本章では、情報技術に関する日本国内外の動向について、次の5つの観点から示す。
5.1.1 米国のインターネットのスタート
今日のインターネットの原型は米国のARPAnetに求めることができる。このネットワークは、1969年の夏に1ノードでスタートし、69年末には4ノードが接続された。1ノードでも意味があったのは、当時のネットワーク・プロトコルがNCP プロトコル(X.25に近い)であったため。このネットワークの関係者は周囲からは奇異の目で見られたという。まだネットワークという概念が広く理解される前の話である。ただしARPAnetという名前が示すように、米国国防総省の資金が使われている。
1980年代になると、DARPAはTCP/IPプロトコルをUNIX BSDのカーネルに組み込むための研究に資金を出し始めた。カリフォルニア大学バークレー校のプロジェクトである。その結果、BSD4.2以降、TCP/IPはUNIXの標準通信モジュールとして組み込まれることになり、これが大学等に非常に安価に配布されたので、TCP/IPが急速に広まった。
その後、ARPAはARPAnetを純粋な国防用コンピュータネットワークとそれ以外のネットワークに分割した。前者はMILnetと名づけられ、後者がARPAnetの名称を引き継いだ。このARPAnetが後のインターネットの出発点である。ここではTCP/IPが標準として採用され、この後、インターネット上で開発、実験、改良されていった。
1983年以降、ARPAnetのユーザは急速に増加し始めた。1983年以前のの全ユーザをリストアップしたARPAnetディレクトリ(電話帳のようなもの)をプリントアウトしても1.5cm程度の厚さであった。これは冊子として印刷配付されていた。しかし、1984年になると、プリントアウトは事実上、不可能になった。SUNに代表されるワークステーション、IBM PC、マッキントッシュなどが登場した時期である。
また、1983年にはドメイン・ネーム・サービス(DNS)も始った。com, eduなどのドメイン名が使用されるのは、この時からである。実際の切替は84年頃に行なわれた。その頃にARPAnetに接続されているコンピュータの台数は1000台を超えていた。
1984年には日本でもJUNETが開始された。これを見ると日本がコンピュータネットワークの開発で決して出遅れていたわけではないことが分かる。もちろん規模とネットワークの速度において日米の差はあった。
1985年頃、米国では、いずれ国防総省(DoD)がコンピュータネットワークから手を引いて、ARPAnetがなくなるといううわさが出ており、将来についてユーザに漠然とした不安があった。
1986年にNSFは傘下のスーパーコンピュータセンターをネットワークで結ぶことを決定し、1987年11月にNSFnet運営の 5年間の契約をメリットと締結した。これが後にインターネットの中核(core)になる。この頃、研究者間では電子メールの利用が盛んであったが、将来、それが一般の人々の間でも利用されるようになると予想した人はいなかった。
当時、スタンフォード大学の中ではイーサネットが、メイン部分で4本(3本は10Mbps、1本は3Mbps)引かれていた。外部との接続は64kbps(有効56kbps)専用線のARPAnetである。これでも当時は最高水準の環境である。
結局、ARPAnetは1990年にNSFnetにその役割を譲り、正式に停止した。しかし、NSFnetも未来永劫に存続するという取り決めがあったわけではなく、利用者は徐々に、民間NET (region net)に移行していった。
このインフラの民間への移管の方法を見る。当初ARPAnetとして運営されていた線路がNSFnetに引き継がれ、更に地域ネット(民間)に移管されていった。これが後の商用ネットの原形となる。一方、地域ネット間を繋ぐネットワークとして、UUNET、PSInetが、商用ネットとして最初は隙間のようなところに登場した。
地域ネットは、当初、大学等の非営利団体により運営されたが、その内にユーザから利用料を徴収するようになった。初めてのコマーシャルネットは、UUNETテクノロジー社のUUNETであり、87年5月に電子メール、電子ニュース利用を可能とするUUCPサービスを開始した。これは米国の地震研究所のネットワークのスタッフが中心となった。日本のJUNETも、商用になる前のUUNETとは関係が深い。IP接続が可能なInternetサービスの開始は90年1月からである。この他にも、89年春にはサンディエゴのスーパーコンピュータセンターを中心とする地域ネットであるCERFnetが事業を開始し、90年1月にはPSI社が事業を開始した。
米国ではボランタリーベースの草の根ネットから出発して非営利団体になり、それが発展して商用ネットワークになったケースが多い。
