第五世代コンピュータ10年間の総括と展望

並列コンピューティングへの道程

東京大学教授 / 渕 一博



FGCS’92国際会議を終え、最後の成果報告会となった93年6月の第 10回「第五世代コンピュータに関するシンポジウム」では、プロジェクト 終了を機にICOT研究所の所長を退き、東京大学教授に就任した渕一博氏 と、新所長の内田俊一氏から総合報告がなされた。ここでポスト第五世代コ ンピュータとして「研究基盤化プロジェクト」が2年継続して行われる旨の 発表も行われた。渕氏は10年間のプロジェクトの推進責任者としての総括 と展望を語った。

ポスト第五世代コンピュータ

 ただいまご紹介いただきました渕でございま す。このシンポジウムも第10回を迎えました が、ご出席の皆さんの中には、大体毎年のように 来ていただいている方が多いのではないかと思い ます。また、新しい方も加わったかと思います が、ICOTの研究所の前所長として、お集まりいた だいた皆様のご出席だけではなくて、過去10年あ まりのいろいろなご支援、ご協力、その他に対し て最初にお礼を申し上げておきたいと思います。

 このシンポジウムは過去9回行われておりまし て、それに加えて3回の国際会議をやってきたわけ ですが、このスタートの数年間の会議では、この プロジェクトを一緒にスタートさせた元岡達先生が 最初にお話になる、その後、私が研究所長として お話をするというようなパターンでした。元岡達先 生が残念ながら亡くなられまして、その後は、招 待講演という形でいろいろな先生方、坂井利之先生、 猪瀬博先生、西澤潤一先生など、大先生方にお話をお願 いして、その後私が引き継いで話をするというパ ターンでやってきたわけです。今年から、また大 きくそのパターンが変わったということになりま しょうか。私が前のほうに押し上げられまして、 内容的なことは後任の内田俊一君がこの後でお話をす るということになったわけです。

 スタートするときには10年というのは長いかと 思ったんですが、あっという間に過ぎてしまいま した。しかしまた、10年という月日は非常に厚く て、10年を経てこういう大きな変化のタイミング を迎えたかという感慨がございます。

 先ほどからご紹介いただいておりますように、 ICOTの研究所は体制を含めて新しく変わり、ポス ト第五の「基盤化プロジェクト」をあと2年推進す るということになっています。私は、その機会に 形よく言えば勇退することに決めておりまして、 ただいまのような状況になっておりますが、新体 制への切り替えということに関しては、実はだい ぶ以前から考えていました。10年計画でプロジェ クトが発足した当初は、予想されるいろいろな困 難、あるいは予想できないいろいろな事柄がある だろうと思っておりましたが、とにかく10年間は 頑張ろうという覚悟で私自身もこのプロジェクト に取り組んできたつもりであります。しかしなが ら、プロジェクトというのはやはりいろいろ節目 があるべきだろうということも以前から考えてい ました。10年というのは大ざっぱな数字ですが、 社会においてはなぜか10年周期的なりズムがある ようでして、10年プロジェクトであるからという ことだけではなくて、10年たてば新しいものに切 り替わっていかなくてはいけないだろうと思って いたわけです。それが具体的にどういう形になる かということについては、当初からわかっていた わけではなくて、いろいろな展開の過程において こういう形になってきたわけであります。

 内容的なことについては、内田君以下、これか らの計画を話してもらうことになっていますが、 そういうふうになってきたいきさつを、ざっくば らんにお話ししたいと思います。プロジェクトが 後期に入りまして、あと数年で一応予定の年限が 来る、研究の進展もある意味で非常に順調にいっ て、大体この辺まで到達できそうだということが 見えてきた時期があります。今から2、3年前という ことになるかと思います。そのころから、内々で は、後をどうするかというような議論にかなり真 剣に取り組み始めました。プロジェクトは一応10 年計画でしたし、基礎研究的なプロジェクトとし ては珍しく、結果的にスケジュールに非常に近い 線で進展してきて成果もほぼ10年でまとまるだろ う、ということで、ここできれいにプロジェクト を終結させるべきではなかろうか、そのほうがい いのではないかという議論もありました。

