本章では1990年代、主にクリントン政権下の米国連邦政府が実施してきた情報技術開発政策をハイエンドコンピューティングを中心に概観し、次に2001年度予算に提案された情報技術観覧研究開発の動向をまとめる。
2.1 1990年代の米国政府のハイエンドコンピューティング研究開発支援政策
(1)連邦政府組織(http://www.ccic.gov/orgchart.html)
1976年に設置された科学技術政策局(OSTP : Office of Science and Technology Policy)は科学技術に関する政策および予算について大統領に助言する組織であり、国家科学技術委員会(NSTC
: National Science and Technology Council)を統括している。この国家科学技術委員会は連邦政府として科学技術への投資についての明確な目標を立てるために、閣僚レベルで科学、宇宙、技術政策を連邦政府として横断的にコーディネートすることをそのタスクとして1993年にクリントン政権により設立された。
ハイエンドコンピューティングに対応するものとして、国家科学技術委員会配下の技術委員会(CT : Committee on Technology)の中に設置されているコンピューティング・情報・通信小委員会(CIC
: Subcommittee on Computing, Information, and Communications R&D)がある。
このCIC小委員会でマルチエージェンシーの高性能コンピューティングおよび通信(HPCC : High Performance Computing and
Communications)計画を立て、予算化、実施、レビューを行っている。ここでまとめられた通称ブルーブックが予算教書への科学技術に関する補足をしているドキュメントであり、一般に公開されている。このブルーブックの内容を調査することによりアメリカの高性能コンピューティング開発動向をある程度読みとることが出来る。(http://www.ccic.gov/pubs/blue00/)
(2)政策の流れ
1990年代の米国におけるアメリカのハイエンドコンピューティング開発を目的とした政策、主なイニシアチブを表2.1に示した。なお年号は特に断らない限り予算年度ではなく暦年である。
ここ10年間の米国におけるハイエンドコンピューティング開発の道筋は1991年当時上院議員であったゴア現副大統領が提案した高性能コンピューティング法(High
Performance Computing Act of 1991)で決定的になり、HPCC計画、CIC計画と発展し、1999年からは「21世紀基礎研究ファンド」として予算項目にあげられ、基礎研究への投資も手厚くするようになった。更に大統領直属情報技術諮問委員会(PITAC
: President's Information Technology Advisory Committee)の報告を受けて「21世紀に向けた情報技術:IT2」イニシアチブを作り、民間企業では実施が難しい、行われることの少ないハイリスクかつ長期間の基礎研究に重点を置いた追加予算措置をとった。PITAC勧告値では2000年度予算での1999年度予算に対するHPCC予算増額は、4億7,200万ドルであったが、予算要求額は3億6,600万ドル、認可額はPITAC勧告値の半額2億3,600万ドルとなった。(http://www.ccic.gov/it2/)
過去に連邦政府が行った基礎研究支援の成果であるインターネットを利用した経済活動により建国以来最長期間の経済成長を遂げたという事実を背景にして、21世紀での国家繁栄のためには科学技術の基礎研究がますます重要になるという認識のもと、下院の科学委員会では、情報技術分野への研究開発予算を単年度ではなく、向こう5年間にわたり予算を認めて、より長期の開発を実施しやすくすることを目的とした「ネットワーキングおよび情報技術研究開発法(NTIRD法
: Networking and Information Technology Research and Development Act)」案を提案し、2000年2月には下院を通過し上院に送付された。
表2.1 1990年代米国の政策
|
西暦
|
政策(法案、主なイニシアチブなど)
|
1991年
|
高性能コンピューティング法(HPC法 : High Performance Computing Act of 1991)成立(ただし5年間の時限立法) 同時にHPCC計画立案 |
1991年
|
ペタフロップスイニシアチブ発足 |
1995年
|
加速的戦略的コンピューティングイニシアチブ(ASCI : Accelerated Strategic Computing Initiative) 本報告書ではASCI計画と称す |
1996年
|
CIC計画(HPCC計画の継承計画) 96年度でHPC法が失効したが、立法措置はとらず。 |
1998年
|
次世代インターネット研究法(NGIR法 : Next Generation Internet Research Act of 1998)成立。1991年のHPC法の修正。 |
1999年
|
