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4.3 法律分野における知的情報処理

(講師:東京工業大学 新田克己教授)

4.3.1 はじめに

 法律とコンピュータには3種類の関わりがある。1つは、著作権や特許権などのように、コンピュータのハードやソフトの権利保護に関するものである。新しいハードやソフトを発明・著作をした者は、その発明を一定期間、独占する権利を持つ。この権利の獲得やライセンス契約などに法律が関わっている。これは純粋に法律的な問題である。

 2 番目は、法律の事務を補助するツールとしてコンピュータを利用するものである。例えば、判例や法令や契約文書データベースの検索、契約事務の管理などがこれにあたる。市販の判例データベースのCD-ROMは、ほとんどすべての法律事務所や大学の法学の研究室に置かれている。また、最近ではインターネットを使った商取引きも一般的になってきている。このような電子商取引もコンピュータによる契約事務の一例である。

 3番目が、法律家の代行をコンピュータが実行するものである。 人工知能研究において、法律分野は最も古くから応用が試みられ、過去に多くのエキスパートシステム(法的推論システム)が開発されてきている。しかしながら、いまだに専門家の代行をできるシステムが開発されてはいない。それは、人工知能の技術が法律の問題を解くほど成熟していないこともあるが、それを使う人間の側にとっても、コンピュータに重要な問題をまかせることに対する不安感があるためでもある。そのため、法律エキスパートシステムの実用化は遠い将来のこととも思えることもあった。しかし、電子商取引のようにコンピュータを介して契約業務が行われるようになると、その過程でコンピュータによる法的問題のチェックが可能になってくるし、また、取引量が増えてくると人間による契約事務だけでは限界がでる。完全に自動的な法律エキスパートシステムでなくとも、人間の事務を知的に補助するシステムであるなら実現性は高いと思える。

 本稿では、このような人間の契約事務を補助するシステムの実現に向けての諸問題を考察する。4.3.2節では、法律をコンピュータで処理する場合の一般的な問題を述べ、4.3.3節で法的推論システムの研究動向を述べ、4.3.4節でビジネスとしての法的推論システムの可能性について考察する。

 

4.3.2 法律問題の特徴

(1) 法令の解釈

 まず、法律問題をコンピュータで自動化するのが困難な理由として、法令を簡単にルールベース化できないことを説明する。

 法令は通常は抽象的な述語を用いて記述されている。そのため、法令を適用する場合に、事件にダイレクトに法令を当てはめることはできず、そこに現れる述語の意味を明確にすることが必要である。これが解釈である。法令は一般的に書かれているのに対して、法的判断は個別事情を考慮してなされる必要があり、一般ルールと個別事情をつなぐものが解釈である。例えば、公園に自動車が進入することを禁止する法令があるとする。怪我人が出たときに、公園に救急車が入ることはできるのだろうか。公園で自動車の展示会を行うことはできるのだろうか。このような問題に対処するには、一般論としての法令の本来の役割と、具体的な事情を考慮する必要性が明らかになる。

 解釈を行うプロセスは、解釈生成と、解釈選択の2つからなる。解釈生成は、もとの法令の意味を詳細に定義したり、意味を拡張したり、意味を縮小したりして、新しいルールを生成するプロセスである。もちろん、あまりに大幅な拡張や縮小を行うと、もとの法令の意味を損ない、新たな立法を行うことになってしまうので、拡張や縮小の範囲は限定されている。生成された解釈によって、同じ事件であっても、結論が異なることになる。

 そこで、どの解釈が妥当であるかを決定するのが、解釈選択のプロセスである。解釈選択の基準は、「その結論が妥当なものだあるか」というものであるが、妥当性についての明確な定義はない。その法令の日本語としての意味を厳格に守るべきであるという立場もあるし、法令の制定当時の事情を考慮して制定者の意図を推測すべきであるという立場もあるし、その法令の制定された目的を基準にすべきである、という立場もある。実際には、「制定目的を考慮すべし」という立場が多くの支持を得ているようではあるが、これ自身があいまいな基準であるし、事件ごとに違う立場を使い分けることも可能である。