 これだけいろいろ成果が積み上がってき た、この成果をどうするか。基礎研究ですから、 すぐにこれが実社会に出て、ビジネス社会で普及 するというより以前のことをやってきたわけで す。特に若手の研究者の皆さんの努力で非常に多 くの成果が上がったわけですが、やはり基礎研究 の段階の成果なので、実際にこの技術が社会に定 着する時点との間に、時間的にも内容的にも ギャップがあります。そのギャップをどう見るか ということで議論が分かれていたと思います。片 方は、技術の内容がよければ自然に社会がそれを 育ててくれるものであろう、そうあるべきという 意見。もう一つは、やはり技術が社会に定着する ためには、もう少し手を入れてこの技術が広まり やすくする手立てをするべきだという意見。この あたりが、大きく議論として分かれていたと思い ます。

研究技術者としての役割とプロジェクト推進

 私自身は、どちらかというときれいにやめる立 場でした。技術開発のいろいろなりズムを考える と、国が永遠にプロジェクトを続けるわけにはい かない。基礎研究ができた、次は開発研究かとい うことで国がプロジェクトを立てる、それもうま くいったから国が株式会社をつくってベンチャー を始める、それが成功したから巨大企業を国がつ くる、というふうにはいかないのです。必ずどこ かで節目というか折り返しが必要だろうというこ ともありまして、私はどちらかというと、終結さ せたいほうの立場であったわけです。

 かたや、内田君をはじめとする、現在では若手と言っては申 しわけない大家ですが、私から見るとずっと若手 の中堅だと思っていた連中が、技術というのはや はり一歩下がっても、もう一つ手を入れられると ころは手を入れて世の中に引き渡すような努力を しなくてはいけないという主張をしていた。その 辺の議論は、担当の通産省の電子政策課の人たち とも一緒になってかなり激しくやりました。その 結果、4月からスタートしている「基盤化プロジェ クト」が動き出すことになったわけです。昨年6月 の国際会議のころにはほぼ見えていたのですが、 実際は、国際会議の後にそういう路線が確定して いったという状況です。

 私も、個人としてはかなりズボラですが、 技術屋としては、技術というものは 単に論文を書いて終わるというものではなくて、 やはりどこかの時点では実社会に役に立つことを 目指すのが、基礎研究といっても技術研究のあり 方だろうと、哲学的には思っているわけです。で すから、この10年間のプロジェクトが、ただ記録 にとどめられるだけで、ああ、いろいろやった な、テクニカルレポートも1,000以上あるようです から、論文もたくさんあったな、という歴史的事 実だけで終わってしまうようなプロジェクトを やっていたつもりもないわけです。

 このプロジェクトで開発した技術が、 これからの社会に本当に 定着して展開していくことを期待しながらやって きたわけです。ですから、内田君をはじめとする 人たちが主張していた、地道な努力をさらに積み 重ねるべきだという意見のほうが、技術者として の正論であったかと思います。

生き続ける「並列推論」

 このプロジェクトは通産省のプロジェクトです から、通産省が行政的なことも含めてどう判断す るかが問題であったわけですが、幸いにして、通 産省の中でもやはりこの技術をもう少ししっかり 固める方向で行くのがよかろう、というような議 論になっていきました。

 これは大変珍しいのではないかと思います。と いうのは、プロジェクトを10年もやりますと、成 果が上がったにしても大体みんな疲れ果て て、もういいということになる。一番働くのは中 堅といいますか、若手ですから、一番くたびれる のはそこら辺で、実はやれやれと号令をかけてい る老人だけが元気で、まだやるぞと言ってるけど 下はくたびれているということが多い。幸いなこ とに、このプロジェクトは逆であった。この10年 間、肉体を酷使して、くたびれたと言いつつも、 実は心の中は全然くたびれていない連中がたくさ ん育っていたということは、これは大変珍しい。

 それから、もう一つはそういう技術研究者たちの 意見と行政的な判断というのが非常にきれいにマッ チした。これもなかなか珍しいわけです。研究者は やりたいと言っているが、やめておいたほうがいい のではないかという意見がまわりに多いとか、逆に いろいろな事情でもう少し続けざるを得ないけれど も、研究者はやりたくない。しかし、義務としてや れという組み合わせというのは、世の中には結構あっ たりするわけです。そうではなくて、非常にいい形 で両方の意見がそろって後継プロジェクトをスター トできたというのは、大変恵まれた状況であったの ではないかと思います。

 私自身は、このプロジェクトがうまくいってい なければ、当然、引責でやめざるを得なかったわ けですが、うまくいってもやめようと思っていま した。私自身は進退を明らかにするというか、節 目をつけるということで、昨年度末には身を引こ うと決意していました。規模は小さめになりまし たが、その後を引き継いでいくピリッとした新し いチームを発足できるということになって現在に 至っています。皆さんとは長いおつき合いをさせ ていただいていますので、いろいろとざっくばら んにお話しさせていただいていますが、そういう ことで、新しい立場でこの壇上に立つことになっ たというわけです。

