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(1)HPC法成立とHPCC計画の開始(1991年〜)

 毎年公表されているHPCC計画概要書(通称ブルーブック)の94年度版のエグゼクティブサマリーの最初のページには、次の1文が記されている。

"1980年代初めから、政財界や科学技術者の間では先進コンピュータ通信技術は、アメリカ経済に広く恩恵を与える事になると考えていた。"

これを政策として実現しようとしたのが、当時上院議員であったゴア副大統領である。彼は、1989年に全米高性能コンピュータ技術法案(National High Performance Computer Technology Act of 1989)を上院に提出している。当時、この法案は廃案とされたものの、彼は1991年1月に高性能コンピューティング(HPC)法案を提出し、1991年12月9日に成立した(High Performance Computing Act of 1991)。この法律は5年間の時限立法であったが、法律に示されている考え方は、現在に至る情報政策の根幹となっている。
 この法律は、2つのタイトルから構成されている。タイトル1は、「高性能コンピューティングと研究・教育ネットワーク」と題されており、

  1. 実行計画に対する要求事項
  2. 実行計画の実施体制に対する要求事項
  3. ネットワーク整備に対する要求事項

で構成されている。また、タイトル2では、機関名を挙げ、これらの機関に対して実行計画に対する協力を要請している。
 HPC法で謳われている「実行計画」とは、法案成立とともに開始されたHPCC計画を指している。HPCC計画は、開始当初4プロジェクトから構成されていた。これらプロジェクトは、HPC法のタイトル1のテーマである、高性能コンピューティングシステム(HPCS)と研究・教育ネットワーク(NREN)が含まれている。
 HPC法とHPCC計画の対応関係は、HPC法の内容を見るとわかりやすい。HPC法 タイトル1:「実行計画に対する要求事項」は、下記8点である。

(HPC-P1) 連邦政府の高性能コンピューティングに関する研究、開発、ネットワーク整備に目標を定め、優先順位をつけること
(HPC-P2) 省庁間で協力を図ること
(HPC-P3) この法律に基づいて行われる研究・教育ネットワーク(NREN)の実行、進捗具合を監督すること
(HPC-P4) ソフトウェアの向上を図ること
(HPC-P5) 高性能のコンピュータシステムの開発を促進させること
(HPC-P6) 科学及び工学に関する基本的な問題で必要とするソフトウェア及びハードウェアの技術支援、研究、開発を行うこと(グランド・チャレンジ(GC))
(HPC-P7) 大学・大学院生の教育を行うこと
(HPC-P8) セキュリティを確保すること

 HPCC計画の4プロジェクトは下記(HPCC-1)〜(HPCC-4)であり、それぞれが「実行計画に対する要求事項」に対応している。

(HPCC-1)
高性能コンピューティングシステム
      (HPCS ; High - Performance Computing System)
設置理由:(HPC-P5)に対応
プロジェクトの目標 :
スケーラブルな並列計算システムにより、従来型スーパーコンピュータの限界を超えた1秒間に1兆回の演算が可能なシステムの開発。

(HPCC-2)
研究・教育ネットワーク
(NREN ; National Research and Education Network)
設置理由:(HPC-P3)に対応
プロジェクトの目標 :
高性能コンピュータシステムや研究教育に必要な電子データ、研究設備、電子図書館などにアクセスするための高速コンピュータを学術機関に提供。

(HPCC-3)
先進ソフトウェア技術とアルゴリズム
(ASTA ; Advanced Software Technology and Algorithms)
設置理由:(HPC-P4)、(HPC-P6)に対応
プロジェクトの目標 :
ソフトウェア・アルゴリズムに関する研究とネットワーク化した高速コンピュータシステムで稼動する高性能アプリケーションソフトのプロトタイプ開発。

(HPCC-4)
基礎研究と人材育成(BRHR ; Basic Research and Human Resources)
設置理由:(HPC-P7)に対応
プロジェクトの目標 :
基礎研究、教育、トレーニング、カリキュラム開発など。