 このように見ると、法令を適用するプロセスは、客観的に定義できるものではなく、最終的には裁判官の個人的な価値判断に依存することになる。もちろん、裁判官は、裁判所で過去になされてきた価値判断との調和を保つように判断を行うから、個人の個性が極端に現れる判決は少ない。

 次に妥当性を判断する場合の基準について考える。 この基準となるのが、「法原則」と呼ばれるものであり、世の中をどのようにしたいかを決める一般的な原則を示したものである。例えば、「人は平等である」「個人の財産権は保護する」「故意でなくとも、過失で他人に損害を与えたときは、賠償する」「軽微な犯罪は罰しない」など、さまざまなものがある。これらは、実際に明文化された法令として規定されているものもあるが、法律家になる場合に訓練によって自然に習得されるものもある。

 法令は、これらの原則を実現するように制定されるが、原則の中には矛盾するものも少なくない。例えば、「個人の権利を保護する」という原理と「公共の利益を保護する」という原理が対立することは、道路建設における立ち退き問題や、プライバシーを無視した過剰なニュース報道問題などに顕著に表れる。このような場合に、どちらの原則を重視するかによって、対立する法令や対立する法解釈のいずれを選択するかが決まることになる。

 

(2) 論証と論理

 前述したように、法令のルール化は容易でない。それにもかかわらず、裁判の記録(判決)を見ると、事件に対して、法令や解釈のルールを使って、論理的に結論が導かれるように書かれている。これを読むと、法律家はあたかもルールを演繹的に適用して結論を導いているように見える。しかしながら、解釈のところで述べたように、専門家はルールを機械的に適用しているのではなく、個々の事件についての特殊事情を考慮しながら妥当な解を求めようとしているのである。そのためには、初めは存在しなかった解釈をその事件に応じて生成することもあり、判決文に書かれている論理構造は、法律家の思考過程を正確に反映したものではない。しかしながら、判決文に書かれた論理展開は「〜ならば〜である」という論理式の連鎖で表せるものが多く、実際に論理的な記述は判決の内容を表す便利なツールである。

 一方、法律学の分野においても、「論理的推論による法的推論のモデル化は妥当か」という議論が過去になされた。論理式における「真」は、法律における「妥当」とは対応しないし、そもそも法令は個別に解釈されるべきで、

      ∀X P(X) Q(X)

のように全称記号がついた個別事情を考慮しないルールが存在していることについての疑問も出された。

 そのため、法律家にとって、論理による法的推論のモデルは必ずしも賛同されたものではない。しかし、論理に近いものとして、Toulminが提唱した論証のモデルについては法律家の間でも承認されている。Toulmin は、古来の多くの論証を分析し、論証は一般的に、Conclusion(結論)、 Warrant(ルール)、Backing (ルールの裏付け)、 Condition(条件) Exception (例外)の5つの要素で構成できることを示した。 例えば、 100 万円支払え」というConclusinがあるとき、それが正当であることの論証は、「物を購入したら代金を支払え」というWarrantと「100万の物を購入した」というCondition が成立し、「購入物が破損していた」などのException がないことを示すことで成立する。「物を購入したら代金を支払え」というルールは、民法などのBackingによって保証される。

 この中で、「なぜ、 100万の物を購入したと言えるのか」が問題となれば、「100 万の物を購入した」を新しい結論として、その結論を導いたWarrantCondition などの論証を行えば良い。また、「なぜ、物を購入したら代金を支払わなくてはならないのか」が問題となれば、そのルールが有効であることのWarrantConditionなどの論証を行えば良い。このように、Toulminは、 5つの要素を1単位とした構造を積み重ねていくことによって全体の論証を組み立てていく。