コマーシャルネットが90年代に入って順調に成長していった背景には、NSFの一つの決定がある。NSFは"commercial use" を禁止する条項を含むAUP(Acceptable Use Policy)を制定し、NSFnetを商業的に利用することを禁止した。これを契機に数多くの商用インターネット業者が生まれ育っていった。ただし通信の片方が学術・研究目的で使うことは許可されたので、NSFnetを中核として商用ネットが周囲を囲む形が形成された。
NSFの支援スキームでは、例えば期間4年の支援を行うとすると、支援額を徐々に減額していく。その代わりそれを補う形で、運営者にユーザから利用料を取らせ、支援が切れる頃までには商用ネットとして自立させようとする。開発プロジェクトのあるところまではコンソーシアムだが、途中から商業ベースになる。この方式で地域ネットを政府資金から独立させることに成功した。ただしバックボーンについては、NSFnetの後もvBNSをNSFの予算で維持している。
5.1.2 インターネットの国際展開
ARPAnetは政府主導のネットで、且つ、国内のみの展開であったので、ARPAnetに入れなかった米国の大学、民間企業と海外ユーザ向けに設けられたのがCSnetである。これは第2 ARPAnetというべきもので、日本では東大、NTT、ETL、ICOT、SONYが接続した。もう一つの国際リンクはUUNET で、日本では1984年から1987年までJUNET が参加した。
日本では、当初、日米間の接続に学術情報センターや東大の回線を利用したが、国有財産であるということで、民間は利用できなかった。これを救済するためにKDDの研究所がInetクラブという会員制組織を立ち上げ、実費でメールの転送を行なった。
また、IBMのメインフレームコンピュータを繋ぐBITnetが、日本の約80組織(100台以上のコンピュータ)に入っていた。BITnetは、一時期CSnetと合併したが、その後、商用ネットの伸長に伴って両者とも運用が廃止された。
5.1.3 インターネット2とNGI(Next Generation Internet)
NSFnetは1995年4月末まで運用を続けた後に停止した。NSFはこの後、スーパーコンピュータセンターを繋ぐvBNSを始めたが、利用者が少なかったために担当官も「失敗」と認めた。それでvBNSを止めたかというと、発想は逆で、利用を拡大する方向に転じた。すなわち、1年後に100 個所に限定してその他の研究者に開放したのである。この動きがインターネット2やNGIの計画と連動している。
インターネット2ではGigaPopがキーワードである。このGigaPop間を繋ぐのがvBNSであるが、ここに大陸横断鉄道の線路沿いに引いた2.4Gbpsの光高速ネットワークを有するクエスト(Qwest)社が参加してきた。これがAbilene計画である。
2.4Gbps のネットワークは、現時点では余り利用者は多くなく、クエスト社にとっては将来に向けた優れた宣伝戦略であると同時に、ユーザのネットワークと、本来、辺鄙な鉄道沿いにあるAbileneとの接続拠点を増やすための戦略でもある。この計画をゴア副大統領が歓迎し、インターネット2は二つの回線を使えるようになった。
インターネット2は、元来はEDUCOMという大学の連合組織が提案したものである。現在のUCAID(University Corporation for Advanced Internet Development)という組織は後に設立したもの。最初はEDUCOMが計画を発表し、民間にRFPを呼びかけたところから出発した。それに呼応したのはIBM、CISCO社などであるが、現時点では他の企業も支援に回っている。インターネット2はvBNSとAbileneを利用できる。なおインターネット2は本来、米国政府のネットワーク政策(NGI)とは独立のものである。
一方、NGIはクリントン・ゴア政権の選挙キャンペーンとして1996年に出てきたもので、ワシントン主導である。これはK-12までの初等、中等教育機関をインターネットに繋ぐことが中心課題である。
5.1.4 米国の民間企業はなぜ、持ち出しでも政府プロジェクトに参加するか
以上見てきたように、米国のネットワーク関連プロジェクトは数多く存在するが、その物理的インフラは同じ物を用いているものが多い。その好例はシカゴにあるSTARTAPである。同じATMのスイッチをNAP、TAP、MRENなどの複数のプロジェクトが活用している。このように、物理的には同じ物を、論理的には幾つもに言い分けて多くのプロジェクトを走らせ、結果的にいいものを残していくやり方が、米国はうまい。
日本では、このやり方(一つのインフラを複数のプロジェクトで共有させるやり方、言いかえれば、複数の省庁の予算を同じインフラにかぶせるやり方)は会計検査的に許されないだろう。それが無駄を生み出しているケースがある。