 第五世代ブロジェクトが何を目指したかとい うことは、改めて議論することもないかと思い ますが、この十数年来言っておりますように、 並列推論というキーワードを取り出しまして、 それを核としてプロジェクトを展開してきたわ けです。十数年前、並列推論を核としてスター トした時の議論を振り返ってみると、当時はま だコンピュータ技術というのは、それ以前の蓄 積の上に立った成長の段階にあったわけです が、われわれのプロジェクトは、その先をどうする かというような議論からスタートしたと思って います。研究としては、いろいろなテーマや大 事な切り口があったわけですが、すでに基礎がで きていて、産業として現在発展しつつある技術 ではなくて、そのまた先に来る何かを作り出 すプロジェクトをやりたいと思った。これは研 究者のほうの議論もそうでしたし、先ほど林良造課 長が言われたように、当時の通産省もそういう 問題意識があったわけです。では何を核として 選ぶかということで、一つは言葉としては大変 簡単ですが、並列技術という方向、それからも つ一つは知識処理といいますか、情報処理をよ り高度にする方向として人工知能的な研究をさ らに発展させる。その二つを結びつけた接点の ところでプロジェクトができないかという議論 の結果、第五世代プロジェクトがスタートした わけです。

 この二つは、ルーツからするとやや別なもので あるわけです。並列ということだけで言います と、いろいろなハードをたくさん並べるという長 い歴史もあったわけです。そういう単なるボトム アッブ的な発想から、並列技術の研究をテーマと して選ぶ方法もあります。それから、人工知能的 な、あるいは知識処理的な研究については、ハー ドで何であれ、いろいろおもしろいモデルを出し て研究するという方法もなくはなかったと思いま す。しかし、このプロジェクトのポイントは、そ の二つをつなぐところに研究が生産的になる要素 があるのではないか、と思い定めたところにあっ たかと思います。

「推論」というキーワードで引っ張る

 皆さんご存じのように、並列コンピュータの歴 史は長いですが、大体これは難しい、うまくいか ないという過去の多くの研究者の失敗の歴史とい うか、苦闘の歴史、ともいえるものがあったわけ です。ですから、みだりにそういうものをやって もうまくいくはずがない、再び前者の轍を踏む危 険性が高いという状況が、少なくとも10年前には あったと思います。数年前までもきわめて根強く 残っていたといえるかも知れません。

 人工知能の研究も結構歴史が長くて、山あり谷 ありだったわけです。プロジェクトをスタートす る頃までに、そういうものはおもしろいと思われ ていた時期がありますが、やはりとてもうまくい かないものである、これは学者の道楽みたいなも ので、絶対ものにならないという非常に悲観的な 観測が高まっていた。

 そういう二つの悲観論の対象であったものを結 びつけると、悲観の二乗になってしまうのではな いかという議論もありました。しかし、私どもの 考えは、それは逆ではなかろうか。並列という方 向でボトムアッブ的にだけアプローチしようとし ても、それまでのいろいろな研究者の苦闘の歴史 が示すように、うまくいかない可能性があります。何 か別の要素を入れなきゃいけない。片方、人工知 能のほうはソフトの問題ですから、ハードはポロ でも頭さえよければいいものができると言って も、なかなかうまくいかない要素があります。この二 つの難しいものを結びつけたい。並列について は、もう一つオペレーションのレベルを高めて考 えることはできないか、それから知識処理、人工 知能のほうも、よりハイパフオーマンスな技術を ベースにしたものにならないかということで、 「推論」というキーワードを引っ張ってきたわけ です。推論ということには並列性があるというの は、理屈としてあっただけで、技術としてはまだ なかったわけですが、そういうところに新しい活 路が見出せるのではないかということでプロジェ クトがスタートしたわけです。

 それ以来、プロジェクトの中の研究の歴史がい ろいろとあるわけですが、結果的に言いますと研 究を進めるための仮説が、節目節目にうまく展開 してきたような気がしています。  例えば、前期について言うと、プロジェクトの 基礎を作ろうということで、まず基礎的な研究 チームを発足させました。片方ではそのための研 究インフラを早急に整備しようということで、後 にPSIと呼ばれるようになったワークステーション を企画して、それを自分たちで設計し、自分たち で使って研究を進めていく準備をしました。前期はそ ういう期間であると位置づけていたわけです。と いうことで、PSIとかSIMPOSとか、言語でいうと ESPというようなものができたというのが前期の成 果です。

