4S-1-PRO           存在価値のある研究会を目指して
                 --- プログラミング研究会の試み ---

                            上田 和紀
                     早稲田大学理工学部情報学科
                     (プログラミング研究会主査)

本稿では,2回にわたる研究会統合と,他にさきがけての研究会論文誌刊行にふ
みきったプログラミング研究会の1990年代を振り返り,研究会のありかたに関す
る一つの考え方と,研究会論文誌編集の2年間の経験とを紹介する.

1. プログラミング研究会発足までの歩み

プログラミング研究会(PRO)\cite{PROhomepage}が現在の形で発足したのは
1995年である.

1980年代にはプログラミング関連分野の研究会として,記号処理研究会(SYM),
ソフトウェア基礎論研究会(SF),プログラミング言語研究会(PL)の三つがあっ
た.さらに,分野的に深く関連する他の研究集会として,日本ソフトウェア科学
会の大会・研究会や「ソフトウェア科学・工学の数理的方法」研究集会(SSE)
などもあった.日本のプログラミングのコミュニティがかくも多数の研究集会を
運営開催することは,一方では運営の仕事(研究者にとってのオーバーヘッド)
の増加,他方では研究発表集めの苦労という問題を発生させていた.

SYM,SF,PLの三研究会のうち,SFとPLは1990年秋の継続申請時に統合に向けて
の話し合いを行ない,1991年4月からプログラミング---言語・基礎・実践---研
究会(PRG)を発足させた.発足記念のパネル討論\cite{panel}は,かつてない
ほど多数の参加者を得て熱気につつまれた.

先に統合を果たしたSFとPLに対し,SYMは,記号処理という一つの視点でプログ
ラミング言語から時にはアーキテクチャまでを扱うという特徴,長い伝統,およ
び独特の運営方針(後述)をもっていた.しかし,記号処理が計算機ソフトウェ
アの全分野に浸透してゆく中で,研究発表の観点から新生PRGとSYMを区別するこ
とが次第と困難となってきた.そこで1993年夏から両者は統合の議論を始め,長
く熱い議論の末,プログラミング研究会(PRO)という名で統合することに合意
した.

このようにしてPROは,情報処理学会におけるプログラミング言語プロパーの唯
一の研究会として,1995年4月に発足した.


2. プログラミング研究会の存在意義

研究会の責務の一つは,「研究者にとって有益な」発表と討論の場を提供するこ
とである.この点において,プログラミング研究会の前身の一つである記号処理
研究会は独自の伝統を持っていた.それは,25分の発表+20分の質疑,途中質問
自由という発表形式である.国内外を問わず,大多数の研究発表会が20分+10分
または25分+5分のフォーマットをとる中で,この議論を重視する姿勢はPROのき
わめて重要な特徴として受け継ぐこととなった.また,特定のテーマに関して日
本の大多数の研究者の集まるシンポジウムや集会は積極的に共催し,発表や参加
を促すこととした.

著者がPL幹事であった1990年頃から保存している研究会関係のメールは数千件に
のぼる.これらを読み返すと,プログラミング研究会とその前身においては,節
目ごとに研究会の存在意義やあるべき姿をきびしく自問し,議論してきたことが
わかる.PRO発足後の1995年末にも,萩谷主査の問い掛けを発端に,メーリング
リストで大議論が行なわれた.

研究会の統合と発表形式の工夫によって研究発表会自体は活性化されていたが,
上記のような議論のなかで次に問われたのは研究会刊行物のあるべき姿であった.

従来の研究報告は速報性とアーカイブ性を併せもち,一定の役割を果たしている.
が,研究会の主たる刊行物としては,査読のない研究報告集よりも査読された論
文集の発行を目指す方が,著者の業績評価の点からも,研究会や研究分野の地位
向上の点からも有益であるという意見が大勢を占めるようになった.また,研究
報告が大学図書館等で良くアーカイブされていることが,質の高い仕事を業績評
価の対象となる形で残すという点からはむしろ不利に作用しているのではないか
という指摘もあった.


3. 研究会論文誌発行に向けて

プログラミング研究会発足から満2年を経過した1997年度になると,学会や研究
会の将来ビジョン検討作業の結果を受けて,調査研究運営委員会からも研究報告
のあり方の見直しや研究会論文誌発行に関する考え方が研究会に伝わってきた.

