米国における最近のIT重点分野に関する調査
技術革新は、現代社会における経済発展を支える基盤となるものである。これまで多くの学者や政策立案者が、技術革新にとって有利な環境を整備するには、活気のある市場をはじめ、財政や法律の面で健全な政策、科学技術に対する積極的な投資の継続といった社会整備が必要であると指摘してきた。公共セクターおよび民間セクターの両方におけるこうした努力は不可欠であると同時に、一国の研究開発投資において相互に相互補完的な役割を果たしている。先進国はいずれも、多少の違いはあれ、この道を辿って自国の経済競争力や国民の生活水準を維持してきた。ITの普及とともに途上国も、山や谷はありながらも、先進国に劣らぬ積極性をもって同じ戦略を追求している。
この数十年の間に、数多くの技術が、技術革新の舞台に登場してきた。トランジスタ、パーソナル・コンピュータ、最新の医療機器などである。新しい技術が登場するたびに、それなりの衝撃を与えたが、我々の実生活においてプラスとマイナスの両面で影響をもたらした例はほとんどなかった。インターネットが導入される前までは、インターネットがもたらす変革のスピードを越える技術、あるいは技術革新やビジネスのあり方を根本から変えるテクノロジーは存在しなかった。ところが、1990年代のインターネットの普及は、世界の「技術革新の方程式」を根本から覆した。米国は,既に1980年代の後期から終わりにおいて、この画期的な技術が国家の将来や国民の幸福に根本的な影響を及ぼすに違いないことを予見していた。連邦政府が、国家の技術レベルや経済競争力のさまざまな側面に幅広く影響する数々の研究開発プログラムに着手し出したのは、まさにこの時期である。本報告書の中心的課題は、この分野での戦略的思考、実行計画、その影響を捉えることである。
岐路に立つ米国
米国では一般に、1990年代に見られた経済成長の大部分は、インターネットとそれに関連する技術やビジネスによって支えられたものと考えられている。少なくとも、この間に見られた雇用創出や株式市場高騰に関する統計数値はこうした見解を支持していると思われる。ある時期、インターネットとニュー・エコノミーが同義で使われることもあった。ところが、21世紀を迎えると、突然、ドット・コム・バブルと米国経済が崩壊し、国家の研究開発投資も危機的状況になった。そして2002年を迎え、新たなITベース経済が完全な崩壊から回復に向かいつつある今日、米国は大きな岐路に立たされている。
強さの核心
米国がいつ、どのようにしてこの岐路を切り抜け、経済の回復基調を取り戻すかについて厳密に論じることは、学問的な研究課題であり、この報告書の範囲を越える。しかし、この重要な局面にあって、過去10余年にわたり研究開発活動の方向性を決めてきた要因、影響力、圧力などを明らかにすることによって、興味深い洞察を導くことができる。ニュー・エコノミーの懐胎、誕生、繁栄、衰退というプロセスを経て、今まさに再起の機を窺う時期にある。この重要な展望への道を開くために、まず研究開発の政策と実施を支える強さの核心を明らかにする必要がある。
第一に、連邦政府は、多岐の分野にわたる研究開発イニシアチブの面で強いリーダーシップを発揮している。その結果を単純に論じるわけには行かないが、政府のリーダーシップは、ITの分野では不可欠の要素と言える。特に、ITがバイオテクノロジーやナノテクノロジーといった各分野で相互に関係する領域では、このリーダーシップが一段と重要になってくる。この報告書で取り上げるイニシアチブの場合、リーダーシップは幾つかの形を取っているが、いずれの場合においても、複数の機関が連携して、プログラムの定義、計画、実施の各プロセスにおいて、相互に協力している点は共通する。関連する組織が協力して、教育機関や国の研究機関などから成る研究コミュニティに参加する。多局間の調整によって資源、管理に関する専門知識、およびリスクを共有化できる結果、成功の可能性が高まると同時に、コスト削減と業務の効率化も実現できる。こうした取組みには重要な教訓が含まれている。
第二に、連邦政府のリーダーシップに加え、研究開発の活動を支えるパートナーとして常に州政府や業界の役割がある。場合によっては州政府が連邦政府プログラムより先に、準備作業を始めることもあるが、通常は地方政府が追従する形で、連邦政府プログラムの維持/補完に努める。これも国家規模の主要プログラムを成功させる上での重要な要素であろう。