 また、前期の終わりごろに、KL1のもとに なったGHCという計算モデルの提案がありまし た。これは、いろいろな研究者、古川康一君以下の ICOTのチームと、また、国内だけでなく、英国な ど外国の新鋭たちとの密度の高い議論のあげくに 生まれました。後で考えると、それが線表にピタ リと乗っているわけですが、線表を作るとき に、だれそれが何年の何月にどういう計算モデル を提案するなんてことはわかるはずがない。スケ ジュールできるようなものではありません。何となくそ の頃には何かあるかなというようなことで線表を 書いてスタートしたのが、結果的にはその通りに なるというようなこともあったわけです。

 中期に入って、いよいよ並列コンピューティン グの技術に取り組もうということになったときに も、いろいろ新たな展開がありました。結果的に は、GHCから出てきたKL1という言語を基本にし て、ハードのほうの並列アーキテクチャあるいは 並列マシン自体をやっていこうということになり ました。私としては、それはまさにそうあってほ しかったわけですが、内部的に言うと、研究者た ちの自発的な議論の中でその線が固まってきたと いうのが中期だったのではないかと思います。 Multi-PSIをつくったり、KL1も固まってきて、そ の処理系ができたりとか、それをべースにして現 在PIMOSと呼ばれているOSができてきたというの が中期の成果でした。

アプリケーション・オリエンテッドに固執せず

 その後、後期に入ってどのように展開するか。 それ以前の展開をさらに伸ばすという方向もあっ たわけですが、中期に生まれた技術をもとに、そ れをさらにいろいろな問題に結びつけていこうと いう動きも出てきました。これが、現在アプリ ケーションとか、検証用のソフトとか呼ばれてい るいろいろなテーマにつながっているわけです。 内部ではいろいろな議論がありましたが、結果的 に見ると、結構多彩な問題について並列推論の技 術の展開が図れたと思います。遺伝子情報の解析 であるとか、LSIのCADであるとか、法律の問題と か、これまでご報告したようなテーマがいろいろ ありますが、そういうテーマに沿ったチームがで きて、さらに内容的な充実が図れたというのが後 期だったと思います。

 そのような展開は、結果的に見ると私としては 非常に満足がいくわけですが、いろいろな議論を 思い起こすと、特に初期のころはいろいろな忠告 とか助言があったように思います。研究プロジェ クトを進めていくときにどういう方向をとればい いかというのは、別にこれだと決まったものはな くて、それぞれの人の考えによっていろいろな ケースがありますが、いくら基礎研究のプロジェ クトといっても、アプリケーションを先行させな いものはだめだというようなことを、まわりの方 から強く言われた記憶があります。これは、ある 意味で正論なんですが、私は性格があまのじゃく にできているものですから、そういう議論が出る とたちまち片方の極論に走りまして、「そんなこ とはない。現実の応用問題を分析して、その分析 から次のステップの新しい技術はかくあるべしと いうようなことがわかって、それを展開して新技 術ができたというためしは、技術の歴史の中で私は 見たことがない。」なんて極論を言ったことがあ ります。実は、今でもそういうふうな気がしてい ます。

 私は技術史の専門家ではないので、大きなもの を見落としているかもしれませんが、アプリケー ンョン・オリエンテッドで一つのプロジェクトが スタートして基礎技術ができた例は、やはりない ような気がします。しかしながら、大きく考える と、世の中全体としてはアプリケーション・オリ エンテッドの構造になっているわけです。現実の 問題にいろいろ取り組んでみる。そこで苦しんで うまくいったりうまくいかなかったりする。そう いう何千、何万の技術者の体験がもとになって、 やはり新しい技術が必要だということになります。

 それで、プロジェクトになる以前の基礎的であり萌 芽的な研究もスタートして、何か結果が出てく る。それがだんだん育っていってぐるっと回って くるという、超マクロなアブリケーション・オリ エンテッドなパターンというのは、当然ありま す。テクノロジーというのは、そういうものだと 思いますが、しかし、これをスケジュール的に やって、例えば10年ぐらい、あるいは10数年のレ ンジでやってうまくいった例というのは極めて少 ないと言えます。大体、応用からスタートしますと、どうし てもその応用をうまくやらなくてはいけないとい うので、早目に既存の技術を使ってまとめようと いうことになりがちです。仮にそこで新しい芽が 生まれたとしても、そのプロジェクトの中ではな くて、その後で、非常に間接的な形で役に立つと いうようなことが多いような気がしています。と いうようなことで、当初はこの第五世代プロジェク トを、仮に通産省が何を言おうと応用オリエン テッドな、応用を先行させる研究にはしないと頑 張っていたわけです。

