米国における最近のIT重点分野に関する調査
本項では、バイオテクノロジー研究を「ビジネス」の側面から検討する。これまでに紹介してきた専門的な展望とは対照的に、この分野を支援/維持し、また成長させている一般社会のビジネスに焦点を合わせて説明する。特に、政府の役割を連邦レベルと州レベルの両方について検証するとともに、公共部門と民間部門との相互作用について考察する。また、その流れで、民間の産業から生じる利益と、民間の産業への影響も検討する。さらに、米国の研究開発戦略と優先順位が、バイオテクノロジーの研究開発リソースとインフラストラクチャにどのように影響され、また影響しているかにも言及する。
前の各項で例に挙げた研究プロジェクトの背景には、実際に研究の実施を担っている物理的リソースと人的リソースが存在している。このような主要な国家的プログラムとその他の多数のプログラムによって、政府は、相互に関連し合った研究機関とパートナーシップから成り立つ巨大なバイオテクノロジー研究ネットワークを構築してきた。以下では、2種類のリソースに関する要約を提示する。すなわち、主として連邦政府のイニシアチブまたは常設の基金によるプログラムによって設立されたリソースと、州政府レベルの発意から設立されたリソースである。
下の表3.3は、全米科学財団(NSF)と国立衛生研究所(NIH)によって設立/維持されてきた主要な研究施設と教育センターを要約したものである。NSFは、基礎科学と基礎工学の研究に置く比重が高く、NIHは、臨床医学と保健衛生事業のための生物医学研究を任務としている。この両機関によるプログラムは、相補的な関係にあることが多いが、これは他の研究領域の多くで見られる状況である(第2章の合同機関DLIイニシアチブを参照)。どちらの機関も、それぞれ研究/教育機能の両方の機能を果たしており、米国で最先端に位置する科学的/工学的進歩を生み出すとともに、それに関連した人材を輩出している。下の表には、簡潔を期して主要なセンターのみを挙げている。また、表には明示していないが、その他にも多数の後援機関が存在しており、たとえば、他の連邦政府機関(DOEなど)や民間基金も実際にはスポンサーとなっている。
機関 | プログラム組織 | 遂行している研究所 | 活動と資金(推定) |
NIH www.nih.gov |
米国立医学図書館 www.nlm.nih.gov |
12ヶ所の医学情報学の研究訓練センター:エール大学、コロンビア大学、ピッツバーグ大学、デューク大学/ノースカロライナ大学合同センター、ミネソタ大学、ミズーリ大学、ライス大学/ベイラー大学合同センター、オレゴン健康科学大学、スタンフォード大学、リージェンストリーフ研究所、ユタ大学 |
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国立ヒトゲノム研究所(NHGRI) www.nhgri.nih.gov |
約20ヶ所の学術機関にある研究センター:ベイラー大学、コーポレートヒューマンリンケージセンター、DOE合同ゲノム研究所、ゲノム研究研究所、ローレンスバークレー研究所、ロスアラモス国立研究所、スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校、オクラホマ大学、ユタ大学、ワシントン州立大学、ウィスコンシン州立大学、ワシントン大学、ホワイトヘッド研究所 |
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NSF www.nsf.gov |
工学研究センター(ERC) www.nsf.gov/eec/erc/htm |
研究と教育センター/生体工学のパートナーシップ:ジョージア技術/エモリー大学、ハワイ大学/カリフォルニア大学バークレー校、ジョーンホプキンス大学/ブリハム大学/カーネギーメロン大学マサチューセッツ工科大学/シャディ病院、MITバイオテックセンター、バンダービルト大学、ワシントン州立大学 |
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科学技術センター(STC) http://www.nsf.gov/od/oia/programs/stc/start.htm |
5つの大規模センターと研究教育パートナーシップ:エモリー大学、バージニア州立大学、カリフォルニア大学デイビス校、カーネギーメロン大学、コーネル大学 |
