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3.3 プロパテント政策

  プロパテント政策とは、実質的に1)民間主体によるIPR取得と保有を促す一連の法整備、2)新規分野への積極的な特許保護範囲の拡大、3)特許侵害成立に対する積極的司法認定で構成される。

 

 

 プロパテント政策の効果は、特許申請数と認定数の顕著な上昇(詳細は「3.5 IPRの創出状況」)や技術貿易の大幅黒字、マクロ経済への効果(詳細は「3.7 IPR商業化の経済効果」)として現れている。

 <米国パテント政策の変遷>

1860年代〜1930年(大恐慌):第1期プロ・パテント時代 (2.6%)*
 南北戦争終結以降リンカーン大統領による特許強化政策
(背景:電気、自動車、鉄道、航空機等)
1930年〜1980年(B-D法、後述):アンチ・パテント時代 (0.6%)*
 独禁法強化による特許冬の時代。研究開発へのインセンティブが減り産業の活力も失われていった。
1980年から現在:第2期プロ・パテント時代 (3.9%)*
 B-D法、S-W法を端緒とし、知的所有権の先行取得による国家産業競争力を強化する流れ。
(背景:半導体、コンピュータ、通信、バイオテクノロジー産業等)

(*注:特許認定数の年平均伸び率)

 

 <昨今の特許申請数と認可数の伸び>

 

3.3.1 一連の法整備

 レーガン政権成立(1980年)の直前、カーター政権の「産業技術革新政策」を契機として、米国は独禁法強化による特許冬の時代といわれたアンチ・パテント政策から転換、知的財産権保護の強化によるプロパテント政策を推進し、民間主体によるIPR取得と保有を促す一連の法制を整備してきている。

 <米国におけるプロパテント政策を支える法整備>


3.3.2 USPTOの急拡大と効率向上策
 前頁のグラフに見るように、プロパテント政策の下で特許申請数が急増している。この事態を受け、USPTO(米国特許庁)は1)特許サイクルタイムの大幅短縮、2)大量の特許申請を厳格かつ迅速に処理する体制造りをめざしている。政府業績結果法(GPRA)の下、「あたかも営利企業のような」高効率の運営を目指しながら、増員・床面積拡張等、矢継ぎ早に業容拡大が進んでいる。USPTOが政府組織として存在感を強めている。

 <最近のUSPTOの動き>

 

3.3.3 新規分野への積極的特許認定

 USPTOは、ソフトウエア、ビジネスメソッドといった「新規分野」において積極的に特許を認定し、特許権保護範囲の拡大が図られてきている。その一方で、ソフトウエア特許に対してはオープンソースを奉じる考えから、またビジネス特許やヒトゲノムに関しては自由な産業発展を阻害するという危惧から、それぞれに対し批判の声もあがっている。

 <「新規分野」の概要及びソフトウエア特許とビジネス特許の関係>

 

 

(1)ソフトウエア特許
 いわゆるソフトウエア特許(アルゴリズム)は、プロパテント政策の下で実質的に特許化可能な領域として認知されている。

 これまで、ソフトウエア特許を代表するとされていたのは特許クラス364と395であった。しかしながら、同分類は1997年に主にクラス700と705に再分類され、以後ソフトウエア特許と言えば主にクラス700で代表されると考えられている([3.5 IPRの創出状況」参照) 。

 <特許クラス364・395合計の申請数、特許数、認可率>

 


 クラス364・395をソフトウエア特許分類として用いることの限界を指摘する意見もある。Greg Aharonian (ソフトウエア特許に批判的な姿勢をとるInternet Patent News Service発行人)によれば、USPTOによる364・395両クラスは、純粋なハードウエア特許も包含していること、また純粋なソフトウエア特許はクラス364・489(主としてComputer-aided engineering、Circuit design software) にも存在していることから、364・395による統計には限界があると指摘し、独自の方法で捕捉している。

 (2)ビジネス特許
 2001年3月12日USPTOは、「ビジネス方法(メソッド)」分野単独のホームページ(“Patent Business Method”)を開設(http://www.uspto.gov/web/menu/pbmethod/)、詳細な情報提供を行っている。クラス705(ビジネス特許)への関心・批判の高まり、申請数の急増(「3.5 IPRの創出状況」参照)を受けた措置である。

 <ビジネスメソッド特許の歴史>

1799年: ビジネス特許の存在を世に知らしめた、かのステートストリート事件(1998)だが、現在のクラス705がその内容を受け継いでいる「金融に関する装置または方法」に該当する特許は、1799年Jacob Perkinsに与えられた「偽紙幣を見分ける方法」までさかのぼる。その後50年間にこのジャンルで41の特許が記録されている。1790年創設の特許制度の下、200年間にわたり、「紙ベース」の「ビジネス上の技術・方法」は特許化され続けてきている。
1889年
: コンピュータ時代の初のメソッド特許「金融・経営管理分野での自動データ処理方法」はHerman Hollerithによる 「Art of compiling statistics」である。国勢調査のデータをパンチカードで自動集計・作表する機械式の処理方法であった(US395781、US395782、US395783)。この特許を元に彼の会社Tabulating Machine Companyはビジネスデータ処理の革命的進歩を成し遂げたと評され、大いに繁盛した。その後社名を変更、International Business Machine Corp.となった。
1900年代初頭: 「金融データ自動処理方法」特許はキャッシュレジスター計算機関連特許で隆盛を迎える。
1930年代以降: 機械式スイッチがトランジスターによって代替され、本格的な電子式自動処理の時代を迎える。集積回路の時代が幕を開けたのである。その後特定機能の大型集積回路が、ソフトウエアによって制御されるマイクロプロセッサに取って代わられて初めて、技術変革のスピードが現在につながる。(US2594865 Bumstead 1952年 「System for Making Reservations」からUS5058009 Yoshino et al. 1991年「Financial Calculator for Calculating, Graphically Displaying and Confirming Results of Loan Amortization Calculation」に至る。)
1998年: State Street Bank vs Signature Financial Group Inc.判決。一つのポートフォリオ(ハブ)を中心に複数の投資信託(スポーク)を有機的に結びつける情報処理システムが「ビジネスメソッド」としての特許性を改めて確認され、クラス705申請急増の端緒となった。