ほとんど2年ごとに統合や存在意義に関する大議論を行なってきたPROには,この
示唆を受け入れて積極的な改革を行なう素地がすでにできていたと言ってよい.
あるいはPRO内部での議論が調査研究運営委員会全体での方向付けに影響を与え
たという面もあるかもしれない.PROは,従来の発表形式を残しつつも研究会論
文誌の発行を研究会活動の核とすることにいち早く合意し,1997年度の後半は,
研究会論文誌の編集方針の詳細を固めるべく,連絡委員会を何回も開催した.こ
のときの議論のとりまとめ役は石畑主査であった.ここでも大議論が行なわれた
が,新たな価値の創造のための前向きの議論は楽しいものであった.

研究会論文誌の発行体制の詳細検討は各研究会に委ねられていたが,プログラミ
ング研究会が設計した方式の特色をいくつか挙げておこう。

・ 研究発表と論文投稿との密接なリンク --- 研究会論文誌への投稿論文はすべ
   て研究発表会で発表しなければならないこととした.発表会当日の議論を論
   文の評価と改善に役立てることにより,議論の活性化と査読の迅速化を図る
   ためである.ただし,投稿を伴わない発表も歓迎し,発表会の場では両者を
   まったく区別なく扱うこととした.

   研究報告は廃止し,それを置き換えるものとして研究会論文誌を位置づける
   ことにしたが,そのかわり発表者が必要部数の資料のコピーを持参すること
   とした.投稿を伴う発表の場合は,この発表資料がそのまま投稿論文となる.


・ ページ数制限を設けない --- プログラミング分野では,重要な成果に関する
   論文はしばしば長大となる.6〜8ページ(英語で5000語程度)の論文は,世
   界的に見ても,フルペーパーでなくextended abstractかtechnical noteと位
   置づけられることが少なくない.そこで本研究会論文誌では,他の国内論文
   誌が受け付けることのできない長大な論文も歓迎することとした.またその
   ために,別刷代がページ数に対して累進的に高くなることのないように強く
   働きかけた.

   論文誌の役割は,単に良い研究開発成果を紹介することではない.良い研究
   開発成果が得られたらできるだけ具体的に記述してもらい,資料価値の高い
   論文集とすることを重視した.

・ 多様な価値を認める --- システムの実装経験や斬新なアイディアの提案など,
   従来の基準では論文としてまとめることが困難であったものも資料価値のあ
   るものは積極的に受け入れることとした.

論文誌編集委員会は,主に上記の方式設計に積極的に関与した人たちによって構
成された.また,論文誌発行を研究会活動の核とすることから,当面,編集委員
長は主査が兼ねることとなった.


4. 研究会論文誌刊行開始からの2年間

こうして1998年度,他研究会にさきがけて研究会論文誌刊行を開始したが,
以来2年間,議論の末固めたシステムを実際に運用して軌道に乗せるために
多くの委員が汗を流してきた.本節ではこの2年間の自己評価をしてみたい.

4.1 研究発表会

論文誌発行を研究会活動の核とするようになっても,論文投稿が研究発表と密接
にリンクしているので,研究発表会が研究会活動の中心的な場であることには何
ら変わりはない.以前は発表申込みが十分集まらずに幹事がやきもきすることも
あったが,新体制のスタート後は,毎回2日間(年間10日間)の開催で各回あた
り12件〜最大16件程度の研究発表を行なう盛況ぶりとなった.

1998年度の総発表件数は72件にのぼり,特に単独開催の回の発表件数が前年度ま
でよりも大幅に増加した.PROの発表は1件45分であり,さらに連日編集委員会を
開催するので,1日8件という発表件数は実施可能な上限に近い.
1999年度の申込み状況も大変順調である.

論文投稿を伴う発表申込みが全体に占める割合は予想以上に高く,このことは,
当日の発表および討論が非常に真剣かつ活発なものとなるという効果を生み出し
た.


4.2 論文誌編集作業

年5回の研究発表会は,各回2名の担当編集委員によって主導される.担当編集委
員は,発表募集,申込み受付,プログラム編成,査読者や著者との連絡,発表会
当日の編集委員会の進行,採否の提案,カメラレディ原稿のとりまとめなど一連
の作業を任される.

これは論文誌特集号のゲストエディタかワークショップオーガナイザを任される
のと同等かそれ以上の大仕事であるが,担当外の編集委員も積極的に支援す
るなど,編集委員会は大変良い雰囲気で仕事を進めている.現在の論文誌編集委
員は11名であるが,毎回の研究発表会にその大多数が出席し,熱心に討論に加わっ
ている.この出席率の高さは,PRO論文誌に対する当事者の熱意を物語っている.