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連邦政府の資金供給を受けたセンターやパートナーシップのほか、州レベルでもバイオテクノロジーの分野に進出する一連の取り組みが見られた。ポストゲノム時代に対する期待の高まりの舞台裏で、米国全土の学術研究機関が州政府からの援助を要請する活動を開始した。米国経済がピークにあった時代には、多くの州がそれに応じた。この数年の間に、生物学、コンピュータ、または情報技術で優秀な業績を上げている研究所が1つでもある州は、ほとんど例外なしに、先進的なバイオテクノロジー・センターの提案や計画を持ち出している。その多くは、提案や計画の段階を超えて進んでいる。あと一歩で実現にこぎつけるところまで進むことに成功したイニシアチブも、少数ながら存在する。こうしたイニシアチブが目指すところは、連邦政府の資金による多様なプログラム(たとえば、ヒトゲノムの研究、情報技術の研究、そしてデータ・リソースやスーパーコンピューティング、あるいは高速ネットワークへの大規模なインフラストラクチャ関連投資など)の成果として飛躍的に前進することが期待されている新しい先端技術を見つけ出して活用することである。この2年間、州がスポンサーになって進められている新しいバイオテクノロジー/生物情報学センターの計画が毎週のように報じられてきた。もちろん、実際には、こうした計画に単なるバイオテクノロジーを超えたイニシアチブの成否がかかっていることは言うまでもない。多くの人が、シリコン(半導体)に取って代わる、生体機能を応用した新しいコンピューティング技術が出現する兆しを見ている。バイオテクノロジー産業機構(BIO)が作成した、バイオテクノロジー分野における州政府の取り組みに関する2001年の報告書には、州レベルの多数の取り組みについて、さらに詳しい情報や検討が記載されている。この報告書は、BIOのWebサイト、www.bio.orgで参照できる。
おそらく、バイオテクノロジーやコンピュータの未来を競っている州の取り組みの中で、新しいパートナーシップに関する積極性と包括性の点でカリフォルニア州の取り組みを上回るものはないだろう。2001年1月に、デービス州知事は、生体工学、バイオテクノロジー、定量生体医学研究(QB3: Bioengineering, Biotechnology, and Quantitative Biomedical Research)の新設を発表した。QB3の目標は、膨大な量の生物学的情報を蓄積して解析するための次世代技術を開発すること、そして画像処理とコンピュータ・モデリングを使用して分子、細胞、単一の器官のシステムを機能的なネットワークの一部として観察および解析することである。このような技法によって、研究者は、相互作用を理解したり、結果を予想したり、研究室の中で生命体の一部を作り替えることが可能になるだろう。
カリフォルニア大学の3校(サンフランシスコ、バークレー、サンタクルーズ)の生物学、コンピュータ科学、化学、物性、工学の各分野からの学際的な研究者チームが、この取り組みを先導する予定である。カリフォルニア州は、この3校の当初資金として1億ドルの提供を約束した。しかし、この資金提供は、この額と釣り合った資金を他の財源から獲得することを条件としている。すなわち、州知事と州議会は、州の資金1ドルにつき、外部の財源(主として、民間産業と連邦政府)からの資金を2ドルとするように要求した。QB3が発表された時点で、(発表での表現によれば)「米国のほとんどすべての優良企業」に相当する200社を超える企業が、すでに資金を約束していたか、あるいは、この新しい研究機関と共同で行う研究/教育プログラムの設立に向けた施策を講じていた。
QB3のような州主導の取り組みは、今後、順調に進むだろうか。カリフォルニアと米国の景気が良かった当時は、誰の目にも、QB3は有望なプロジェクトで、その成功は確実である、と映った。しかし、最近の情勢では、十分な確信をもって先行きを予想できる人は誰もいない。それでも、州政府の役割が揺るぎなく確立されたことは事実である。QB3や他の類似プロジェクトが、今後とも注視すべき重要な実験であることに変わりはないだろう。
バイオテクノロジー研究の領域では、学界、産業界、そして政府機関が、常に歩調を合わせてきた。3つの世界のそれぞれが、新しい知識、技術、財源、事業を一貫して探求する中で、他の2者から支援を受けている。情報技術とバイオテクノロジーの相互作用が強まるにつれて、この相互依存は、より重要性を増しながら、ときには意外な展開をたどることになるだろう。以下では、まずヒトゲノム計画を再び取り上げることにする。