第三に米国は、科学、技術、人文科学の各分野を通じて、研究開発の活動にかかわる相当な部分が個人的な寄付によって支えられている数少ない国の一つと言えよう。こうした個人的な資金による貢献は巨額にのぼり、貴重な財源となる。このような資金には大きく分けて二種類のものがある:すなわち、ベンチャー・キャピタルと非営利組織からの寄付である。2000年度において、米国のベンチャー・キャピタルは、新興の業界に携わる企業に向けて約1,000億ドル規模の投資を行なった(日本では約70億ドル相当)。このうち実際の研究開発に充当される部分はわずかに過ぎないが、それがしばしば技術革新の触媒となる。ベンチャー・キャピタルの規模が毎年変動するのは言うまでもない。もう一つの私的資金は、非営利組織、または個人からの寄付によるものである。こうした寄付の大半は、研究機関、教育機関、インフラを支援する目的で、主に大学に向けて拠出されるものである。最高レベルの研究を実施している大学では、しばしば、それらの多額の寄付の結果として得られた成果の中から、次の研究プログラムに向けて相当な財源を確保している。2001年度の主な大学における資金の額は次の通りである:ハーバード大学: 180億ドル、MIT: 60億ドル、カリフォルニア大学: 47億ドル。こうした非政府関連の財源は、伝統的な分野の強化という意味で効果があり、また、学際的な新しい研究を支援するためにも用いられる。そして、それは新規分野への迅速な移行を実現する上で重要な要素となる。
第四に、米国はITやバイオテクノロジーなどの重要技術において、他国から頭脳流入の利得を得ている。米国の大学では、分野を問わず350,000人に及ぶ留学生を受け入れている。この大半は、産業界で最も必要とされているハイテク分野の学生である。この結果、人材プールの強化、研究形態の多様化、競争環境の確立といった付加価値が得られる。この人材資源は、定量化するのは困難だが、大いに強調すべき資源である。
最後に、国の研究開発に関する政策決定プロセスの一部を構成しているが見過ごされがちな要素として、技術評価と政策開発分野で活動している様々な非政府組織の存在がある。その顕著な例が、NRC(National Research Council: 学術研究会議)である。NRCのCTSB(Computer and Communications Board: コンピュータ/通信委員会)では、過去数年にわたって、IT分野における国の研究開発に向けた投資戦略にも多大な影響を与えるような、目覚ましい研究結果や報告書を発表してきた [G2 -G5]。その他にも同様な組織が多数存在する(WTECなど)。これらは影響力の点では一歩譲るものの、同じように有益な役目を果たしている。これら組織の声は全体として、技術革新を政策レベルで支える強力で効果的な影響を及ぼしている。
評価基準
本報告書の以下では、ITに関連する最近の国家的イニシアチブを3つの分野において具体的に調査する:
(1) 電子図書館と電子政府
(2) バイオテクノロジー、
(3) インフラストラクチャとツール
それぞれの技術分野について我々が発すべき基本的な質問は以下の通りである:
3つのテーマにおける上記の質問に対して、米国の研究開発環境や強さに関する正しい文脈において、答えて行くことが求められる。そのために、一連の評価基準を以下に提案する。これらは、上記のいずれかの質問またはその組み合わせに関連しているものとして選んだものである。また、これらの基準は全体として、これらのイニシアチブにおいて技術革新に至るネットワーク・パスを特徴付けるものである。
加速化するテクノロジーの収束と創造
数多くの古い技術、新しい技術、出現しつつある技術が3つの分野でそれぞれの役割を果たしている。まず第一に、もっとも重要なものは、コンピューティング技術と通信技術の収束である。これは、インターネットが、時と場所を超えて、誰もがいつでもどこからでも利用できるデジタル・コンテンツを提供するようになるとともに加速された。第二に、コンピューティングと生物学の間で成長しつつある劇的な相互作用である。これはバイオテクノロジーの範囲を文字通り再定義してしまった。そして、今やコンピューティングの将来に対して挑戦状を突き付けようとさえしている。最後は、単なる計算能力よりも情報デリバリのための新技術の発展に重心が移りつつあることである。
「社会資本」の形成と利用