 このような論証構造は論理式による定理証明と類似しているかもしれないが、定理証明の場合は、 ルールの有効性については争えないのに対して、Toulminの場合は、ルール自体も論証の対象となるという相違がある。法律の場合は、法令の有効範囲(時間や地域)や、その解釈の正当性も論証の対象となるので、Toulmin の論証構造は法律的な論証には非常に有効である。

 

4.3.3 法的推論システムの研究動向

(1) 全体の研究動向

 法的推論システムの研究は、法令や事件や専門家のノウハウを論理式などのルールで記述し、演繹的な推論で、結論を求める方法が最も基礎的な方法である。過去に多くの法律エキスパートシステムがこの方法で開発されてきている。この方法の利点は、日本語に伴う構文上のあいまいさをなくし、法令のもつ論理構造を客観的に記述できる点にある。つまり、もとの法令は複雑な文章で書かれていることもあり、素人には文章の論理的な構造が理解できないことが多いが、これをいくつかの述語を用いて、形式的なルールの形で記述することで、論理を明確にすることができるのである。しかし、この方法は、法律上の重要な問題である述語の意味の確定(解釈)を扱っていない。すなわち、このようなシステムでは事実を入力する場合に、法的判断を必要とするのであり、事実を入力した時点ですでにシステムの必要性はなくなっている可能性すらある。例えば、前述の「公園に自動車を展示して良いか」という問題で、ルールが

      ∀X 禁止(X, 公園)←自動車(X)

だとし、展示する車を

      car#1

とすると、「展示する場合を許したい」ならば

      自動車(car#1)

というデータを入力するわけにはいかない。そこで、「自動車」という述語は「走る自動車」の意味に限定して、ユーザは

      自動車(car#1)

を入力しないことにしなければならない。これは、ユーザがデータ入力時点で法的判断を行っていることになる。

 このような問題点をカバーするため、法令だけでなく、判例を利用した事例ベース推論による法的推論のモデリングもなされた。法律分野では過去の判決データが判例データベースに蓄積されており、「類似した事件には類似した結論がなされる」傾向にあるため、事例ベース推論は有効な手法になりうるからである。例えば、上記の「公園に自動車を展示する問題」で、過去に規則の例外が認められた事例があれば、その時の状況との類似性があれば、展示が認められる可能性がある。このように判例によるモデリングは、アメリカのような判例国を中心に行われた。しかしながら、このような研究の多くは、過去の事件との類似判断を、意味ネットや命題表現の構文的な類似性によっていたため、類似判断は限定的であった。多くの状況が類似していても、 1つの重要な事実が異なるために類似していないと判断されることは多い。そのため、これらのシステムでは、重要な事実には類似判断を行う場合に、重みをかけることで類似度をあげるようにしている。しかしながら、2つの状況の類似判断は、立場によって異なるはずであり、そもそも事前に重要なファクトを指摘することが法的判断を事前に行っているとも言えるのである。

 重要なファクトを抽出するために、ニューラルネットや多変量解析の技法を用いるシステムも開発された。しかし、このようなシステムはまだ少数であり、現時点では評価は定まっていない。

最近の「法律と人工知能」のコミュニティは、情報検索や事例ベース推論の研究が中心であるが、法的論争と法律オントロジーへの関心も高まっている。法的論争は、「結論案の提示」「それに対する賛否の表明」「結論案への説明追加」などを当事者間で交換して、法廷論争をモデル化するものである。法的論争が着目されているのは、法律問題は客観的な解が出ない以上、自動的な法律の問題解決システムは不可能であると考え、むしろ、当事者同士が合意できる解は何か、合意できないならばその根本原因は何かを探る方向に研究がシフトしているからである。前述の Toulminの論証構造をベースにした法的論争のモデルが多く提案されているが、多くは当事者が、納得したことについてはその時点で説明(論証)を打ち切り、双方が合意できないことのみ論証を継続することにしている。これは法理論にも、現実の民事裁判の手続きにも合致している。法的論争は複数参加者によるゲームの要素もあり、論争のプロトコルの選択や、論争の優劣判断や、戦略などの多くのテーマがある。