ヒトゲノム計画は、着実ながら地味な形で徐々に成果を上げていたが、その半ばに達した頃、劇的な出来事が起こった。1998年、つまり、HGPによるシークエンシング作業の予想完了時期の5年前、メリーランド州ロックヴィルの大胆不敵な新興企業、セレラ・ジェノミクス(Celera Genomics)が、ヒトゲノムを解読する独自のプロジェクトを発表したのである。また、新しい技術的アプローチを採用し、完了日を大幅に早めるという発表も、関係者を驚かせた。全面的に公的資金を土台としているプロジェクトであるHGPのアプローチは、丹念さと正確さを意図的に追求しているものと見なされてきた。HGPによる配列特定プロセスは、まずゲノムを繰り返し細分化して、そのサイズを減少させてゆく。そして、各断片をさらに小さく細分して、各断片のDNA配列を読み取り、最終的に、断片の配列を一定の順序に従って組み立てる。ところが、セレラ社は、もっと近道を取り、「ショットガン」シーケンシング法と呼ばれる手法を採用した。この方法は、すべての遺伝子を同時に断片に裂き、その後で、コンピュータの力を借りて断片からゲノム全体を構築する。同社が重視しているのはコンピュータの力であり、情報技術の利点を最大限に活かして、アルゴリズムを利用して大量のデータの配列を決定する。結果として、スピードと効率が得られる。セレラ社の手法が有効であることを認識したHGPは、自分たちの手法とスケジュールを変更し、目標とする完了日を前倒しした。結局、ヒトゲノムの史上初のドラフトの完成を競って展開されたこのレースは、いわば「申し合わせた」引き分けに終わり、両方の成果を同時に出版することで終結した(HGPの成果はネイチャー誌2001年2月15日号に、セレラ社の成果はサイエンス誌2001年2月16日号に掲載された)。
このレースが「円満解決」したにもかかわらず、今日まで、科学界は、この2つの異なるアプローチの相対的な利点について議論を続けている。しかし、スピードと効率を重視する民間企業が、巨大なリスクをあえて引き受ける形で競争状態を生み出したことが、公的なHGPプロジェクトに大きな影響を与えたことは明らかである。結局、本当の勝者は、科学と一般社会であったということになる。
そのほか、多くの研究開発プログラムによって生じた顕著な影響として、米国や世界全体で民間の企業や事業体が激増したことがある。前述のように、従来から、バイオテクノロジーは常に活気のある産業であった。しかし、ヒトゲノム研究から生じた高い期待は、DNAチップからプロテオミクスまでにわたる幅広い技術領域と応用領域に多くの企業を生み出した。
スタンフォード・イン・ワシントン・プログラムによって新たに発行された調査によれば、約260社の中小企業がほぼ20ヵ国に存在している。米国は193社で最も多く、ドイツが16社、カナダが13社、英国が10社、オーストラリアが4社、そして日本が3社である。この調査結果は、スタンフォード大学のWebサイトhttp://www.stanford.edu/class/siw198q/websites/genomics/genomefirms.htmで閲覧できる。長年にわたって研究に莫大な資金を投資してきたことを考慮すれば、米国が大きくリードしていることは当然である。下の表3.4に示した公的財源と非営利の財源による資金提供状況を一瞥すれば、この点が明らかになる。しかし、資金と企業数の間に、直接の相関関係は存在しない。
国または地域 | 1998 | 1999 | 2000 |
米国 | 402 | 536 | 627 |
日本 | 119 | 157 | 352 |
英国 | 126 | 201 | 244 |
カナダ | 0 | 3 | 156 |
EU | 23 | 105 | 108 |
ドイツ | 20 | 20 | 103 |
フランス | 11 | 13 | 49 |
その他 | 21 | 106 | 163 |
合計 | 721 | 1,141 | 1,805 |
出所: http://www.stanford.edu/class/siw198q/websites/genomics/content.htm
注意:1. 米国には、NIH、NSF、そしてエネルギー省からの資金が含まれている。
2. 日本には、経済産業省と文部科学省の資金が含まれている。
(広義の)生物情報学ビジネスにおける新しい米国企業についてのイメージが得られるように、表3.5に代表的な企業とその技術/事業の重点領域の例を示した。こうした企業は、ポストゲノム時代における生物情報学の系列全体を包括すると見なされるさまざまなカテゴリーに分類され、ゲノミクスから、プロテオミクス、細胞情報、組織情報、人体器官、そしてフィジオーム(すなわち、データベースとモデルを使用して、細胞から、器官、人体全体までにわたる人体機能を総合的に研究する領域)までに及んでいる。さらに、ITツールを重視するデータ・マイニング/ビジュアリゼーションの領域も、この表に含めている。ただし、下に例として挙げたのは、数百社のうちの2〜3社にすぎない。さらに多くの企業がこの分野に登場し、また多分、消え去って行くであろう。各社の生き残り、成功、失敗の足取りは、次の10年の新しいバイオテクノロジー産業の歴史の物語となることだろう。
生物情報学の焦点 | 代表的な企業 |
ゲノミクス | Celera、Human Genome Sciences、GeneLogic |
プレテオミクス | Axcell、Ciphergen |
細胞情報 | Cellomics、Aurora |
組織情報 | Tissue Informatics、Resolution Sciences、Chromavision |