また、米国では、既に存在するプロジェクトや民間のプロジェクトを政府関連プロジェクトとして追認するケースも多い。これが、例えば、Abileneの高速性に追随するために、大学のルータの性能向上研究を促進したり、元々存在しなかったユーザ(応用プロジェクト)を開拓したり等の、相乗的な効果をうまく引き出している。
民間にとっては、アーリーアドプタの獲得や普及促進、マーケットの拡大等の効果が得られる。政府の支援は研究費総額の1/4_1/10程度しかなく、残りは持ち出しであるが、ビジネス上の主導権を得ることができるのが大きい。Qwest社も何となく米国政府公認という感じに見える。
例えばスプリント社は、NSFnetの一部として南米や欧州と北米を衛星ネットワークで接続していた。スプリント社はその地域のユーザから見ると、米国の代表に見える。これが効果を発揮して、スプリント社はこれらの地域と米国を結ぶ衛星通信ビジネスで利益を納めた。
今、電話会社の合従連衡が盛んであるが、インターネットに関しては、米国の電話会社(スプリント、MCI)は欧州の電話会社より経験が豊富である。これはNSFnetの頃から開発に参加していたからである。これが海外ビジネスには有利に働く。今となっては力量の差がとても大きい。
現在、インターネットについては、その管理体制の主導権を誰が取るかがポイントとなっている。これは電子商取引の管理・主導権に直接絡む事項であるが、これを絶対手放さないのが米国の戦略である。これに関連する各種団体には米国政府の資金が注ぎ込まれている。また関連組織を非営利団体として政府から独立に作ったとしても、米国の法律、例えば独禁法が適用されることになる。
これに対してわが国は、今、何をなさねばならないのか。日本の製造業が情報技術を駆使すれば、世界に負けない競争力を維持できるが、必ずしも作戦が立っていない。
日本の金融・製造業は自分のシステムをカスタムメードで作ってきた。こんなことを続けていると、国全体で見たときに相互に有機的に結合できず、相乗効果を生むことができない。米国はオープン指向のシステムを作るので、国の総力を結集することができる。それがインフラそのものである。
米国の民間企業が、たとえ持ち出しであっても、政府のプロジェクトに参加するのは、もちろん近い将来に利益になると見ているからである。政府はその動きを利用しつつ、経済的、社会的な発展を目指すし、政治家はそれが票に繋がるので、大いに宣伝に努める。例えば、初等中等教育へのインターネットの導入について、米国の民間企業は熱心にサポートしている。それによって、国のインフラなり、国民のリテラシーが向上すれば、更に次の発展が見込めるので、大きな動機付けが生まれる。また米国では教育がうまく行っていないと感じる国民が多いから、政治家も選挙を意識して熱心に取り組む。
5.1.5 わが国のネットワーク政策の問題点
日本がインターネットに出遅れた原因は、コンピュータ・ネットワーク・プロトコルとしてOSIだけに開発努力を傾けたからである。リスク・マネジメントの観点からは、TCP/IPにも少しは開発リソースを割くべきであった。
1986年の時点では、ICOTや電総研などはTCP/IPネットに繋がっていた。その当時に考えた計画の中に次のようなものがあった。日本のスパコンを使いたい米国の研究者は多い、しかしいろいろな理由で買えない。また米国は日本にスパコンを売り込みたい。そこで日本にスーパーコンピュータ・センターを設立し、そこに日米のマシンを導入して、TCP/IPネット経由で海外からも利用できるようにする。これは双方にメリットがある。さらにコンピュータネットワークも進展する。この活動は通産省の主導で動く予定であった。TCP/IPネットの応用でリードできる素地はあった。
それが、当時の背景をいえば、大学の先生もOSI振興を唱え、それが国の基本方針であると閣議決定され、OSI機器の購入には税制援助も附加された。それが国策となり、通産省の支援プロジェクトがOSI一色になった。そのため、TCP/IPが事実上の世界標準になったときには、大きく取り残されてしまった。
(1) なぜ、OSIが駄目になったか
(2)なぜ、TCP/IPは広まったか。
5.1.6 わが国の研究体制の問題点と有るべき姿
(1)リスク・マネジメントの不備
日本でも、大学や大企業の非主流部門には、TCP/IPについて研究している人々がいた。そのため、TCP/IPにも速やかに対処できた。リスク・マネジメントの観点からは、こうした存在が重要となる。しかし、不況が深刻になってきた現在、企業では非主流の研究は(将来のためには残しておきたいと思っても)切り捨てられている。民間企業、研究者とも将来に賭けるのであれば、自分でチャンス/リスクを取る覚悟がいる。自分の札を持っていないと、世界の競争の場では相手にされない。