「21世紀に向けた情報技術:IT2」イニシアチブ 2000年度予算としてHPCC計画予算とは別枠で予算要求。 |
2000年
|
NTIRD法(Networking and Information Technology Research and
Development Act)案 2月下院通過。 1991年のHPC法の修正。2000〜2004年度の支出認可案。 |
また、クリントン政権発足当時から取り組んでいる包括的核実験禁止条約(CTBT : Comprehensive Test Ban Treaty)を批准するという目的に密に対応した活動として、エネルギー省(DOE : Department of Energy)の行っている核兵器保全管理計画(Stockpile Stewardship and Management Program)を高性能コンピューティングでバックアップする加速的戦略的コンピューティングイニシアチブ(ASCI : Accelerated Strategic Computing Initiative)がある。このASCI計画は1995年から2004年までの10年間で10億ドルを投資するという計画である。
米国の2001年度予算案は2000年2月7日にクリントン大統領によって発表された。 (http://w3.access.gpo.gov/usbudget/fy2001/pdf/budget.pdf)
各省庁からも議会説明用の予算資料が公表されている。それらとは別に、クリントン大統領は年明けから重点施策説明のための遊説を全国各地で行っていて、発言内容は文書化され国務省から公開されている(http://usinfo.state.gov/)。以上の公開情報をもとに情報技術分野でどのような研究開発を計画しているのかという点に的を絞って見ていく。
以下に、内容に重複があるがクリントン大統領が説明の中で強調している21世紀基礎研究ファンド(21st Century Research Fund) と情報技術研究開発(Information
Technology Research & Development)を先に見て、その次に大統領予算教書に示された連邦政府予算案(Budget of the
United States Government)、IT2計画の強化継続策の「ネットワーキングおよび情報技術研究開発法(Networking and Information
Technology Research and Development Act)」案、DOEのASCI計画関連予算の概要を順次紹介する。
連邦政府の研究開発予算内容を細かに紹介した文書は身近にあまりないと思われるので、冗長の感はあるが取り組みテーマがある程度把握できるようにした。
2.2.1 予算の概要
2001年度の連邦政府予算は総額1兆8,350億3,300万ドル、そのうち研究開発費予算は853億3,300万ドルであり、4.6%に当たる。研究開発費予算の内訳は次の表2.2のようになっている。基礎研究は13億ドル増と大きくのびている。
表2.2 研究開発費予算の推移 (単位:100万ドル)
|
種別
|
1999年度
実算 |
2000年度
見込み |
2001年度
要求 |
2000年度
比増分(%) |
基礎研究
|
17,468
|
19,027
|
20,328
|
7
|
応用研究
|
15,915
|
17,193
|
18,026
|
5
|
開発
|
44,302
|
44,017
|
44,321
|
1
|
機器類
|
1,015
|
1,026
|
1,137
|
11
|
設備類
|
1,612
|
1,427
|
1,521
|
7
|
合計
|
80,342
|
82,744
|
85,333
|
3
|
(出典:予算教書99ページTable 5-2より抜粋)
|
以下の説明での予算金額は、切り口がイニシアチブによるもの、あるいは担当省庁によるものなどが適宜用いられているので注意していただきたい。
2.2.2 21世紀基礎研究ファンド(21st Century Research Fund)
428億9,500万ドルの予算要求で、非軍事研究としては過去最大の前年度比増額(29億ドル)要求となっている。主要計画は下記の4項目である。
これは前項の4に対応する計画であり、情報技術分野の研究開発費は2000年度比5億9,400万ドル増の23億1,500万ドルの予算要求となっている(表2.3)。増額の内訳を見るとNSFが2億2,300万ドル、DOEが1億5,000万ドル、DODが1億1,500万ドル、NASAが5,600万ドル、DHHSが4,200万ドルとなっている。
表2.3 情報技術研究開発予算要求額 (単位:100万ドル)
|
省庁
|
2000年度予算
|
2001年度予算
|
増分(%)
|
DOC(NOAA、NIST) |
36
|
44
|
22
|
DOD(DARPA、NSA、URI) |
232
|
397
|
41
|
DOE |
517
|
667
|
29
|
EPA |
4
|
4
|
0
|
DHHS(NIH、AHRQ) |
191
|
233
|
22
|
NASA |
174
|
230
|
32
|
NSF |
517
|
740
|
