策であるとNSFの幹部は考えた。電子政府と電子図書館の研究には共通する課題が数多く存在する一方、専門の公共サービスとして設計する政府情報サービス固有の問題についても指摘しておく必要がある。例えば、基本的なアーキテクチャ/設計上の基準としてのセキュリティ、プライバシー、データ完全性の問題;様々なデータベースのサイズ、一般市民のさまざまな要求、および政府機関間のアクセスに対応するための情報サービスのスケーラビリティ;そして法執行・環境保護・危機管理・規制業務などの特有の応用分野などである。電子図書館の場合と同様に、電子政府のユーザーは、情報の利用者であると同時に、発信者でもある。同じく、政府も情報の提供者であると同時に、利用者(ITを購入/利用する立場)でもある。このように、2つのプログラムの間には高度な補完関係がある。
主な成果
これらのプログラムは、現在もなお進行中であるため、成果を評価する最善の方法は、テクノロジーやインフラストラクチャにかかわる作業の範囲を見極め、ITや関連する科学、社会一般に対する影響を検証することである。6つのコンソーシアムが成した最も大きな技術的貢献は、実験用のテストベッドを開発したことであろう。このテストベッドは、フェーズ2で研究を続行するための基盤となるほか、プロジェクトの内外を問わず、各研究者が実験台として利用することができる。またプログラムは、産学の研究チームが、コンピューティング、通信、およびコンテンツ産業に関連する様々な技術要素に取り組むと同時に、それらの収束の問題についても取り組むことができた。これらの取組みは、次の各レベルの対象に対応している。
影響と展望
これらの研究イニシアチブは、技術面での貢献や成果に加え、長期的な研究に向けた基礎を成すデータの蓄積、実験用テストベッド、研究協力/コンソーシアムなどの形で、さまざまなインフラストラクチャを築いてきた。また、研究結果の実用化の面でも、短期間のうちに成果が現れている。しかし、最も重要な技術移転は、人材の移転である。このプログラムで研究を重ねた何百人もの研究者が産業界に入ったり、教育者として巣立っていった。中には自ら会社を興して、業界で注目を集めているところ(Google社など)もある。
政府支援型の研究活動の成果は、最終的には、広範囲にわたる組織的・社会的利益に対する短期的および長期的な影響という基準で判断すべきものである。DL(Digital Library: 電子図書館)とDG (Digital Government: 電子政府)の各イニシアチブのもとで現在進められている研究活動のうち、最も大きな成果を上げている活動を見るだけでも、21世紀において我々の生活のあり方がどのように変貌しているかを、ある程度まで予測することができる。例えばコミュニケーション、情報の取り扱い、学習、保健医療、商取引、仕事、物の設計/作成、研究、環境の認識、行政サービスや情報収集の方法や形態などがそれである。DLとDGの各イニシアチブは、こうした変革に向けた重要な第一歩を踏み出す上で大いに役立った。
2. バイオテクノロジー・イニシアチブ
イオテクノロジーは、華々しい業績を収め、科学や社会にも大きく貢献したにもかかわらず、連邦政府の研究開発イニシアチブの中ではさして注目されることはなく、印象も薄かった。コンピュータ、インターネット、マルチメディアなどの喧伝に比べ、バイオテクノロジーは、ここ10年の間、研究開発のスポットライトを浴びることもなく、目立たない存在であった。この状況が、今まさに変わりつつある。今日、再び注目を集めるようになったバイオテクノロジーは、国の経済成長を支え、社会に真の利益をもたらす次なる担い手として、ITの座を脅かす存在になりつつある。このITに対する挑戦は、バイオテクノロジーが自らを変革する能力を背景としたものである。従来のバイオテクノロジー/バイオエンジニアリングの事実上あらゆる部門に見られる研究開発プロセスが、コンピュータ、ネットワーク、データベースの各テクノロジーを利用しながら、完全な変貌を遂げてきた。このパラダイム・シフトの結果、従来は想像すらしなかった方向で、この分野におけるコア・ビジネスを再定義したり、範囲を拡大したり、また関連分野との相互作用の強化を図ったりできるようになっている。また変革の過程を経る中で、コンピューティングや関連する研究に対する変化の種の植え付けも果たしている。したがって、数年後には、バイオテクノロジーにおけるパラダイム・シフトが逆に作用して、その変化のきっかけを作ったITの分野にも変化を起こさせることになるかも知れない。
生物科学、コンピュータ、情報科学、およびネットワーク・テクノロジーの各分野間での相互作用の兆しは、この主張を強く示唆するものである。バイオテクノロジーに関する米国のイニシアチブ、および関連する研究について調査したところ、この種の相互作用が存在することが裏付けられた。
コンピューティングは如何に生物学を変えつつあるか