同様の理由で、政府支援の研究プロジェクトが効率優先(成果主義)だけになるのは将来、欠乏が生じる恐れがある。また、いくら研究予算総額が増えても、研究分野ごとの予算シェアーが固定化されているのが、あらゆるところで問題を生んでいる。先端技術に集中投資すべきであるのに、物理、化学等に比べて新興分野である情報は後回しにされる。既に成熟している分野は研究者の数が多い、したがって公募しても多くの案件が提案される。これを競争率が等しくなるように選択すると、大きな分野は未来まで大きい。未発達の分野はいつまでも小さい。
(2)わが国の現存する研究ネットワークの不備
わが国の現存する(郵政省、文部省、科技庁管轄等の)研究ネットワークは、大蔵省の予算管理の制約のため縦割り型で、研究者の共同乗り入れが不便である。そのため、通信容量が空いているのにフルに利用されていない回線もある。米国では使われていないネットワークはチェックされて研究予算打ち切りの対象になる。勧誘をしてでも利用者を集めようとする。
わが国の研究ネットワークは、実際には研究関連の業務にも使っている。これでは(場合によってはシステム・ダウンの可能性もある)本当の研究目的には使えない。
政府が構築した研究ネットワークは一般に公開されていない。これは民業圧迫を避けるという原則のためであるが、米国では、ネットワーク運用のポリシーさえ実現できれば、何をやってもよいことになっている。例えば、NASAのネットワークはサイエンス振興を謳っているが、サイエンスが含まれていれば商用利用も事実上は可能となる。日本では目的外の利用が一つでもあればダメ。米国では目的に一つでも合致していればオーケー。ここにベンチャー企業のチャンスが生まれる。
(3)超高速ネットワークの研究プロジェクト(インフラ整備)が重要
ギガビット/テラビットネットワークの研究は段階的にやらないと進めない。途中の段階をスキップできない。米国はギガビットクラスの研究を実行できるところまで来て、成功事例、失敗事例をどんどん集めているが、日本では誰がやるのか。
現在のネットワーク技術は、全て民間に任せられる段階ではない。国が研究資金を負担するインフラによって明らかにしなければならない研究課題がまだまだある。例えば、高速インターネットを大量のユーザが利用する場合のネットワークの振る舞いの研究等は、ネットワークの稼働率等の実績データを公表できない(企業秘に触れる)営利的民間設備を利用していてはできない。
ネットワークだけ超高速のものを用意しても、それを極限まで使いこなせるクライアント側の設備を有する研究者がいない。そのためには超高速のコンピュータを用意する必要がある。そこに新しい研究の種が生まれる。例えば、通産省と郵政省の研究予算を組みあわせる仕組みが必要である。
現在の研究ネットワークではできない研究を進めるための、通産省オリジナルの実験ネットワークを作り、電子商取引などのコンテンツベースの研究プロジェクトのテストベッドとすべき。基盤インフラが揃っていないのでは、応用研究は進まない。ネットワークの運用サービスが日本に残されたビジネスのパイである。ここを伸ばせるような、オープンシステムに対応できる研究の仕組みが必要である。カナダのネットワークはIndustry Canadaが予算を出している。
研究プロジェクトの運営では、失敗した研究の情報公開を成果の一つと考え、積極的に推進すべき。同じ失敗の繰り返しを避け、全体の研究効率をアップさせるためには必須である(これは企業秘密の範疇に関わるケースが多く、商用ネット利用の研究では公開はできない)。通産省は失敗を集めるためのネットワークをサポートすべし。
開発は国が先頭を切ってやらないと誰もやらない。一周り技術開発が終るまでは民間は参加できない。その後、さらにビジネスとして成り立つまでは、国が梃入れしないと根付いて行かない。これを今やらないと取り返しがつかなくなる。
大学の若手の研究者や企業の研究者が、フルタイムで数年間、ノンプロフィットの研究を実行できるように、間接経費も含んだ予算と環境を与えること。
公開原則の元で競争的に研究を進めるほうが、最終的に成果を得られる。新しいことをガラス張り(オープン・システム・ポリシー)でやるには、研究ネットワークでやるしかない。
ネットワークのアクセス系が無線になると免許等が関係して話がややこしくなる。将来は、通信、放送とネットワークが一体になるのが見えているが、電信、放送のような免許事業(郵政省テリトリー)とフリーのネットワークを、どう折り合いを付けるのが問題である。
米国で軍事利用の名目なら多くの研究が大目に見られるように、わが国も錦の御旗を立てるべきである。環境・災害対策がこの候補ではないか。学校の体育館が災害時の避難場所になるなら、率先して体育館に高速ネットワークを引けばよい。それを通常は子供の学習に利用するというように、省庁の連携を図ることが重要である。
5.1.7 環太平洋諸国ネットワーク構想について