43
|
合計
|
1,721
|
2,315
|
35
|
2001年度の重点分野として以下の11のテーマがあがっている。
研究開発予算は、予算教書第4章「21世紀のアメリカを強化するには」の第5節「研究を促進する」に12ページにわたって取り上げられている。その前文には米国経済の発展に対する科学技術の貢献が書かれており、1999年に、「アメリカのための21世紀基礎研究ファンド(the
21st Century Research Fund for America))」をおこして、NIH(National Institutes of Health:国立衛生研究所)、NSF(National
Science Foundation:科学基金)、DOE(Department of Energy:エネルギー省)での基礎研究を中心にコンピュータ、通信、エネルギー、環境その他の分野への調和しかつバランスの取れた資源の投資戦略を採ってきていると主張している。
ここで言っている「調和しかつバランスの取れた」という意味は、ヘルスケアを例に取ると、その発展には医学医療分野だけではなく、その周辺技術である医療イメージング技術やコンピュータを活用して初めて実現できる新薬の早期開発およびヒトゲノムのマッピング技術などのブレークスルーにも大いに依存しているのだという認識を指している。要するに基礎および応用の両面にまたがり、相互に関連する領域の研究開発を上手に組み合わせて、得られる成果を増幅しようという姿勢である。
ベースになっているのは前述の「21世紀基礎研究ファンド」であり、2001年度では2000年度比29億ドル増(7%増)の429億ドルを予算要求している。特に(1)基礎的かつ長期の研究への投資を強化する、(2)ヘルスケア研究と他の領域とのバランスを取る、(3)大学ベースの研究を強調する、(4)国家としてプライオリティーの高い戦略的な研究への支援増加をその狙いとしている。2001年度に予算が大幅に増加したナノテクノロジー開発支援はその好例である。
そのほかバイオ関連や既に実施している情報技術分野の研究開発に対しても基礎研究の強化、先端的スーパーコンピュータ応用プログラムへの支援増加も行っている。対象となっているのは、NSF、DOE、NASA(National
Aeronautics and Space Administration:航空宇宙局)、DOD(Department of Defense:国防総省)、DOC(Department
of Commerce:商務省)などの省庁である。
全研究開発予算(Research and Development Investments)は2000年度比3%増の853億3,300万ドルとなっており、そのうち非軍事関連予算は51%である。
科学技術イニシアチブで米国の重点テーマとして取り上げられている個別イニシアチブを抜き出すと次のようになる(予算教書100ページTable 5-3)。
以下に、情報技術分野に関連するものを中心に予算主要項目の内容を紹介する。
2.2.3.2 連邦政府機関での研究開発投資
2.2.4 ネットワーキングおよび情報技術研究開発法案
2001年度予算教書とは別に、IT2計画の強化継続策として、2000年度から2004年度の5年間にわたり計画的に情報技術分野への政府支援を行うことを目的とした「ネットワーキングおよび情報技術研究開発法(NITRD法
: Networking and Information Technology Research and Development Act)」案が第106議会下院本会議に上程され、2000年2月15日下院を通過し上院に送付された。
この法案は、下院科学委員会が提案したもので1990年代米国での高性能コンピューティング開発の端緒となった1991年の「高性能コンピューティング法(HPC法
: High-Performance Computing Act)」(1998年の「次世代インターネット研究法(NGIR法 : Next Generation
Internet Research Act)」により既に修正されている)を今回更に修正してNSF、NASA、DOE、NIST、NOAA、EPA、NIHの研究開発支出を2000年度から2004年度までの5年間についてあらかじめ認可しようというものである。この背景には、過去の情報科学、コンピューティング科学分野での基礎研究の成果が現在の国家繁栄をもたらしたという事実、そしてそれが将来の米国の経済発展に最も重要な要因であり国家として最優先で支援すべきものであるという認識と、IT2計画もそうであったが、今までの予算措置が単年度であったために、研究のための資源が十分に投入し難いという状況改善の狙いがあるように思われる。
2000年2月15日下院で承認された「ネットワーキングおよび情報技術研究開発法(Networking and Information Technology
Research and Development Act)」案での予算認可案を表2.4に示す。
表2.4 「ネットワーキングおよび情報技術研究開発法」案での予算認可案
(単位:百万ドル) |
2000年度
認可案 |
2001年度
認可案 |
2002年度