 そうは言っていたわけですが、技術の当然のあ りようとして、いろいろな応用の問題と結びつい ていくということに関して、反対するつもりは当 然なかったわけです。実に幸いなことに、そうい う応用問題も手がけるべしという意見が現場の研 究者の中から出てきて、この間題がおもしろい、 この間題をやってみようということでいろいろな 問題が手がけられた。その結果、中核の技術であ る並列推論の技術にそれがフィードバックされ て、その内容がより発展したというのが後期で あったかと思います。

 ということで、今になりま すと1セットの技術、つまり、コンピュータですか ら中核に言語があり、その両脇にハードのコン ピュータのアーキテクチャと、基本ソフトのOS や、知識データベース的な基本ソフト、その上の いろいろなアプリケーションというようなワン セットの技術ができてきたのです。ですから、プ ロジェクトとしては非常に形よく、技術のワン セットを手がけてきた、結果としてそういう形に なってきた、というように見ることもできるかと 思います。

創造的研究と研究管理・組織

 しかしながら、またよくよく考えてみますと、 結果としてそうなるという別の隠されたスケ ジュールがあったというよりは、やはりこのプロ ジェクトに結集した研究者たちが、自分自身の研 究者あるいは技術者としての発想をべースにし て、自発的、意欲的に研究を展開してくれた。こ れが一人だけではなくて、何十人、教えように よっては何百人の人たちがそういう気持ちでいて くれたということで、そういう結果がもたらされ たのだろうと思います。

 この10年間のプロジェクトがうまくいったの は、まさに今申し上げたように、このプロジェク トに結集した研究者たちの気持ちが、なぜか限り なく一つに近かったということが最大の原因だっ たのではないかと思います。そう言ってしまえば 簡単ですが、現実にそういう現象が起こるという のは、大変珍しいことではないかと私は思ってい ます。というのは、研究というものは、新しいも のを作り出さなくてはいけない、「創造」という 側面があります。非創造的な研究というのがあるか わかりませんが、何か新しいものを作るから発する ものです。いろいろなデータを集めてき て、ある種のプログラムにかけると何かが出てく るというようには、いまだになっていないわけで して、いわく言いがたい個人の何かに根ざしてい ることが大変多い。ですから、個性的なキャラク ターと創造性には深い関係があると言われるわけです。

 ということで、研究というのは多様性に富むと いうか、個性的なものでなければならないという ことが片方に常にあるわけです。そういう基本的 な性格を持っている「研究」というものを組織化 するというのは、どういうことでしょうか。プロ ジェクトというのは、多くの人たちを結集して一 つの組織としてやっていくということでもあるわ けです。理屈で考えると、創造的な研究と、プロ ジェクトというのは本質的に矛盾があるのではな いか。組織というのは、どちらかというと個性を ならして、全体を合理的にスケジュール化して、 多くの人をむだがないように管理して進めていく というのが、やはり基本的にあるような気がします。 そういうことと創造的な研究というのはどう もうまくいかないことが多いわけです。

 実際に、私も結局のところ、電総研を含めて研究所以外に 出たことがないという人間ですが、研究者社会の 生態というのは、皆さんご存じのように何だかん だ言っても個性が強い。また、何だかんだ言って もみんな優秀な人たちなわけです。中では、お互 いにあのバ力とか言ってますが、世間的に言うと 大変優秀な人の集まりですから、これが、組織的に行儀よ く管理されているからといって成果が上がるわけ ではありません。無秩序にガンガンやっているときのほ うが、後になってみると生産性が高かったという こともある。そういう社会なわけで、そうそう研 究者を組織化して線表に乗せていくというわけに もいかないというのが基本的にあるわけです。

 しかし、研究というものも時代の進展ととも に、何らかの意味で大規模化します。最初の最初 は、ある個人の中に、これでいけるのではないか という小さなアイデアがある。その裏には実は、 本人を含めた多くの人たちの体験や思索が何らか の形で反映しているわけですが、ある瞬間は個人 的な思いつきというものからスタートせざるを得 ないわけです。しかし、それだけでは進みません。特にテク ノロジーの場合には、その一人が思いついて一人 が頑張っていけばでき上がるというものではな い。研究というのは、鉛筆と紙だけではできない ので、何らかの意味でプロジェクト化というか、 組織化、それに伴ういろいろな予算的な措置等が 不可欠であるという必然性があります。そういう ことで、創造的な研究とプロジェクトとの関係と いうのは、かなり以前から議論になっていたので はないかと思います。