4.3 投稿論文の評価方式

・ 採録水準 --- 研究会論文誌を始めるあたって多くの人の注意を集めた問題は,
   採録論文の水準である.これについては,研究発表会当日に開催される編集
   委員会で各論文の得失について議論するなかで,自然と,しかも比較的早期
   に,PRO論文誌としての基準を固めることができた.その結果は,本論文誌の
   立上げに関与した人たち自身の予想を上回る高い水準となり,基幹論文誌と
   研究会論文誌の格差に関する大方の懸念を払拭することができた.

   1998年度の投稿論文の中からは合計26編の論文が採録となり,質の高い論文
   誌としての一歩を踏み出すことができたと考えている.

・ 発表と投稿とのリンク --- 発表と論文投稿を密接にリンクさせた方式は大変
   うまく機能することがわかった.まず,編集委員を含む発表会参加者は,論
   文中の疑問点をインタラクティブに照会することができ,しかもそのやりと
   りを共有することができる.セッション終了後の編集委員会会合では,参加
   者全員が発表内容と討論内容を共有しているので,論文の得失に関する議論
   も非常にスムーズに進むことがわかった.つまり本方式は,通常の査読プロ
   セスと比べて,より多くの意見を効率よく擦り合わせることができる方式で
   ある.査読の的確さとターンアラウンドを両立させることができ,著者への
   サービス向上の観点からもすぐれていることがわかった.

・ 多様な価値の許容 --- 多様な性格の論文に門戸を開いたものの,これまでに
   寄せられた論文の大多数は,従来の基準で十分評価できる性格の通常論文で
   あった.

   システムの開発経験等に関する採録論文を増やすことができると特色が出て
   くるものと思うが,そのような開発経験の報告が論文として高い資料価値を
   もつためには,実装内容の詳細について具体的に報告することが必要となる.
   この要請は,「科学技術論文は読者が追試可能なように書くべきである」と
   いう一般原則にも合致するのだが,残念ながら日本にはまだ,ページ数を気
   にせず具体的に(しかし冗長にならないように)書くという習慣が十分根付
   いていないように思う.

   また,経験の報告やサーベイが論文としての価値をもつためには,著者自身
   の観点や主張が含まれていることも必要条件であろう.これらのことを周知
   徹底してPRO論文誌ならではの特徴を出してゆくのは今後の課題である.


5. おわりに

研究会の統合や論文誌発刊などの改革において,プログラミング分野が率先して
動くことができた,また動かなければならなかった理由の一つは,この分野では
プログラミング研究会以外にも魅力的な(つまり業績になる,良く読まれている,
海外の研究者と議論できるなど利点の多い)発表媒体が豊富にあるということで
ある.情報処理学会にプログラミング研究会を置くことの意義すら,PRO内部で
は一時は大議論の対象となった.

だが,プログラミング分野や情報処理分野が他の科学工学と同等以上の尊敬を集
めるためには,日本を情報分野を代表する学会にプログラミング研究会を置き,
フラッグシップの役割を受け持つことは当然であるとも言える.コミュニティに
とっての発表討論の場でありつづけながらも,より強力な研究会を目指して,
今後も柔軟に改革に取り組んでゆくことが大切であろう.

現時点での大きな課題の一つは,発表資料や採録論文の電子化に向けての作業で
ある.印刷物としての研究報告の廃止は,論文誌投稿の促進と登録費低減(以前
のおよそ半額となった)に役立ったが,これらの効果を失うことなく,電子的な
形で研究報告を復活させる検討を始めている.

電子化は,研究会活動を外国から見えるようにするためのほとんど唯一の解であ
り,積極的に進めなければならない.最新成果の流通を促進するためのさまざま
な試みを可能にするために,論文の著者自身の手許に留保される情報発信の権利
に関して,PROは重大な関心をいだいている.

最後に,活発な研究会活動を支えていただいている発表者,発表会参加者,論文
投稿者,査読者の方々へ,幹事団および編集委員会を代表して感謝の意を表した
い.


参考文献

[1] プログラミング研究会ホームページ.  http://www.ipsj.or.jp/sig/pro/

[2] 二木厚吉,大堀 淳,柴山悦哉,安村通晃,竹内郁雄,上田和紀,村井 純,
萩谷昌己,パネル討論会「理論は実践を導けるか,実践は理論を生かせるか?」,
情報処理,Vol.33, No.3 (1992), pp.272--289.