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米国における最近のIT重点分野に関する調査

3.2 連邦政府のイニシアチブの進展

 もし過去10年間、バイオテクノロジーの分野でタイムリーな研究開発プログラムが存在しなかったとしたら、上記のような変化は(少なくとも、このような速さでは)生じなかっただろう。これまで、バイオテクノロジー産業は、革新的な新製品に関する研究では優れた実績を上げている。しかし、そうした取り組みは、市場のニーズに合わせた短期的な研究であることを余儀なくされてきた。幸い、バイオテクノロジー産業の推進力となる長期的な基礎研究に関しては、米国政府がこのギャップを埋めようとしてきた。本項では、バイオテクノロジーの情報化時代を実現する役割を果たした主要なプログラムについて概観する。

A. 「脳の十年」イニシアチブ

 1980年代の末期、コンピュータ、インターネット、そしてブラウザが科学界に浸透し始めて間もない頃、情報技術とバイオテクノロジーの結び付きによって、一段と高邁かつ遠大な野心的イニシアチブが生み出された。研究者たちは、コンピュータとネットワークの処理能力と膨大なリソースを使用して、最も複雑な人体器官である脳に関する知識を進歩させたいと考えたのである。人間の脳、この信じがたいほど優れた設計の驚異的な器官、学習、記憶、計画、思考、意思決定、対話を可能にし、人間をまさに人間たらしめるあらゆる能力を実現している器官、そして人間の身体的/精神的な健康を常に正しく制御している器官である脳は、これまで生物学上の謎として研究者の探索の手から逃れ続けてきた。科学者、政策立案者、一般大衆など、誰もが、その謎の解明を欲した。

  そのような状況で、当時の連邦科学工学技術調整審議会(FCCSET)は「人間の潜在能力の最大化:脳の十年」という報告書を刊行した。この報告書は、20の連邦政府機関の代表者から成る委員会によって編纂されたもので、10年間の投資を受ける9つの研究領域を包括する総合的な脳研究を、国家規模まで拡大したイニシアチブのあらましを解説している。これは、基礎研究、先端技術、国際協力という3つのテーマに沿って展開される。こうした裏方の作業と並行して、第101連邦議会は、1990年代を「脳の十年」として宣言する両院の合同決議に署名した。ブッシュ大統領(父)は、その路線に沿った声明書を公布し、学際的研究を通じた中枢神経系の研究に対して、多数の政府機関にまたがって連邦予算の相当な割合を投じることを宣言した。また、同大統領は、米国の民間セクター(基金/財団と産業界)に対して、脳機能に関する知識を開放して脳疾患の克服を図る目的で、科学者や厚生関係の専門家を支援する政府機関の動きに同調するように要請した。

  この宣言の後を追って、全米衛生研究所(NIH)や全米科学財団(NSF)をはじめとする複数の機関が、過去10年間に姿を現したコンピュータ神経科学の確立と重要な進歩のための基礎を築くプログラムを開始した。特に、NSFは、1991年に、脳科学に関する学際的研究を中心とした包括的な「脳の十年」プログラムを実行に移した [B2]。
このプログラムで重点が置かれているテーマの中には、神経の機能と振舞い(言語、認知、およびその他の知覚システムなど)の研究にコンピュータ・ツールを適用することがある。このNSFのプログラムと、NIHの資金によって運営された多数のプロジェクトの成果として、細胞の神経科学と神経組織網の研究にコンピュータによる数値演算モデルやツールを適用する方法が大きく進歩した。その最適な例は、GENESIS(GEneral NEural SImulation System:総合神経シミュレーション・システム)である。これはモデリングとシミュレーション技術による神経科学の研究のための対話型コンピュータ・システムである [B3]。現在、GENESISは、全世界の学術研究や教育機関で広く使用されている。

  NSFのプロジェクトのほかにも、他の複数の連邦政府機関にわたって小規模なプログラムが実施されたにもかかわらず、「脳の十年」はほとんど注目を集めることなく終結した。たしかに多くの分野で多大な進展が見られたが、画期的な成果は少なかった。しかし、それ以来、情報技術、生物学、神経科学の間には、強い結び付きが確立されることになった。

B. 21世紀のバイオテクノロジーのイニシアチブ

 1993年に、政府当局は、FCCSET委員会がライフサイエンスと健康について刊行した報告書『21世紀のバイオテクノロジー - 約束の実現』に基づいて、バイオテクノロジーに関する新たなプロジェクトを立ち上げた。バイオテクノロジーが社会に与える深い影響と、グローバル・エコノミーの中で急成長するこの産業分野における米国の地位の不安定さを認識して、FCCSETは、1994会計年度の政府予算の中で、バイオテクノロジー研究を最重点領域として選択した。
このプロジェクトの目標は、「21世紀のバイオテクノロジー研究における米国のリーダーシップを維持拡大すること、全米国民の生活の質を高めること、米国経済の成長を活性化すること」であると言明されている。この最終目標を達成するために、このプロジェクトは、以下の戦略的目標を設定している。