(マイケル・マクロビー教授ショートレクチャー)
(1)マイケル・マクロビー教授の略歴
(2)環太平洋諸国ネットワーク構想
1996年から環太平洋諸国を結ぶ、次世代の実験的研究用ネットワークの構築を進めている。
米国側でこの構想の中心になっているのは、全米137の大学と設備を提供する企業メンバーで構成されるUCAID(University Corporation for Advanced Internet Development)で、Internet 2プロジェクトの一環である。
Internet 2のバックボーンは2本ある。一つはNSFがサポートするvBNS(very high-speed Backbone Network Service)で、これは本来、NSFが米国内に複数設置したスーパーコンピュータセンターを遠隔地から利用するための専用ネットワークであったが、その用途だけでは利用率が上がらないので、他の先端的研究用途にもサポートを広げているものである。他の一つはQwest、Cisco、Nortelが設備提供する光ネットワークAbileneである。Abileneのオペレーションセンターはインディアナ大学に置かれている。これは98年9月にベータテストを行い、11月から運用を開始した。
Abileneは元鉄道会社であるQwestが大陸横断鉄道沿いに敷設した8837マイルの2.4Gbpsの光ケーブル(SONET)を利用している。Qwestはこの設備を利用して回線交換機を一切使わずに、IP-over-SONETルータ網で商用IPテレフォニーサービスを行おうとしている。これが完成すれば従来の電話会社の1/10のコストでサービスが提供できるが、Qwestは市内網との接続ポイントを持っておらず、2.4Gbpsの大容量を使いこなすユーザも確保していない。Internet 2プロジェクトに参加すれば、この接続ポイント構築にNSFのサポートを受けられ、大学という先行ユーザも確保できるので、将来のビジネス展開の点から見て非常に有利になる。Abileneは、いずれ10Gbpsに増強される。
アジアと欧州を結ぶ研究用ネットワークも米国を経由するルートがあるが、この中継に従来のようにvBNSを使うと、関係のないトラフィックで米国内のネットワークが逼迫してしまう。そのため、世界中のネットワークと米国内のネットワークを繋ぐ接続ポイント(STARTAP)をシカゴに置いた。上記のAbilene、NSFのvBNS、NASAのNREN、DoDのDRENもここで相互接続されている。
現在、STARTAPへの接続計画がある世界の実験的研究用ネットワークは、カナダからのCA*NET(CANARIE)、欧州からのEUNET、ロシアからのMirNET、シンガポールからのSingAREN、それと日本からのTransPACプロジェクトである。
余談だが、シンガポールは国を挙げてアジアの情報ハブになることを目指しており、同様の構想を持つ日本も、油断をしていると、決断の早いこれらの国々に直ぐに追い越されてしまう危機に瀕している。
米国外の実験的研究用ネットワークの主催者が、そのネットワークのSTARTAPへの接続を意図したとき、米国内に共同研究者を得て接続のためのプロジェクトを起こすと、NSFから研究予算をもらえる。上記のTransPACプロジェクト=マクロビー教授+後藤滋樹教授のケースもその一例である。
TransPACプロジェクトは、APAN(Asia Pacific Advanced Network:アジア太平洋高度研究情報ネットワーク)とvBNSとの接続についてインディアナ大学がNSFに提案して採択されたプロジェクトで、日本側では、科学技術振興事業団の運用するIMNETを活用することとし、当初ATM 35Mbpsの容量の回線経費を米国側と日本側で折半する。インディアナ大学は、NSFから年間約 200万ドルを5年間に渡って受ける予定である。
APANは、アジア太平洋地域のネットワーク資源を有効活用して域内の研究情報流通を促進するため、科学技術庁、文部省、農林水産省、通商産業省及び郵政省等が各々推進しているアジア諸国間ネットワークを相互接続しようとするものである。平成9年8月に「日本APAN連絡協議会」(会長は後藤滋樹教授)を設置して、日本国内におけるAPANに関する活動について連絡調整をしている。現在、東京アクセスポイントを核にアジアで繋がっているネットワークは、日本(IMNET他) 、韓国(KRNET)、シンガポール、オーストラリア(RDN)である。
このようにSTARTAPに世界中の研究用ネットワーク(次世代インターネット)が集まるということは、近い将来に研究段階から広く経済活動が行われる実用段階になったとき、やり様によっては、米国が国内法で世界中の重要な情報を管理できることを意味し、経済的のみならず、安全保障上からも重大な戦略性を持つ。