 オントロジーに関しては、法律知識ベースの共有や再利用の観点から注目されている。権利や義務やファクトなどの法律の基礎概念の表現についての提案がなされているが国によって、基礎概念が異なることから、国際的な標準化はまだ困難である。

 

(2) わが国の研究

 わが国における法的推論のプロジェクト研究としては、第5 世代コンピュータプロジェクト(1982-1995)の後期における法的推論システムHelic-II の開発と、 文部省重点領域研究「法律エキスパートシステム」(1993-1998)における法律エキスパートシステムの開発がある。前者は、法令と判例を融合した法的論争システムであり、それを並列推論コンピュータの上で実現した。後者は、法的推論のモデルは論理式による演繹推論を中心とし、その前提のもとで、商取引に関する1つの法体系の完全なルールベース構築を行ったものである。推論システムの支援として、日本語インターフェースや法律オントロジー構築支援ツールなどのユーティリティソフトや、補助の推論システムとして、アブダクションと帰納を融合した論理型言語システムやファジイ推論システムや事例ベース推論システムが開発されたが、1つのシステムとして統合されてはいない。

この他に情報処理事業振興協会の公募プロジェクト「高度定理証明システムと法律への応用」(1998)では、交渉支援インターフェースを持った定理証明システムが開発された。これは、相手とコンピュータネットワークを介して解釈ルール案を交換し、双方の合意が得られたルールを推論エンジンで利用するシステムである。法律家による評価実験がなされている。

 

4.3.4 ビジネスとしての法的推論システム

 法的推論システムはビジネスとして成立しうるかを考察する。今までに述べてきたように、法的推論研究は、「あいまいな知識のルール化をしなければならない」「客観的に正しい答えがない」という一般的な問題点を課題としているため、法律以外の分野でも適用できる技術がある。特に、法的論争システムに見られるような交渉の仕組みは、マルチエージェント技術やグループウェア技術とも関連がある。そこで、純粋な法律エキスパートシステムの場合と、交渉支援システムの場合に分けて考える。

法律エキスパートシステムの場合は、潜在的に考えられるユーザは、裁判所や法律事務所のような裁判業務、企業の法務部のような契約業務、大学の法学部や司法試験受験塾や司法研修所のような教育・訓練、などの場である。エキスパートシステムに望まれているのは、判決予測機能ではなく、知的な文献・法令・判例検索機能である。

 判決予測としての法律エキスパートシステムの潜在的なニーズは教育の場にある。大学や司法試験塾では実務的な事件を扱うのではなく、細かな事実認定を省略し、適度に抽象化された法律の事例問題を題材にしているため、事実認定よりも法的推論にかかる比重が大きいためである。

交渉支援システムの場合は、潜在的には、一般家庭を含む非常に多くの範囲のユーザが考えられる。例えば、法律事務所では、法令の解釈の案や事実認定の判断を相互に交換し、議論するツールとしての可能性がある。法学教育においては、教師と学生の間の模擬裁判ツールとしての可能性がある。また、企業内の幅広い部門を電子的に統合した業務支援システムにおいて、部門間の交渉を支援するツールになりうる。また、膨大な顧客と電話で技術相談する可能性があるコンピュータ・サポート・コーナーにおいて、ユーザに対して推論システムと担当者が共同で応対し得る交渉支援ツールは有効である。

 

4.3.5 おわりに

法律の専門家のコンピュータに関する多くのニーズは文献・判例などの高度な検索システムにある。検索エンジンの研究は最近はインターネット関連でも多くなされているが、法律業務に十分な技術とはなっていない。一方、判決予測としての法的推論システムは解釈があまり問題とならないような条文に関しては実用的になってきてはいるが、解釈を伴う条文に関しては、専門家が使うレベルに達するには課題が多い。そこで、本稿では、法律問題を自動的に解くことの難しさを説明し、最近の研究動向の1つとして、人間と推論システムが共同で相手と交渉するシステムの可能性について述べた。