顕著な特色

 このイニシアチブには、指摘するに値する重要な特徴がいくつか存在する。第1に、この年の予算総額案は43億ドルであるが、実際の増額分は、前年のほぼ7%に相当する約2億7,000万ドルに過ぎない。第2に、幅広い目標が掲げられたことから、多数の連邦政府機関がプログラムの計画立案に参加した。しかし、現実には、プログラムを実施するプロセスの中で大きな役割を果たしたのは、少数の機関だけであった。そうした機関は、バイオテクノロジー分野における主要な研究開発を担当している、いわば常連の機関であり、具体的には、全米衛生研究所、全米科学財団、エネルギー省、米国航空宇宙局、農務省であった。そして、このような政府機関が、このイニシアチブの全領域にわたる予算総額と研究活動全体の80%以上を実施した。第3に、このイニシアチブは、2つの相補的な要素、すなわち、研究とインフラストラクチャの適用範囲を定義するフレームワークによって特徴付けられている。研究に関しては、参加機関のミッションの多様性を反映して、研究領域は、農業、エネルギー、環境、健康、製造、そして一般的基礎分野と多岐にわたっている。しかし、このプロジェクトが後続の年に実施段階へと移行するにつれて、構造生物学、海洋バイオテクノロジー、ゲノム計画の3つの領域が特に注目を集めた。明らかに、この3つの優先的研究領域のうち、2つの領域、すなわち、構造生物学とゲノム研究が、バイオテクノロジーをコンピュータによる数値演算の舞台へと押し上げる原動力となったことは疑いないことである。

新しいパラダイムの源

 インフラストラクチャの要素に関しては、このイニシアチブは、従来の物理的な設備(購入、建設、保守)、計器類(特殊装置あるいは専用装置)、および人材といった態勢をはるかに超えたリソースの集合に重点を置いている。また、バイオテクノロジー研究に不可欠な重要な要素として、幅広い共有データ・リポジトリ(例: DNAクローン・ライブラリ)やその他のデータベースと情報リソース、あるいはバイオテクノロジー研究に関連した参照基準などが挙げられる。イニシアチブにおけるこの新しい方法論は、「ウェット」なラボ実験科学のみに依存している伝統的な研究パラダイムからの離脱を意味する。このようなシフトは、上で述べたような構造生物学やゲノム研究における計算の重視と共に、生物学および関連産業における革命的変化の始まりを告げている。

C. ヒトゲノム計画(HGP)

 ヒトゲノム計画(HGP)は、生活の質を変える可能性を秘めた米国の研究プロジェクトと評されることも多いが、実際には、1990年10月に正式に開始された、国際的な取り組みである。米国では、まず最初にエネルギー省(DOE)が、すぐ後に続いて国立衛生研究所(NIH)が、このプロジェクトの計画と推進を担う指導的な機関となった。1988年まで、この2つの機関は、初期のイニシアチブと戦略的計画の作成に共同で携わり、「ヒトゲノムに関する研究と技術的活動を調整する」趣旨の協定書(覚書)に最初に署名した。この初期の計画段階は、共同研究計画書『遺伝の解明 - 米国ヒトゲノム計画』の刊行で一段落し、これがHGPプログラムへと引き継がれることになった。

目標と前倒しされたスケジュール

 HGPの最終目標は、NIH/DOEの報告書によれば、「ヒトゲノムの詳しい物理的な遺伝子地図を作成すること、人のDNAの完全なヌクレオチド配列を特定すること、ヒトゲノム内の推定50,000〜100,000個の遺伝子の位置を特定すること、そして研究室の中でモデル・システムとして広く使用されている他の生物のゲノムに対して同様の分析を行うこと」である。一部のマスコミは、このプロジェクトのコストが30億ドルであると報道している。しかし、実際には、この数字は、1988年から2003年までの15年間に、ゲノム関連の広範な科学活動に投じられる総資金の予想額である。この金額の中には、人間の疾病、実験用生物(バクテリア、酵母、虫、ハエ、ネズミなど)、生物学的/医学的研究のための新しい先端技術の開発、コンピュータを利用したゲノム解読手法、そして遺伝学に関連する倫理的、法律的、社会的問題といった研究テーマが含まれている。HGPへの一般の関心の大半は、ヒトゲノムの配列に向けられているが、ヒトゲノムの配列というテーマは、15年間に及ぶ取り組みの中では、研究全体の糸口となる小さな部分にすぎない。