研究者の個々の生産性を向上させるツールやデータ資源などの物的資本と同様に、「社会資本」も技術革新実現のための主要な要素である。社会資本は、相互の利益のための調整および共同作業を促進するネットワーク、規準、および信用などの社会組織の機能などを指す。当該分野では、インターネットが可能にした様々なパートナーシップ、データや特殊な装置、大規模なインフラストラクチャなどの共有可能な資源が社会資本の例である。人的資源も多様性、関係、および創造性を促進する上で社会資本の重要な要素である。
新たな「規模と範囲の経済」の実現
いろいろな方法でインターネット環境は、研究および技術開発における規模の経済性を再定義する。システム・パフォーマンスを向上するための従来の考え方は、コンピュータの速度やネットワークの帯域幅のパラメータ(より多くのハードウェア要素を加えることによる)に注目していたが、ネットワーク化された環境では、別のパラメータに着目することが求められる。別のパラメータとは、多数のユーザー、そして彼らと多様なデータとのインタラクションである。これは新しい規模の経済と言える。同じ変化は、科学的な領域全般(たとえば、生物学から材料科学に至るまで)、または、表面的には異なる産業全般(生物学からナノテクノロジーに至るまで)において同じ計算資源を用いて経済的利益を達成する状況にも当てはまる。
国内外/地域の資源の有効利用
国民国家の優位性は、今後もしばらくの間、続くものと思われる。研究開発プログラムにも同じことが言える。国家のイニシアチブは、国境を越えた広がりを目指すというより、国益を中心に打ち立てるのが基本である。これは、何も米国に限ったことではない。EUでさえ、国家の優先プログラムがEU支援のプロジェクトと共存している。しかしながら、大規模または最先端の研究開発ではコストおよび有効性を考慮すると、グローバルな共同作業が求められる。一方、文化および歴史に固有なもの(たとえば、デジタル・コンテンツあるいは言語インターフェイス)への地方的・地域的な投資も成功への道かもしれない。これらの資源の利用とバランスを保つことが、国家的計画を管理する上で重要な要素である。
産業界や社会とのつながり
これは、公的資金によるプロジェクトにおいて常に重きを置かれる判断基準である。とりわけ、経済的な奇跡とともに時に痛みをもたらすインパクトを伴ってきたIT関連プログラムでは、知識の進歩のもたらす利益が産業界や一般市民にいかに素早く移転されるかによって、プログラムの有効性が注意深く評価されるであろう。
日本は何処へ?
次の3つの章では、米国で最近実施された3つの国家イニシアチブについて詳しく説明し、さらに上述の評価基準に従って分析と評価を行う。同様な分析は、正しい文脈設定の下で、日本における取組みについても実施することができるであろう。
日本も今、米国と似たような岐路に立たされている。日本は、ここ10年間、多岐にわたる構造改革、ビジネスの後退、高い失業率、消費者の信頼喪失などの問題が複雑に絡み合い、長引く不況に喘いでいる。原因はおそらく多面的なものであろう。しかしながら、日本がIT革命の最前線に留まれなかったことが主な原因であるとする見方は多い。この分野における今後の努力によって、事態が好転することが期待されている。
皮肉なことに、自信を失った日本が、技術革新に不可欠となるさまざまな分野でその強さの兆候を示している。まず、数年前に制定された科学技術に関する新しい法律によって、新研究開発の財政支援、ベンチャー投資、高等教育改革を促すための扉が開かれた。また行政機関の再編成は、プログラムの開発や実施の面に向けて、集中管理を強化したり、効果的なリーダーシップを発揮させる上でのきっかけとなる。さらに重要なことには、民間セクターでは技術革新が継続しており、世界の羨望を集めている。たとえば、ウォークマンを越えるソニーのヒット商品をはじめ、モバイル通信の業界で開発の続く高度なテクノロジー/ビジネス・モード、特に今や欧米にまで広がりつつあるiモード・サービスや第3世代携帯通信技術などが挙げられる。さらに技術革新全般にわたって、業界の底力が失われないのも驚異的な事実である。2001年に米国特許商標局(U.S. Patents and Trademark Office)が発表した統計(暫定版)によると、日本は過去10年間と同様、米国特許の取得国として常に上位にランクされている。全世界の企業で、上位10社のうち、日本企業が7社(NEC、キヤノン、松下、ソニー、日立、三菱、富士通)を占めている。特許とは有用な発明であり、技術的進歩や経済の発展のために大きく貢献するものである。この点において、日本と同じ位置に付きたいと願う先進国の数は多い。
本報告書では、こうした文脈において調査の結果を記し、分析を展開して行く。