テクノロジーとして存在しないものを目指した

 このプロジェクトは、通産省を含めて基礎技術を 研究すると決意をしてスタートしたわけです。そう いう説明を、私自身も何度も繰り返したんですが、 そんなものは信用できないと言われたこともたびた びありました。考えてみれば、私がいま言ったのと 同じようなことを思う人は多いわけで、私自身も、 もしかするとほかのプロジェクトに対してはそうい うことを申し上げるかもしれません。基本的にそのニ つの関係の調整というのは難しいわけです。

 このプロジェクト自体は、キーワードはあったわけです が、テクノロジーとしては存在しないものをつくろ うということでした。10年前に並列推論と言ってい たのを、ある人たちからは、それは単に 世の中を惑わす言葉の遊びだと言われたこともあり ます。実際にそれをしっかり裏づけるテクノロジー が当時は存在しませんでした。では、それを作ろうと いうことでプロジェクトがスタートしたわけです。 ですから、いろいろな疑いとか批判も受けたかと思 います。

 そういうことの結果が、先ほど申し上げたよう に、実は非常にうまくまとまってきたわけで、こ れは自分が当事者の一人でしたから、手前みそに なりますが、かなり不思議な歴史的現象だったの ではないかと思っています。普通で言えば、趣旨 もよく、集めた研究者が優秀であっても、途中で 瓦解するということのほうが、エントロピーの法 則を言うまでもなく確率的には高いわけです。

 よく並列コンピューティング技術の中で議論される ことですが、たくさんの台数のコンピュータを使 うとどうなるか、100台集めれば100倍になるのか という議論があります。100台集めて100倍になっ たって、全然おもしろくないと言う人たちもいま して、三人寄れば文殊の知恵だから、100台集まれ ば1万倍か100万倍ぐらいのことができるのがおも しろいと言う方もいらっしゃいます。しかし、テ クノロジー世界で言うと、それはなかなか難しく て、100台集めて100倍にするためにICOTは苦労し てきたのですが、最近では80倍ぐらいになって、 500台つなげて400倍とか言っているわけです。物 質に根ざした技術の世界では、リニアオーダで並 列効果が出れば、それだけでも大変なことではな いかと思いますが、人間の場合にはそう単純でも ない。場合によっては、数百人が集まったために 数百倍以上のことができるというスーパーリニア なこともあったりします。逆に、たくさん集まった ために一人でやるより能率が下がるということも あります。非常に幅の広いのがどうも人間の特性のよ うです。このプロジェクトの場合には、幸いなこ とにスーパーリニアな効果が出たかなという気が しています。

 数学とかピュアサイエンスというのは私自身体 験がないのですが、テクノロジーにおける基礎技 術、基礎研究のあり方というのは、これからも問 題であり続けるのではないかと思っています。そ こに解があるかというと、多分期待される解はな いのであろうというのが私の直感です。その解と いうのは、普通にマニュアルに書いてあって、こ のマニュアルのとおりにやると研究プロジェクト がうまくいくというようなもので、コンピュータ の世界で言えばプログラム化するというか、アル ゴリズムが存在すれば大変楽なわけです。開発で も同じようなところがあるのではないかと思って います。

 しかし、基礎技術の研究というのはアル ゴリズムのない、マニュアルのない世界であり続 けるのではないかとも思います。かといって、全く ランダムなものかというと、そうでもない。その ときのそれぞれの当事者の知恵などによって、う まくいくとスーパーリニアな効果が出ます。アルコ リズムはなくても体験というのは参考になるわけ で、あそこはこうやったけど、ああいうふうには やらないというような、いろいろな経験的積み重 ねというのは大切であると思います。

将来にどのように生かされるか

 そういうことで、並列推論ということをキー ワードにしてプロジェクトを進めてきましたが、 この技術はこの11年間で基本的には相当よく確立 されたのではないかと思っています。しかしなが ら、内々の者が思っている成功というのが、本当 にどの程度、客観的な成功であり、あるいは多く の人のコンセンサスになるかというのは、むしろ これからのことです。評価委員会等でさまざまな 評価をいただいていますが、それは一つ のステップであり、本当の評価というのは5年後、 10年後あるいは20年後に、5Gの技術が将来の技術 の中でどの程度生かされているかということで定 まってくるものだと思っています。それがまた、 基礎研究のあり方の一つであって、ここに矛盾も あるわけです。最近は基礎研究シフト、基礎シフ トと言われていますが、世間が本当に基礎の意義 を認めているかというと、何年かたつといくらも うかったかとか、いつ商品化されるかという議論 につながってしまうことが多いのです。ICOTの成果に対 しても、一部のジャーナリズムは商品化されな かったから失敗だなんてことを言っています。