  最終目標を達成するために、初期の研究計画では、1990〜1995年の最初の5年間に関する個別目標を設定して、最も重要な研究対象に注力することになっていた。しかし、蓋を開けてみると、プロジェクトは最初の数年で予想より早く進行したため、1993年に、NIH/DOEはゲノム研究の当初の目標と範囲を拡大する方向で1990年の計画を見直すことを決定した。新しい目標は、1993年のサイエンス誌(Science: 262号、1993年)に発表された記事の中で説明された。その後、この目標とHGP計画は、1998年に再び更新され、プロジェクトの最終段階に当たる1998〜2003年の新しい目標と計画を提示した。この最終計画も、サイエンス誌(Science: 282号、1998年10月)に掲載された [B5]。

戦略的パートナーシップ

 HGP計画は、公的資金によって設立されたコンソーシアムで、次の5ヵ所の主要なシークエンシング・サイト("G5" とも呼ばれる)が含まれる。すなわち、DOE合同ゲノム研究所(DOEの国立研究所にある3つのゲノム・センターを統合した施設)、ベイラー医科大学、ワシントン大学ゲノム配列分析センター、ホワイトヘッド研究所/MITゲノム研究センター、および英国ケンブリッジに近いサンガー・センターである。そのほかにも、この国際的な取り組みに全世界の研究所が参加し、特に、日本、フランス、ドイツからは大きな貢献が得られた。1,100人を超える研究者が、10年以上にわたる共同作業を通じて、ヒトゲノムを作り上げている30億のDNA塩基対の連鎖地図を作成する同定作業に没頭した。NIHのヒトゲノム計画研究所は、DOEのヒトゲノム・プログラムと並んで、この取り組みを調整するオフィスとしての役割を果たした。NIHとDOEは、10年間の取り組みの間、継続して米国政府の資金供給を受けた。表3.1は、1988年から200年まで研究資金がこの2つの機関のプログラムの間でどのように配分されたかを示している。

表3.1 ヒトゲノム計画に対する資金供給の状況1988〜2000年(百万ドル)
会計
年度
1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000
DOE 10.7 18.5 27.2 47.1 59.4 63.0 63.3 68.7 73.9 77.9 85.5 89.9 88.9
NIH 17.2 28.2 59.5 87.4 104.8 106.1 127.0 153.8 169.3 188.9 218.3 225.7 271.7
合計 27.9 46.7 86.7 134.8 164.2 169.1 190.3 222.5 243.2 266.8 303.8 315.6 360.6

出所:エネルギー省 www.ornl.gov/hgmis/project/budget.html

 この表は、HGPプログラムの速い進捗に関連して、2つの注目すべき事実を明らかにしている。第一に、米国政府によるこの取り組みへの投資の確約が一貫して守られ、投資額が(HGPの正式な発足に先立つ数年を含めて)12年以上にわたって着実に増加している。インフレーションを考慮しても、この増加は相当な額になる。HGPの性格が当時の一般大衆にはほとんど知られていなかったという事実を考慮すると、これは政府予算編成の中でまったく異例のことである。第二に、資金の分割、それゆえに管理の責任がプログラムが進行するにつれてNIHにシフトした。これは、重要な事実である。なぜなら、保健衛生と生物医学研究の領域におけるNIHの使命が、エネルギーと環境に焦点を合わせているDOEと比較して、ポストゲノム研究の方向性により大きな影響を与える可能性が高いことを意味するからである。後の項で検討するように、今後、NIHがバイオテクノロジー産業に与える影響は拡大するだろう。

ゲノム配列のドラフト・シークエンスの完成

 政府からの資金供給の確約、画期的に進歩したアミノ酸配列分析技術、コンピュータ利用型ツール(照合アルゴリズム、検索技術、ネットワーク化データベース)による支援、そして国際チームの献身的な取り組みのおかげで、HGPの作業は急ピッチで進展した。結局、最終段階の5年計画の中でプロジェクトの完了を2003年と予想した期間の見積もりは、悲観的すぎたことが判明した。スケジュールより3年早く、2000年6月26日に、ホワイトハウスの記者会見で、大統領はヒトゲノムのDNA配列の「ワーキング・ドラフト」の完成を発表した。その後、HGPの配列成果の完全な解析を掲載した技術文書が出版された(ネイチャー誌の特集号の巻頭記事を参照 - Nature: 2001年2月15日)。こうして、HGPは、スケジュールより早く、しかも予算より低いコストで完了した、数少ない連邦政府事業の1つとなった。これは科学界と一般社会の両方にとって稀に見る成功事例であった。

  予想を嬉しい形で裏切ることになったこの成功の背景には、多くの理由が存在する。次の項では、この領域における他の政府系/民間系プロジェクトと関連付けながら、この成功の内容と推進要因の一部を検証してみる。さらに、バイオテクノロジーの未来に対して、こうしたプログラムが全体としてどのような影響を及ぼし、どのような意味合いを帯びてくるのかについても検討する。

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