人の器官 | すべてのCT/MRI画像処理企業 |
フィジオーム | Physiome Sciences |
データの蓄積、発掘、視覚化 | Informax、Spotfire、Silicon Genomics |
出所:WTEC report on Tissue Engineering ミ An International Assessment (www.wtec.org)
疑いもなく、今後数年間にわたって、ポストゲノムの研究とバイオテクノロジー全般の成果から、情報に基づく製品とサービスが次々と一般社会の中に出現してくるだろう。そうした製品が生活に対して及ぼす影響は劇的で、しかも(すべてではないが)ほとんどの場合に歓迎されるだろう。農産物から、教育、医学的診断、ヘルスケア、環境、そして省エネルギーに至るまで、人々の日常生活のあらゆる面とお互いの対人関係のあり方が、結果的に(願わくばより良い方向へと)様変わりしてゆくだろう。本項では、2つの例によって、医学的診断と公共政策が、バイオテクノロジーの分野で生じている科学の変化からどのような形で大きな影響を受ける可能性があるかを検証する。
ゲノミクスやタンパク質解析を利用して病気の診断をより的確に行う方法について研究者が報告する、といった形で、新しい成果がほとんど絶え間なく出現している。たとえば、ここで簡単に報告するに値する事例として、卵巣癌を検出するための血液検査という最新の画期的な発見がある。この検査は、国立癌研究所(NCI)の科学者チームによって開発されたものであり、コンピュータを駆使する人工知能プログラムを使用して、癌患者の血液中に検出される特異なパターンの小さなタンパク質を探し出す。このタンパク質の分離はゲノミクス科学を応用した成果であり、ヒトゲノム研究の副産物である。シカゴのノースウエスタン大学で行われた予備的な実験で、この検査は卵巣癌の女性から採取した50件のサンプル中、50件を正しく識別できた。また、癌患者でない女性から採取したサンプル66件中、63件を正しく識別できた。さらに、第1段階にある癌患者のサンプル18件すべてを正しく識別した。これは、94%の予測率であり、癌罹患状態の25%しか識別できない従来の超音波検査と比べて、非常に有望な結果である。現在、このような結果が大規模なサンプルでも確認できるかどうかを検証する臨床試験が進行中である。もし成功すれば、この検査はポストゲノム医学における巨大な一歩になるだろう(この研究の詳細はランセット誌2002年2月7日号に掲載されている)。
米国では、研究開発投資に対する公共政策が、多くの面で(一般社会だけでなく、科学界や産業界からも)影響を受けることがある。このような影響は、微妙な形で徐々に形成されることが多い。しかし、次の2つの例は、ポストゲノム研究への熱狂的な期待が及ぼした影響が尋常なものではなかったことを示している。
NIHが新しい研究所を設立
2000年12月、米議会は、この分野で達成された科学的業績と、主要な連邦政府機関が現行および将来の研究の調整に携わる必要性を認めて、国立衛生研究所に、新しく国立生体医学画像/生体工学研究所(NIBIB)を設立する法案を可決した(公法106-580)。昨年、ブッシュ大統領は、研究/教育活動を実施する初期の予算として総額1億1,200万ドルをNIBIBに提供する2002会計年度の政府歳出予算案に署名した。これは、他のNIHの研究機関(国立癌研究所、ヒトゲノム研究所など)に比べて金額は小さいが、情報技術が生体医学の主流に移行する動きを活性化する強力な起爆剤である。NIBIBは、コンピューティング、情報科学、バイオテクノロジーの交差領域における広範な活動を支援するプログラムをすでに精力的に進めている。その主要な任務は、他のNIHプログラムや他の機関で実施されている活動を繰り返すことではない。むしろ、その目標は、連邦政府の活動領域全体にわたる多数のプログラムの間で促進役や調整役を果たし、科学の進歩と先端技術の創出の加速を助けることである。NIBIBの設立は、NIHに対して、また今後数年間のバイオテクノロジーの未来に対して、大きな影響を与えることを期待されている。
NSFが新たな学際的プログラムを発表
NIBIBは、この分野の生体医学の側を活性化させる役割を担っているが、国立科学財団(NSF)は、最近、コンピューティング、生物化学、生体工学の交差領域で学際的な研究作業を推進するために考案された、新しい基礎研究プログラムを発表した。その内容を以下に示す。
言うまでもなく、連邦政府の機関の中でバイオテクノロジー研究で広範囲の権益と責任を持っているのは、NIHとNSFの2つだけである。他のプログラムも、特にエネルギー省とDARPAの内部で、特定の任務に合わせて調整された形で急激に増加してはいるが、比較的短期的な取り組みであることが多い。そうしたプログラムについてここでは説明しないが、その影響を看過すべきではない。