アーカイブス作成の意義


 
 わが国で、技術立国の旗印のもとに、国の支援による研究開発プロジェクトが本格的に開始されたのは、1960年代の半ば(昭和40年頃)からと考えられる。 コンピュータ関連のプロジェクトをはじめ、多くの分野で研究開発が行われた。国のプロジェクトのほか、民間独自の技術開発プロジェクトも盛んに行われた。 これらのいくつかは、NHKの特集、電子立国や、今評判になっているプロジェクトXなどに取り上げられ、わが国が世界をリードする工業国に発展する過程を紹介している。

 しかし、これらのプロジェクトの多くが、先行する米欧の技術を学び、それを超える製品を市場に出し、性能や価格面での競争に勝利し、市場を獲得していくという形のものがほとんどであり、これに気付いた人は、多くはないのではなかろうか。 そして、その製品の、技術のルーツが日本から生まれたものは、それほど多くはない。

 特に、コンピュータ技術は、1964年にIBMが360シリーズを発表してからこの傾向が特に顕著になり、日本の博物館では、360出現以後、日本のコンピュータ技術の歴史を展示するコーナーに、コンピュータはなかった。 日本オリジナルなコンピュータが作られなかったからである。よって、コンピュータの研究開発の経過を記録することもなかった。

 この空白にピリオドをうったのが、第五世代コンピュータの研究開発である。このプロジェクトのルーツはわが国にあり、そしてその研究開発は、世界をリードした。 多くの研究者が、世界中から、プロジェクトの中核機関であった新世代コンピュータ開発機構(ICOT)へ集まり、わが国の若い研究者と議論し、多くの未来志向の研究が行われた。 その研究は、プロジェクトの10年という計画を超え、今日においても形を変え、継続されている。知識や意味を扱う研究、大規模な並列マシンを制御し利用する技術、遺伝子情報処理などの新しい分野への情報技術の利用などである。

 第五世代コンピュータプロジェクトの直接の成果は、時代に先行しすぎていて、そのままの形では製品にならなかったが、今日においても、その成果は多くの研究の土台となっている。

 米欧では、多くの研究開発がそのルーツとなるアイデアから発展する形で行われており、その中間的成果や開発したツールの類も、よく整理され保存されている。 米国をコンピュータの世界のリーダーとしたMulticsプロジェクトの成果も、MITのアーカイブスの中に、DEC10となったコンピュータの試作段階の命令セットや構造のレベルまで記録され、インターネットからアクセスできるようになっている。

 我々は第五世代コンピュータプロジェクトの終了後、設立された先端情報技術研究所(AITEC)で第五世代コンピュータプロジェクトの成果普及を実施し、その終了後は、その研究成果、技術的記録、運営面の記録などを保存しつつ、日米比較に基づくわが国の研究開発の仕組み、法・制度のありかたの調査研究を実施してきた。 しかし、そのAITECも平成14年度をもって廃止となった。

 そこで、我々は、それまで保存・蓄積してきた第五世代コンピュータプロジェクト関連の資料、および、AITECにおいて蓄積した資料をデジタル化し、整理して、「AITEC・ICOTアーカイブス」を作成することとした。そして、そのアーカイブスをDVDへ記録することとした。 わが国では、このようなアーカイブスを永久保存してくれるような仕組みがなかったためである。これにより、わが国にも、そのルーツから世界にインパクトを与えたプロジェクトがかつて存在したことを記録し残すことができる、と考えている。

(文: 内田俊一: 2005.12.01)


戻る