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3. IT研究開発重点分野の選択指針と展開のポイント

 本章では、第T編「情報先進国の情報化政策の動向」で検討した情報先進国における情報化政策の動向を参考にしつつ、IT研究開発を推進する上での重点分野選定と展開のポイントを示す。

 

3.1 IT技術推進の戦略:アンブレラ領域の設定

 国がIT分野の技術強化を推進する場合、その方法には十分注意する必要がある。従来からIT技術への一定の投資はあったが、十分な成果と収穫に至らないのが現実であったと言える。例えば、基礎研究が実用に育って行く仕組みが未整備であること、会計制度がソフトウェア研究開発の支援に不向きであること、プログラムマネージャクラスの人材の層が薄いこと、現場のソフト技術者の質・量が不十分であること、などが指摘されている。研究開発の制度、基礎研究を実用化に結びつける道筋、人材の育成・確保、現場への適用など総合的に考慮して、IT技術を強化して行かねばならない。

 このような問題意識の下、これからの国によるIT推進に有効と思われる戦略を以下に述べる。それは、

応用に向けての方向づけを持った「アンブレラ領域」を設定し、その中でプラットフォーム、コンテンツ、ユーザインタフェースを一体的に開発すること

である。これは、特にわが国の弱点であるソフトウェアおよびシステム技術の強化に有効であると考えられる。
 アンブレラ領域の推進に当たっては、具体的なあるいは想定する応用領域での有用性を最重要視し、個別要素技術はその過程で見つかる様々な課題解決のために用いることを基本的なスタンスとする。
 従来の基礎的な研究開発では、将来的に役に立つであろう要素技術を個別に推進することが多く、研究開発成果が利用されずに終わることが起きがちであった。今後も、大学等における個々の研究グループは一般性/汎用性のある要素技術、あるいは全く新しい原理に基づく技術の研究を追求することが主なミッションであると考えられるが、国が重点的に推進するアンブレラ領域では、特定の個別要素技術にコミットせず、全体目標との関係において有効・有用なものを適宜採用するものとする。これにより、(1)課題解決を指向するアンブレラ領域の趣旨が明確になり、(2)問題解決技術の状況変化によってアンブレラ領域の根幹が揺らぐことを避けられる(ただし、問題解決のために採用した要素技術の見直しは適宜必要であろう)。(3)また、特定の個別要素技術にコミットしないことは、要素技術間の有用性の競争を促進することにもつながり、中長期的に見れば、目標が不明確ないわゆる「研究のための研究」が抑制される効果も持つであろう。

このようなアンブレラ領域の推進により、 実際の産業・社会の問題解決に役立つ成果が生まれ、セットとしてのIPR の創出にもつながる。(システムを実現するための問題解決技術のセットとなるIPRは、孤立したIPRよりも有効である。)

アンブレラ領域としては、産業・社会の分野ないし課題であって、IT技術の応用がインパクトを持ち得るものを設定すべきである。古くはマンハッタン計画やアポロ計画が「アンブレラ的課題」の典型例である。これらの計画の遂行により、設定した課題が実現されたばかりでなく、まとまった高度な技術分野が生まれ育った。現時点のIT分野の候補として、高度交通システム(ITS)、電子政府、電子図書館などが挙げられる。既に重点課題として推進されているものもあるが、中長期的な目標設定の下にIT技術強化の視点を強く意識して推進すべきである。

 

3.2 アンブレラ領域推進における留意点

 アンブレラ領域の推進においては、基礎研究が実用・普及につながることやIT産業強化などの波及効果をもたらすことなどに十分配慮しなければならない。以下、幾つかの留意点を述べる。

a)需要条件の重視
 「必要は発明の母」という言葉が示すように、需要側からの高度な要求が技術を高め、また需要側の強い制約条件によって従来技術の限界が認識されることが、新技術の生まれるきっかけとなる。したがって、成果がオープンエンドとなる開発でなく、需要側からの開発側へのフィードバックが働くような仕組みを組込むべきである。アンブレラの需要が具体的ないし明瞭であれば、需要からのフィードバックが自然であり、その実現は組織的・制度的な問題となろう。