コンピューティングは、少なくとも次の3つの形態で生物学に影響を与えている。第一に、コンピューティング・テクノロジーが「高スループット生物学」を可能にした。例えば、コンピュータのマッチング/検索アルゴリズムは、DNA塩基配列決定法に使われる主要テクノロジーの基盤として必要であった。第二に、コンピュータは生物学的実験に革命をもたらした。何時間も、あるいは何日もかけて実験を行う従来のラボは、一度に数万ないし数百万件もの照会処理を実行できるコンピュータ・テクノロジーとソフトウェア(例えば、マイクロアレイ)に置き換わりつつある。第三は、様々なレベルの生物学情報の統合である。例えば、最先端のコンピュータ・モデリングやシミュレーション技術は、個々の生物学的要素(DNA、蛋白質、パスウェイ、ネットワーク、細胞、器官)がどのように相互作用するのかを調べる上での重要な手段となる。バイオテクノロジーが、生物学におけるシステム研究の成果の恩恵を得るようになるのは遠い先のことではない。
生物学は如何にコンピューティングを変えつつあるか
コンピューティング、情報処理、ネットワーキングの技術進歩に生物学が影響を及ぼしていることを示唆する兆候もある。生体機能に基づくコンピューティング(Bio-inspired
computing)は、今やコンピュータ関連の研究の最前線にある。研究室レベルの実験では、分子をスイッチ、ワイヤ、およびメモリの各素子に作り変えることにより、従来のコンピューティング・デバイスを代替するテクノロジーの可能性が実証されている。また、生物学的な原則や材料を将来的な情報機器の機能にも応用できるかどうかを探るべく、次世代のマシン・インテリジェンスについても継続的な研究が実施されている。バイオメトリクスと知識ベース・モデリング/シミュレーションは、コンピュータ研究領域の境界を、人間中心のコンピュータ・インターフェイスと情報デリバリの方向に押し進めつつある。
イニシアチブの重要なポイント
この調査では、今日のバイオテクノロジーに多大な影響を及ぼしてきた3つの主要な機関間プログラムを検証する。いずれのプログラムも1990年代に着手されたものである。1つ目は、"Decade
of the Brain"(脳の十年)イニシアチブで、1990年の初めに開始された。膨大なコンピュータ資源と全米の科学者の間を接続したネットワークを利用して、脳に関する知識を高める目的で計画されたものである。NSFとNIH(米国国立衛生研究所)の2つの連邦機関が、このイニシアチブに基づく研究に対する財政支援の多くを受け持った。このイニシアチブがもたらした最大の成果は、神経科学の研究を進めるための計算モデルが利用できるようになった点である。この分野には、数多くの研究者が流入し、最戦前での活動を続けている。しかし、その高邁な目標と数多くの業績にもかかわらず、「脳の十年」イニシアチブはそれほど注目を集めることなく終了した。多くの前線で上げた成果も革新的技術にまで発展することはなく、財政支援も先細りになった。とは言え、これによりIT、生物学、神経科学の間に強固な関係が確立したことは間違いない。
2つ目のイニシアチブは、"Biotechnology for the 21st Century"(21世紀に向けたバイオテクノロジー)である。これは1990年代の初めに、生命科学と健康に関する連邦諮問委員会が発表した報告書により、国家規模の協調的活動の必要性が指摘されて以後、注目を集めたテーマである。このイニシアチブの目標は、バイオテクノロジー研究における米国のリーダーシップを維持/強化することにより、国内経済の成長を促進し、全国民の生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を向上させることにある。研究目標の設定とプログラムの実施に責任を持つ機関合同のマネジメントチームが設置された。このチームにはNSFとNIHも加わっている。このイニシアチブは、1993年、関連ミッションを持つ他の機関の参加を得ながら、多額の初期予算をもって始動した。しかしながら、ヒトゲノム研究におけるその後の出来事により、このイニシアチブの影が薄くなったため、以降の年度における財源は期待通りのものではなかった。そうしたことはあったものの、本イニシアチブは、注目の的となったヒトゲノム・プロジェクトの成功の種を蒔くものであった。
生活の質をも変える可能性のあるヒトゲノム・プロジェクトは、しばしば米国の研究イニシアチブであるとみなされることがあるが、実際には1990年10月に、15年間予定の国際プロジェクトとして着手されたものである。プロジェクトの基本的な目標は、50,000〜100,000個の遺伝子から成ると考えられているヒトゲノムの詳細な遺伝子マップを作成することにある。遺伝子マップの完成は、人体の内部機構を解き明かす上で不可欠なものと考えられており、将来の生体臨床医学やバイオテクノロジーに多大な影響を及ぼすことになると思われる。政府財源の確約に加え、遺伝子配列解明技術やコンピュータ関連ツールの技術革新、さらには専門の国際チームの努力といった要因が効を奏して、ヒトゲノム・プロジェクトは、予定より1年も早く、しかも決められた予算内で完了した。この予想外の成功を導いた要因は数多くあるが、二つの学問領域、すなわちITとバイオテクノロジーの交差領域における疑うべくもない進歩はその一つである。
主な成果