 そういうようなことを含めて、日本の社会あるいは国 際社会で基礎研究がしっかり定着するには、順風 だけではなく、いろいろな要因が残っているかと 思います。それは別にしても、本当の技術の 評価というのは、時を経て定まるものではないか と思います。

 しかしながら、このプロジェクトで展開した技 術は、やはりこれからのコンピュータの技術の展 開に対して大きな役割を持つと私自身は信じてい ます。それには、かなり非アルゴリズム的な感覚 もあるわけですが、この過去10年の展開を見て も、ある瞬間で見れば非常に偶然と思われること が何度も積み重なってうまくいった。その偶然の 裏には、いや俺はものすごく徹夜したとか、夜も 寝ずに考えたかという、何百人の人がいるわけで す。それを含めたいろいろな偶然、それは研究の ほうの偶然ですが、世界のコンピュータ技術を見 ても、そういう偶然からの展開と解釈していいよ うなことがいっぱいあるわけです。

 去年の段階ではまだはっきりしていなかったと 思いますが、この数年、並列コンピューティングへ の動きが、エクスポネンシャルに立ち上がってき ているのではないかと思います。今でもそうかも しれませんが、数年前の論調に比べ、ワークステー ションとかパソコンが多くの人の予想を超えて展 開した。そんなことを予想していた人は本当はた くさんいるというのが私の持論ですが、実際にこ うなるとは思わなかったという正直な人たちの感 想のほうが正しいかもしれません。ワークステー ションベースの分散処理というのが、これから先 10年以上の大きなトレンドだということで、並列 処理の時代はまだ来ないという論調もあるし、あ るいはそれと違う方向で現実のコンピューティン グの歴史が動いているという指摘も結構あったり したわけです。

 しかしながら、それはそう簡単に割り切れるも のではなくて、現在あるワークステーション技術 を、ただ速くする、洗練するというだけでいいか というと、私自身はいまだに疑問を持っていま す。速くする、洗練することそれ自体に意義はあ りますが、もっと先の展開もある。そこの接点の ところで、並列処理の技術というのが浮かび上 がってくる、位置づけられるだろうと思っていた わけです。もう少し先にそういう現象が起こるだ ろうと思っていましたが、少し早目に時代が動き 出したような気がしています。

ICOTが手がけなかったこと

 それからもう一つは、言葉で言うと並列処理と 分散処理は違う単語になっていますが、私の好き な、技術のよりルーツのほうに戻してみると、こ の二つは非常に密接な関係があります。同じものの二 つの現象であるかもしれないと解釈してもおかし くはないと思います。たまたま、現実には分散処 理のほうはきわめてボトムアッブ的に進んできた。 それから、並列推論のほうはまわりから見ると、 哲学者のフレーズを持ってきたような、少し高踏 的な、トッブダウン的な方法で進めてきたような 印象はありますが、基本的にはそこに共通のもの があって、その辺の融合というのはこれからのコ ンピュータ技術のポイントの一つになるという気 がしています。

ICOTで手がけなかったコンピューティングの分 野、超高速の数値計算という、いわゆるスーパー コンピュータの世界、これは別のプロジェクトもあったと いうことで直接手がけておりませんが、数値計算 の超高速化、超並列化ということについても、 ICOTでやってきた研究は大変参考になるのではな いかと、私は直感的に思っています。そちらの世 界ではFORTRANしか使わないなどという、超保守的 な、あるいは現実主義的な意見もありますが、や はり関数的プログラミングの考え方というのは浸 透していっているようであって、それらの接点 からすれば、この超並列の数値計算をさ らに大きく展開させるための一要素にもなり得る と思っています。

 ということで、推論という言葉 から、あるいは知識処理、人工知能というキー ワードから、現実の問題とは違うような情報処理 分野を手がけているかのごとく思われていた側面 もありますが、そうではなくて、現実的ないろい ろな問題と今後つながっていくようにいろいろな 皆さんに努力していただいても有効であろうと思 うわけです。当事者が言うと強 がりかもしれませんが、この技術はあと2年間の基 盤化プロジェクトの成果もあわせたうえで、より広 く世の中に広がっていくと私自身は思っているわ けです。