 HPCC計画では、毎年HPCC計画実行計画書(Implementation Plan)が公表されており、(HPC-P1)に対応して、これら4プロジェクトに対する優先順位と各プロジェクト内の研究開発項目に対するマイルストンが示されている。(HPC-P8)は、これら4つのプロジェクトに係ると考えられる。
 なお、(HPC-P2)は、HPC法の実行体制に関する箇所とともに後述する。
 (HPC-P6)にある「グランド・チャレンジ(GC)」とは、高性能コンピュータを必要とする、科学技術研究アプリケーション(気象予測、エネルギー効率の最適化を考慮した自動車の設計、医薬の開発、星雲形成の解明など)の開発を支援するプロジェクトである。具体的には、これらの研究を支えるための高性能コンピュータ高速ネットワーク、アプリケーションの開発を指している。
 ここまででHPC法とHPCC計画の4プロジェクトを示したが、HPC法では、HPCC計画の実施体制のあり方についても要求がされている。それを示した部分が、HPC法 タイトル1:「実施体制に対する要求事項」である。

(HPC-F1) 大統領府に諮問委員会を新設すること
(HPC-F2) この実行計画に参加する省庁に対して、毎年実行計画要素単位に予算を充てること
(HPC-F3) 参加省庁、教育機関、政府、全ての州の産業を結ぶ、研究・教育ネットワーク(NREN)を構築すること
(HPC-R1) 先進ファイバー光学技術、スイッチ、及び、 ネットワーク・プロトコルの研究開発をサポートするために、国防総省高等研究計画局(ARPA)を通じて国防総省(DoD)の協力を要請する
(HPC-R2) ネットワーク上で行われるであろう情報サービスの開発を促進するために、省庁間の活動を統合する機関の設置を求める
(HPC-R3) 全ての省庁について、連邦研究交付金にコンピュータ・ネットワーク費の計上を認める
(HPC-R4) ユーザー料金・産業支援・国家投資を含むネットワーク・ファンドに関する報告を議会に要求する

(HPC-F1)に対応して、設置されたのが大統領HPCC諮問委員会(Presidentional Advisory Committee on High Performance Computing and Communications)である。
また、(HPC-F2)に関連して、タイトル2では下記7機関に対してHPCC計画への協力を要請している。

●国立科学財団(NSF)
●商務省標準・技術院(NIST)
●環境保護庁(EPA)
●航空宇宙局(NASA)
●国立海洋大気管理局(NOAA)
●エネルギー省(DOE):(※条文ではエネルギー省長官に対する要求)
●教育省(ED):(※条文では教育省長官に対する要求)

 また、前頁の(HPC-R1)で示した通りARPA(現在のDAPRA)に対しても協力を要請している。(HPC-P2)の省庁間の協力とは、これら協力を要請した省庁間で協力して4プロジェクトを進めることを指している。なお、実際に、HPCC計画当初からプロジェクトに参加していた省庁は、NSF、NASA、DOE、NIST、NOAA、EPA、ARPAに加え、国立衛生研究所(NIH)の計8機関である。なお、EDは92年度からHPCC計画に参加している。HPCC計画開始当初の実行体制は図表に示す通りである。なお、1992年9月には、HPCCイニシアティブを支援するために、NCO for Computing, Information,and Communicationsが設置された。

図表2.2 1991年開始時の実施体制
(Bluebook94, 1994 NSTC Annual Reportを参考に作成)

 ARPA、DOE、NASA、NSFの4機関は、1989年にHPCCとは別に、独自に計画案を作成しきた。HPCC計画が、当時のその計画を参考に作成されたのかは定かではないが、これら4機関はHPCC計画でも優勢な立場を取ることになる。この4機関がHPCC計画予算に占める割合は、約80%である。
 HPC法のネットワーク整備に対する要求事項では、以下の点を注文している。

(HPC-N1) 遠距離通信産業の高速データ通信網に対する民間投資の育成及び市場競争の維持を図ること
(HPC-N2) 商業データ通信及び遠距離通信に関する標準の開発を促進すること
(HPC-N3) 知的所有権の保護を含むセキュリティの確保を保証すること
(HPC-N4) 著作権使用料を科すことができるような会計基準を作成すること
(HPC-N5) ベンダーからのネットワークサービスや標準コマーシャル・トランスミッションの獲得がいつでも可能なこと

 これらの要求事項がHPCC計画当初からプロジェクトに反映されていたかは、現在インターネット上で公開されている資料だけでは把握できない。しかし、これらの要求項目はNII、Global ECにも反映されている。
 以上、HPC法成立からHPCC計画のプロジェクト開始までの関係について述べたが、これらの情報政策では、軍事・宇宙開発技術研究で培った成果を効果的に利用する動きが顕著に見られる。現に、HPCC計画以降の情報技術プロジェクトでは、国防総省(DOD)(直轄機関である高等計画研究局(DARPA)、国家安全局(NSA)を含む)・航空宇宙局(NASA)が多くの研究プロジェクトに関わっている。

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