b)関連産業・支援産業を含めた政策連携
 実用に近づいた段階では、関連産業・支援産業を含めた政策連携を行い、総合的な競争力の基盤を強化する。

c)プラットフォーム、コンテンツ、ユーザインタフェースの目標設定
 それぞれにおいて、短期的な目標と中長期的なビジョンを設定する。これにより、それぞれの分野で現場に適用可能な技術が育ち、また、それぞれの分野での研究目標の設定に役立つ。
 この際、プラットフォーム/コンテンツ/ユーザインタフェースという分類視点は、需要側にとって重要な情報・データに意味のある処理を施し(コンテンツ)、適切な仕方で提供する(ユーザインタフェース)という目的のために、情報処理インフラ・通信インフラ(プラットフォーム)を開発・整備することを意味しており、応用を意図した目標・ビジョン設定に馴染む。(従来のハード/基礎ソフト/応用ソフトの階層は、本来の応用目標から遊離して特定技術に固着する危険性がある。)

d)IT分野における波及効果の増大を目指す

ヲ IT産業の高度化
 ソフトウェア産業について言えば、従来型の人海戦術により従来のビジネスプロセスをそのまま情報化するカスタムメード・ソフトウェアの開発から、ビジネスプロセス自体を発展させるようなミドルウェアやパッケージソフトウェアの開発を誘導することなどである。

ヲ 人材育成
 わが国においては、特に、プログラムマネージャクラスの人材の育成が急務である。教育プログラムの改良により中長期的なリーダー人材を育成するとともに、短期的には、民間の大規模企業システムの開発責任者を採用したり、様々なミニプロジェクトのリーダ-に若手の優秀な研究者を抜擢するなど、少ない人材の活躍の場を広げる方策が必要であろう。

ヲ 基礎研究の強化
 ブレークスルー的な成果は、基礎研究の発展から生まれる。近年、企業における基礎研究の先細りが懸念されているが、基礎研究の担い手として、大学、独法研究所と並んで、企業の中央研究所・基礎研究所への支援も確保しておくべきであろう。

ヲ 体系的なIPR 確保の仕組み
 大学における TLOなどの制度的支援の他、アンブレラ領域において同定された解決すべき課題に対する解決技術を体系的に特許化して行く戦略が必要であろう。これは問題解決の新しい手法(発明)の開拓への動機となり、またその成果は一定範囲の課題解決のためのIPR(強いIPR)という形で実を結ぶと期待される。

ヲ 先行的事業化が可能な環境
 アンブレラ領域の推進の一環として生まれた技術を、転用して先行的に小規模に事業化できる(すなわち、ベンチャーが成り立ち、さらには新産業が生まれ育つ)ような制度・環境を整備すべきである。

ヲ アーリー・アダプター(新技術の早期採用企業)が出現する環境
 開発された技術への強い潜在的ニーズを持つユーザの発見と、そのユーザとの連携、ユーザコミュニティの形成促進と支援(ドキュメント整備、情報提供、セミナー開催、プログラムの維持・改良など)などにより、生まれた技術を利用するコミュニティないし小規模市場を育て、それが技術のさらなる発展につながるような方策。

ヲ 国・行政・公共分野における積極的な新技術採用
 国や行政・公共分野が率先して新技術のアーリー・アダプターとなる。具体的には、
 (1) 公共部門が新技術の購入者となる(実証試験として)
 (2) 公共部門の標準として新技術を採用する(有効性の確認された後の展開)
などである。また、
 (3) 法規制面での対応(新技術を使った実現を法的に有効なものとして認める、など)
は新技術の市場形成に役立つ。このようなことが可能となるために、国・行政・公共の諸機関にIT技術の「目利き」がいるべきであり、例えば、CIO と支援スタッフを配置するなどが方策として考えられる。

ヲ ビジネス方法特許、ソフトウェア特許、方式特許の重視とIPR確保
 今後のIT技術はますます人間社会に深く入り込み、影響を及ぼして行く。それは、産業・経済・社会の様々なプロセスのITによる革新という形で現れる。そこで生まれる新たなIT適用手法のIPRを確保することは今後の重要な課題であると考えられる。(例えば、電子政府の研究開発・課題解決の過程では、行政領域におけるビジネス方法特許が生まれると予想される。)

ヲ 世界への展開
 独自にアンブレラ領域を設定する場合でも、世界標準から乖離したわが国独自技術に陥らぬ注意が必要である。例えば、開発した技術の標準化の働きかけを積極的に行ない、その際、適度な開放(フリーソフト化など)により世界的規模での採用者の増大を図る戦術を採用できるようなIPR行使の柔軟な制度も必要であろう。

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