 クラス705「データ処理: 金融及びビジネスプラクティス、経営管理、または費用と価格決定」は、主に4分野で構成されている。

 

(3)ヒトゲノム 
 ヒトゲノム特許に関しては、プロパテント政策の下で塩基配列のみ(因果関係未発見)の特許が一時認められたが、1999年の日米欧三極会合を受け、 2001年1月特許条件としての遺伝子機能と有用性審査のためのガイドラインが発表された。独禁法重視、イノベーション競争確保へ舵が切られた。

 <遺伝子関連特許の経緯>

●ヒトゲノムプロジェクト以前
1)研究開発が「偶然に発見された生理活性物質からピンポイントで行われていた」ことと、2)元来学術的指向性の強い分野であることからそれら物質の発見が惜しげもなく学術文献へいち早く発表される傾向があったことから、数少ない特定遺伝子の有用性発見に向けて多くの研究者が競合して研究を進めた。その結果、複数の出願人による似たような内容の特許出願が短期間に集中することとなり、特許訴訟が頻発した。プロパテント政策による「より広範な保護」政策も事態を「悪化」させた。
●ヒトゲノムプロジェクト以後
1990年に始まったこの国際プロジェクトは、ヒトDNAの約30億の塩基配列を解読(2001年2月セレーラ社と共に発表)、10万といわれていたヒト遺伝子の数は約3万9000個と判明した。今後はこれら遺伝子の機能を網羅的に解明し、疾病治療や診断に役立てることになる。結果として「配列の解読、発現情報の取得、疾病等に関連するレセプターや酵素の特定、医薬品の開発という『上流』から『下流』に至る研究・開発の新たな流れ」が形成されることになった。この「上流」の研究は主に米国ベンチャーが担っている。こうした「分業体制」の進展により、上流だけを担う者の知的資産を保護する要請が生じる。しかし、「上流の取るに足らない配列情報が下流の研究開発を過度にコントロールすることに対して、バイオ研究者を中心に、研究開発のインセンティブが失われ、科学進歩が停滞するとの反対意見が強い。」 また、以前と比べ、研究開発対象が広がりを見せ始めたことから、プロジェクト以前のようなパターンの特許訴訟は減っていく可能性がある。

 ※ 参考文献:「特許研究」第29号;第41〜45頁(2000年3月発行) 特許庁審査官 田村明照氏 「バイオテクノロジーの広い特許保護を巡る最近の論点」
http://members.aol.com/_ht_a/terutamur1/patent-studies.htmで入手可能)

 3.3.4 特許侵害に対する積極的司法認定

 特許侵害の審理を専門に行う連邦巡回控訴裁判所(CAFC)が 1982年に創設され、いわば特許の成果を保証する機能が強化されると同時に、特許侵害成立に対する積極的司法認定、損害賠償額の増大(模倣コストの増大)が顕著である。
 特許権侵害訴訟における積極的司法認定を背景に、以下のような事象が観察された。

 ●特許侵害訴訟における原告(特許権者)の勝率がアップ。
●損害賠償の金額が急騰し、$数十Mも珍しくなくなる。
●1991年 コダック社がインスタントカメラ特許に関し15年間にわたる裁判闘争を経てポラロイド社に敗訴、史上最高の$925Mを支払う。●1992年  ミノルタ が ハネウェルの 自動焦点カメラに関する特許権を侵害したとして、ハネウェルが勝訴、ミノルタは$127.5Mを支払った。同時期にキャノン、ニコン、コダック等ミノルタ以外の7社も計$124.1Mを支払う。
●1992年 セガ・エンタープライゼズ(ゲーム機)が個人発明家のコイル氏の特許侵害で敗訴、約$44M支払う。
●1994年 マイクロソフトはスタックエレクトロニクスによってデータ圧縮ソフトの特許侵害で訴えられ、$120Mの特許侵害賠償金を支払った。最終的に両者は包括的クロスライセンス締結に至った。

 3.3.5 背景となる理論・思想の変遷

 特許制度を支える理論的背景もまた変遷を見せている。第一期プロパテント時代には、技術創造に排他的権利によって経済的に報いるべし、とする「報酬理論」、第二期プロパテント時代には発明が持つ将来性を重視した「プロスペクト理論」が政策の後ろ盾となった。そして現在、技術開発にも競争の確保が重要であるとする「イノベーション競争理論」が台頭し始めている。

 

 (参考文献:「特許研究」第29号;第41〜45頁(2000年3月発行) 
特許庁審査官 田村明照氏 「バイオテクノロジーの広い特許保護を巡る最近の論点」
http://members.aol.com/ht a/terutamurl/patent-studies.htm

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