調査の結果から、バイオテクノロジーとコンピュータの相互作用がもたらす利点は、単に個々のイニシアチブで定めた目標の達成だけにとどまらず、社会資本(人材や組織的資源)の形成から、グローバル/ローカルな資源の有効利用、新しいテクノロジーや研究分野の創出に至るまで、きわめて多岐にわたることが判明した。次にいくつか例を示す。
影響と展望
研究イニシアチブは、科学的成果とテクノロジー推進に加え、産業界に多大な影響を及ぼしている。バイオテクノロジーはこれまで、活気のある産業を生んできた。IT主導型のポスト・ヒトゲノム研究に向けられた期待を背景に、DNAチップからプロテオミクスに至るまで広範なテクノロジー/アプリケーションの分野において数多くの企業やビジネスが生まれてきた。そのほとんどは、ジェットコースターにも似たアップダウンの激しい将来を経験することになろうが、やがては技術革新の道を自ら切り開き、社会にも多方面の貢献をもたらすであろう。
今回の調査からも、バイオテクノロジーの将来を方向付ける重要な分野が2つあることが明らかになった。1つは、システム生物学である。すなわち生物学的な系を取り上げ、ここに含まれる各要素を識別し、特定のモデルに従って考察し、多様なレベルから情報を捉え、それぞれの関係を検証するという分野である。あらゆるコンピュータ関連ツール、すなわち既存のツールも、新規のツールも含め、すべてを生物学のツールとして利用する。同時に、計算生物学、バイオインフォマティクス、生体機能を活用したコンピューティングといった一連の分野も、ITには不可欠の要素となりつつある。2つ目の期待される分野は、有機/分子コンピューティングである。コンピューティング技術がこれまでシリコンに依存してきたように、今、科学者は分子を集めて基礎的な回路素子やスイッチに組み立てることにより、ナノサーキットやナノテクノロジーといった新しい世界の方向性を模索している。将来的には、これが生物学、材料科学、ITの各分野の融合する領域となる。現段階では、まだ研究室レベルにすぎない。ただし、ヒトゲノム・プロジェクトのような新たな研究イニシアチブが登場して、強力な推進力になることも考えられる。
3. インフラストラクチャとツールのイニシアチブ
インフラストラクチャとツールのイニシアチブは、前の2つのテーマとは多少異なるアプローチで捉えることが必要である。研究対象となる直接的なイニシアチブとは異なり、ここでは研究活動に向けた資源やツールの利用を目的とした国内のインフラストラクチャ整備という点を中心に考察する。具体的には、あらゆる分野で重要視されるようになってきたコンピューティング、通信、ネットワーク、情報収集といった機能を中心に検証する。長年にわたって米国政府は、個々の機関の関心とミッションに基づいた形で、こうしたイニシアチブを立ち上げてきた。1970年代に誕生したインターネットも、国防総省が研究委託先を電子的に接続するというプロジェクトの結果として生まれたものだった。ここ10年ほどで政府は、国家のコンピュータ/情報インフラストラクチャを一新する方向で、必要な政策、戦略、計画の策定に向けて一段と強力なアプローチを取るようになった。今回の調査から、こうした努力が多大な成果を上げていることが明らかになった。
プログラムの重要なポイント
1980年代半ばから21世紀への変わり目にかけて、米国政府では、ITを中心とした国の研究開発能力の向上を図るべく、一連の対策(ときに、消極的なこともあったが)を講じてきた。約15年の間に、ニュー・エコノミーの盛衰と連動して、数々の研究開発インフラストラクチャのイニシアチブが実施された。例えば、次のようなイニシアチブが挙げられる。
主な成果
インフラストラクチャ・プログラムの成否は、ITへの貢献度だけにとどまらず、社会資本、規模の経済(スケール・メリット)、資源の有効利用、社会との連携といった多様な観点から評価される。それらの成果としては、例えば次のようなものがある。
結論
近年、米国政府が提唱しているイニシアチブの影響を評価するにあたり、本報告書で提案する5つの基準から判断すると、すでに数多くの利点が実現されていることがわかる。すべてのイニシアチブが、新技術の融合や創造を促進する上で大きく貢献してきた。社会資本の形成の面でも多大な影響があるが、個別のイニシアチブごとに果たしてきた役割も多少異なる。
規模と範囲の経済が実現されると、このイニシアチブのもとで構築された資源を背景として、アプリケーションの利用が大衆ユーザーの間に広がり、分野やビジネスの境界を越えて普及するため、インフラストラクチャとツールのイニシアチブには大きな効果がある。いずれのイニシアチブも、地域、国内、海外に分散した資源を有効利用しながら、より高度な目標の達成と相互協力の促進を図ってきた。最終的に、社会に対する影響は、すべてのプログラムで明確に認識された。これらのプログラムがもたらした恩恵を一般市民の期待する領域に生かしていくには、政府の内外を問わず、あらゆる関係者が解決すべき大きな課題が残されている。
提言
この調査から学んだ事柄を基にして、過去10年間の米国のイニシアチブの有用な経験から、日本が適切に何かを学べるかという視点で、幾つかのコメントを述べる。