認可案 |
2003年度
認可案 |
2004年度
認可案 |
||
NSF |
580.00
|
699.30
|
728.15
|
801.55
|
838.50
|
|
研究設備 (注1) |
70.00
|
70.00
|
80.00
|
80.00
|
85.00
|
|
NASA |
164.40
|
201.00
|
208.00
|
224.00
|
231.00
|
|
DOE |
60.00
|
54.30
|
56.15
|
65.55
|
67.50
|
|
NIST |
9.00
|
9.50
|
10.50
|
16.00
|
17.00
|
|
NOAA |
13.50
|
13.90
|
14.30
|
14.80
|
15.20
|
|
EPA |
4.20
|
4.30
|
4.50
|
4.60
|
4.70
|
|
NIH |
223.00
|
233.00
|
242.00
|
250.00
|
250.00
|
|
HPC(注2) |
1,124.10
|
1,285.30
|
1,343.60
|
1,456.50
|
1,508.90
|
|
DOE |
25.00
|
15.00
|
15.00
|
----
|
----
|
|
NSF |
25.00
|
25.00
|
25.00
|
----
|
----
|
|
NIH |
7.50
|
0.00
|
0.00
|
----
|
----
|
|
NASA |
7.50
|
10.00
|
10.00
|
----
|
----
|
|
NIST |
7.50
|
5.50
|
5.50
|
----
|
----
|
|
NGIR(注3) |
72.50
|
55.50
|
55.50
|
----
|
----
|
|
NITRD 計 |
1,196.60
|
1,340.80 | 1,399.10 | 1,456.50 | 1,508.90 |
|
NIHについては、HPC法の205Aセクションとして今回新たに追加されたものであるが、バイオ医療および行動科学研究での計算技術とソフトウエアツールの進歩と応用拡大がその目的となっている。
2.2.5 ASCI計画
クリントン政権発足時からの国家目標であった包括的核実験禁止条約(CTBT : Comprehensive Test Ban
Treaty)を批准するという目的に密に対応した活動であるASCI計画については、連邦政府予算案には説明がないためDOEの予算要求案からそ動きを見ることにする。
(http://www.cfo.doe.gov/budget/01budget/highlite/hilite01.pdf)
(1)2001年度予算におけるASCI計画の位置づけ
ASCI計画の存在理由となっている核兵器保全管理計画(Stockpile Stewardship and Management Program)への見直しが行われ、ASCI計画は2000年度予算での国家防衛権限法(National
Defense Authorization Act for FY2000)に基づいて2000年3月1日付でDOE内に設置された半自立的なエージェンシーである国家核安全保障管理部(NNSA:
National Nuclear Security Administration)管理下に置かれることになった。 (http://www.nnsa.doe.gov/)
この結果、ASCI計画は、NNSAの防衛計画課がとりまとめ部署となり、兵器に関する活動(Weapon Activities)の4つの主要コンポーネントの1つである保全管理(Stewardship
Operations and Maintenance)の更に3つのサブコンポーネントを構成している2つのサブコンポーネントの作戦行動(Campaigns)と技術基地と設備の配備(RTBF
: Readiness in Technical Base and Facilities)で管理されることになった。DOEの予算要求説明書を見る限りでは新体制に移行しても既に定められているASCI計画の目標値は変更を受けずに2004年まで推進されることになっているようである。
(2)2001年度予算
今までのASCI計画に含まれていた具体的な計画は2001年度では作戦行動サブコンポーネントの防衛アプリケーションとモデリング(Defense Applications
and Modeling)およびRTBFサブコンポーネントの先端的シミュレーションとコンピューティング(Advanced Simulation and
Computing)で予算化されており,予算要求額は5億9,520万ドル(2000年度比8500万ドル増)となっている。
主な実施内容としては1999年9月29日にRFP(Request for Proposal)を締め切ったLos Alamos研究所のASCI T30ハードウエア(30テラフロップスプラットフォーム)調達、Lawrence
Livermore研究所の10テラフロップスプラットフォーム(ASCI White)改良の完成が計算結果を視覚化し理解を助けるVIEWS、改良されたソフトウエアを使ったプログラムコーディング開発が盛り込まれている。