ICOTこれからの2年

 ところで、この10年というのは結構長くて、途 中にいろいろなことがありました。スタートのと きには、まだ暗黒時代と言われていた人工知能の 世界でAIブームというのが起こって、われわれのプロ ジェクトはそれで助けられたという評論もありま す。片方で、私はその当時から、このプロジェク トはAIプロジェクトではない、コンピュータ技術 のプロジェクトだと明言しているわけです。 AIブームが起こった。ところが、その後しぼんで しまいました。その後に出てきたさまざまなキーワー ドが、今度はまた大変画期的ではないかという期 待が生まれて、現在考えれば、またしぼんでいる かもしれません。

 というようなことで、過去10年とい うのは日本経済というか、世界経済がバブル的な 拡張をして、それがまた崩壊したと言われていま すが、技術の世界でもそれに近いことが何かあっ たのではないか。AIにしても、あるいはニューロ やファジー技術にしても、技術として見ればそれ ぞれの意義があって、それぞれ研究しなくてはい けないわけですが、それが世の中でブームを呼ん で過大な期待を引き起こしてしまいました。過大な期 待を寄せるような心理的状況が80年代にはやはり あったのかなという気がします。そういうのは、 マイナスばかりではなくて、前進しようというこ とだったり、あるいは新しいことをやろうという 雰囲気につながったりしますが、危険なのはふく らみ過ぎた期待というのはやはりしぼむというこ とです。適正な規模にしぼめばいいわけですが、 大体、経済現象と同じに逆の極端にいってしまい ます。ひところあまりAIと言い過ぎたために、最近 はAIはだめだとか言う人も出てきているようで、 その後のいろいろなテクノロジーについても、あ る技術的な意義を超えて評価されたり、逆にそれ 以下におとしめられたりすることもあるかもしれ ないという危惧を感じています。

 しかし、技術自体はその中間にあるわ けで、これからもそれぞれの技術の開発、研究は 大事だと思っています。並列というやや地味なと ころは、かつて基礎的なテーマであったわけです が、これについては蓄積が出てきています。が、 その上に乗るべきいろいろな広い情報処理の世界 は、これからさらに展開させるというか、研究を 続ける必要があると思っています。

 知識処理とか人工知能というのは、ICOTでもテーマとして取り 上げましたが、私は昔から言っているように、こ れは10年で終わるものではなくて、極端に言うと 50年、100年のレンジのものである。本当の知識処 理の時代というのは21世紀だというのが、実は私 が10年前から言っていることなわけです。これ は、AIブームのときには、そんな悠長なことでな くてもっと早くビジネスにするという勇ましい意 見のほうに消されていたわけですが、その後、AI ブームが去ってからは、今度は逆にそういうもの はやはり難しくてだめなのではないかという悲観 論のムードが出てきて現在に至っています。 しかし、そう極端なものでもないと思います。 基本に近い知能的なモデルなどは、新しいいろい ろな発想をつけ加えていかないと発展しないとい うのは研究の常として当たり前ですが、まだまだ これからやるべきことがいろいろあるわけですか ら、これからの展開が重要だと思います。

 素材的に言うと、このAIブーム時代のいろいろな体験を 含めた情報の蓄積、これは自然言語、機械翻訳に おける辞書データの蓄積などというのが極端な一 例ですが、そういうデータや、体験の蓄積が、こ の10年間大きく進んだと思います。そのあげく に、しかしなかなかうまくいかないという一部の 絶望感も出ているかと思いますが、そんなに直線 的なものではなくて、5年後なり10年後なりの新し い展開に向けての蓄積が80年代に進んだ。これか らの新しい人とか、これまでの人のいろいろな思 索によって、80年代の蓄積が生き返るような時期 がまた来るだろうと思っています。そういうとき のためにも、コンピューティングパワーが並列化 されて、より高機能化され、研究のツールやいろ いろな実験のツール、実用化のツールになってい く、そんな位置づけで進むのではないかと思って いるわけです。

 だいぶ、散漫な話になって、11年間を年表的に 整理もせずにお話ししてしまいましたが、 いろいろな雑感を交えて話し てみました。先ほど言いましたように、今は、 技術研究をこれからさらにしっかり展開してい くための大事な時期に来ているわけでして、 ICOTのこれからの2年というのは、そのために なさなければならないいくつかの努力のうちの 一つになると思っております。 今後とも、特にご列席の皆様のいろいろな激励 や助言をいただければ幸いだと思います。 長時間、ありがとうございました。