アーキテクチャ分科会では、その構想に対し、
もう少し現実的な従来型コンピュータ・アーキ
テクチャの延長上にあるプロジェクトにすべき
だとの意見が多かった。最終的には、通商産業
省及び基礎理論研究分科会のメンバーの本プロ
ジェクトに対する熱意がアーキテクチャ分科会
にも伝わり、基礎理論研究分科会が考える方向
に意見は収斂していった。 児西 [1987] は、
「企業での研究開発プロジェクトの立案とは、
資源ネックのなかからそれをどのようにやりく
りしてその企業の経営目標の達成に資する商品
の開発を行うかを決めることである。これに対
して第五世代コンピュータプロジェクトの企画
立案とは、まず何が本当に革新的であるか、何
が国家プロジェクトで行うに値する研究開発目
標かを考えることであり資源ネックというより
目標に関する知識のネックを議論によって突き
抜けようとする試みであった」とし、第五世代
コンピュータ・プロジェクトの企画立案の革新
性を指摘している。このような革新性は、委員
会の参加企業にとっては当初なかなか理解でき
ないものであったのだろう。
一方、通商産業省の内部でも、多額の資金を
投入して全く方向違いのプロジェクトを行おう
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としているのではないかといった不安があった
のは確かである。そこで、プロジェクトの価値
を客観的に評価する一つの方策として、1981年
10月に第1回国際会議を開催した。この会議は
資金の制約のため海外からは少数の学者しか招
聘できなかったが、国内はいうまでもなく海外
からも数多くの学者が自費で参加した。第五世
代コンピュータ・プロジェクトは、その計画の
革新性が それらの人々により 賞賛され (注
8)、国際会議は好評に終わり、通商産業省も
本プロジェクトに本腰を入れるようになったの
が実状である。
方向性は正しくても、具体的なプロジェクト
となると数々の問題点が山積している。ひとつ
のエピソードとして、岡松壮三郎電子政策課長
(当時)はこのプロジェクトを俗称「星雲プロ
ジェクト」と名付けた。すなわち、目標が星雲
内にあるのは確かであるが、実際、星雲の中に
入ってしまうとそこには一つの宇宙が存在して
おり、どこに正しい目標があるのか分からなく
なってしまうという意味で名付けられたもので
ある。
プロジェクトが始まった当初は、企業側の対
応も鈍かった。しかし、1983年度に予算が大幅
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