たが、その候補の中に Prolog言語(注4)を
ベースにした論理プログラミングの開発及び推
論に適する 新しいコンピュータの開発が あっ
た。当時、通商産業省本省でも従来のノイマン
型(注5)のコンピュータでない第五世代コン
ピュータ・プロジェクトと銘打った新たなコン
ピュータ・プロジェクトを考えていた。両者は
意見交換した結果、1978年に通商産業省電子政
策課、電子総合研究所、企業、学者等からなる
勉強会を開催し、第五世代コンピュータが具体
的にどのような技術的特徴を持つべきか検討す
ることになった。 これが第五世代コンピュー
タ・プロジェクトのきっかけである。
  この構想に至った背景としては、これまでの
コンピュータの処理能力はハードウェアの能力
によって制限されており、ソフトウェアによっ
てその制限された部分を補わざるを得ないため
ソフトウェアは次第に複雑となり、開発の生産
性が上がらなくなってきたことがある。つまり
既存のコンピュータ構造には、 プログラミン
グ・スタイルに種々の制約があること、プログ
ラムの正しさを確かめやすい言語が欠如してい
ること、既存のプログラムから新しいプログラ
ムを作ることが困難であること、等の技術的な
問題があったのである。
  また、通商産業省は上記以外に二つのことを
考えていた。一つは、国際貢献の一環として、
できる限り基礎研究の分野における研究開発を
政府が率先して行うべきであるという考えであ
る。もう一つは超 LSI 技術研究組合のような
産業支援的な政策を行ってきた時代と異なり、
企業がある程度成長してきているなかで、今ま
でのような補助金交付型の政策とは別の政策を
行うべきであるとする考えである。しかし、日
本のコンピュータ産業は順調に育ってきたとは
いうものの、依然 IBM 追随型であり革新的な
技術開発は望むべくもなかったことも事実であ
る。以上を背景に、通商産業省としては、単純
に日本の競争力を強化するような研究開発支援
ではなく、国際貢献の一環として世界に広く公
開できる新たなコンピュータのアーキテクチャ
の創造を目指すべきと考えた。
  ところが当時の日本のコンピュータ業界は、
IBM 互換の時代が 20数年は続くと考えていた
ため、このようなプロジェクトに民間が参加す
ることに当初消極的であった。また、通商産業
省が考えていたプロジェクトに参加しても意味
がないと考えている企業すらあった。米国で失
敗例のある(第五世代コンピュータ・プロジェ
クトの一つの目標である)並列推論(注6)な
どの研究は 商業ベースに乗らない と考えてい
た。当時の状況を率直にいえば、プロジェクト
を開始する前の企業の取り組み姿勢は、消極的
であったというのが実態であろう。一方で、プ
ロジェクトが一旦始まってしまえば、実態上自
分達に都合のよい内容に変えることができると
思っていた企業も存在した(注7)。
  上記の背景のもと、 1979年から3年間にわ
たって 日本情報処理開発協会(JIPDEC) に
調査研究委員会を設け、 第五世代コンピュー
タ・プロジェクトについて検討が始まった(
)。 調査研究委員会(委員長 元岡達  東大
教授(当時))の中には 三つの分科会が 設けら
れた。 各分科会は アーキテクチャ研究分科会
(主査 相磯秀夫  慶応義塾大学教授)、 基礎
理論研究分科会 (主査 渕一博  電子総合研究
所パターン情報部長(当時))、社会環境条件研
究分科会 (主査 唐津一  松下通信工業常務取
締役(当時))であった。
  基礎理論研究分科会では、ノイマン型ではな
い新たな並列コンピュータ・プロジェクトを指
向したが、 各企業から1人ずつ参加している
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