ナショナル・プロジェクトの本来的目的

第五世代コンピュータ技術のさらなる発展に向けて

ICOT・研究所所長 / 渕 一博



いよいよ、第五世代コンピュータ・プロジェクトは10年目に突入した。1991 年6月の第9回「第五世代コンピュータに関するシンポジウム」では、ICOT の数々の研究開発成果を評価しながら、それら基礎研究の今後の継続性について 語られた。国家プロジェクトの研究成果をオープンに、という考えを打ち出した のも画期的提案であった。さらに、こうした基礎研究の研究環境という点にも言 及したものであった。

10年目に入ったプロジェクト

 毎年の成果発表のシンポジウムでお話しさせて いただいておりまして、これで9回目のお話をさ せていただくことになります。これまでの話を自 分で振り返って見ますと、大体同じようなことを 言っておりますけれども、年ごとに少しずつ変化 もあるかという気もしております。きょうのお話 も、去年お話ししたことと全く違うわけではなく て、かなりの部分は同じお話をさせていただくこ とになるかと思いますけれども、それに何かプラ スができれば幸いだと思います。

 このプロジェクトが10年目に入ったということ で、これまでは、まだ時間はたっぷりある、3年 もある、これだけあればいろいろなことができる、 まだ2年もある、で、ついにあと1年。ちょうど 1年先の来年の6月に国際シンポジウムで最終的 な成果発表をさせていただくことになりますが、 こういう時期になりますといろいろな方々から質 問されます。FGCSプロジェクトはどの程度の成 果を上げたのか、当初考えていたものをどの程度 達成できたか、いろいろ質問されるわけでありま す。

 ついせんだってもある雑誌の方からインタビュ 一を受けまして、コンピュータ技術の現在の状況 というものを10年前にどの程度予測していたか、 ワークステーション、UNIX、C、あるいはRISC チップなど、新しい動きが定着しつつあるけれど も、そういうものをどう思っていたかということ で、10年前を思い起こしますと、これは、言いよ うによっては、こういう状況を予測したために第五 世代プロジェクトを立てたということも言えるか と思ったわけであります。と言いますのは、これ は前にもお話ししたわけですが、プロジェクトを スタートする前にいろいろな議論をした。特に代 表的な2つの意見があって、その間で激論を闘わ せたという歴史があるわけです。そのときの論点 は何だったかというと、今の言葉でいうと、今の ワークステーションのようなものをターゲットに してプロジェクトを組むべきだという論の人と、 それから現在進めている並列推論のようなものを 目標にすべきだという論の人と、その二派が激し く争ったという歴史があるわけです。

 コンピュータがワークステーション化していく とか、あるいはその中で最近はやっているRISC チップみたいな話、これらはジャーナリストにと っては非常に新しい話のようですけれども、我々 にとっては、もう以前から話があって研究が進め られていたものであるわけで、そういうものをど ちらの派も前提にした上での議論だったと思って いただいていいと思うんですね。

 最初のほうの派の、ワークステーションとかネ ットワークなど、そういうイメージを持ってプロ ジェクトを組めと主張した人というのは、どちら かというとコンピュータ・メーカの指導的な技術 者の方々のような、多分、ご自身では現実をしっ かり見た現実主義者だと内心思っておられるよう な人たちの意見だったわけですね。それに対する 並列推論派というのは、現実をあまり知らない理 想主義の論ではないかと言われたことがあります。 しかしながら、今になって考えますと、どちらが よかったか。第一の意見の現実主義者的な意見を 取り入れてプロジェクトを設定していたとすれば、 いまやもうこれはナショナル・プロジェクトの対 象ではなくて、現実にビジネス最前線という状況 に既に来ているわけで、国のプロジェクトの目標 としてはあまりにも低すぎたということが、結果 論において言われたに違いないわけですね。それ に比べて現在進めております並列推論というのは、 幸か不幸か、まだ世界のビジネスの中心にはなっ ていなくて、まだまだずっと手前の研究開発のと ころにある。そういうことで考えると、現在のよ うな状況を予測したのは、むしろ当時理想主義者 と言われた我々のほうで、こういう事態をかなり 直観的に把握していたと、若干自慢ですが、そう いうことも言えるのじゃないか。そんな気がいた します。

国家プロジェクトの考え方

 そんなこともありましたが、当初から並列推論 という目標を掲げて今日まで来ております。世の 中にもいろいろな動きがありました。10年前です と、推論といいますか、AIにかかわるような流れ というのは、全然そんなものは物にならないと言 われていたのが、数年後にAIブーム、エキスパー トシステム・ブームというのがありまして、少し 技術的な言葉で言いますとルールベースのソフト ウェア作り、プログラミングというのが世の中 に定着した。それから、並列ということも、これ は研究の歴史が古いんですけれども非常に難しい と言われていて、とても無理じゃないか、物にな らないのじゃないかと言われていたわけです。ICOT の成果は後ほどいろいろご報告しますげれども、 世の中全体としても並列化の動きというのは、こ の数年、とみに強くなっているのではないかと思 います。

 そういうことで、10年前にはどちらも評判が悪 いというか、極めて困難と言われた並列と推論、 その2つをさらに組み合わせた話であったわけで すけれども、現在になりますと、そういう流れと いうのは、まだ十分に認知はされておりませんけ れども、世界全体の動きの中に姿を現してき ていると言えるかと思います。

 そういうことを踏まえて考えますと、国のプロ ジェクトはどうあったらいいかということ自体の 実験をこの場でやっているということもいえるわ けです。国のプロジェクトというのはどういうも のであるべきか、いろいろなテーマがありますか ら一概に言えませんけれども、一番平らには、民 間ではできないようなことをやる。現代の社会で は、技術とか生産を担うのは民間の企業ですね。 そこに一番大きな力があるはずです。そこと同じ ことを国がやってもしようがないわけで、国とし ては、多分、2つの方向に行く。1つは民間でや らない、なぜやらないかというと、あまりにも先 端ではない、古くなったもの、定着させなきゃい けないものというようなこと。それからもう一つ は、目標が高すぎて民間独自ではできないもの。 どちらかになるのじゃないかという気がいたしま す。

将来技術についての目きき

 ちょっと脱線なんですけれども、技術の世界と いうのがどんどん進んでまいりますと、古い技術 が立ち枯れるという危険が出てくるわけですね。 若い人はやっぱり新しいことをやりたいというの で、ほんとは大事なんだけれども、人が行かない ということで、そういう技術が消えていく危険と いうのがあります。ですから、そういうものをど うしっかり保存するかというようなことは、これ から多分、国が研究開発にかかわる一つの大きな 側面になってくるのじゃないかと思います。

 一方、目標が高くて難しいほうですけれども、 この場合は目標の立て方自体が難しい。目標とし て高すぎない、低すぎないというのが非常に難し いわけです。実現できない夢のようなことを言う のは言いやすいわけですけれども、実際にやって みますとうまくいきませんから、最初、夢に対す る挑戦で立派と言われても、たちまちのうちに何 も出ないじゃないかとぼろくそに言われる。一方、 低い目標というのは、当初は比較的達成が見えて いるので、これも評判がいいのですけれども、実 は現実のほうが先に行ってしまって取り残される。 過去のナショナル・プロジェクトの中にそういう 例は幾つもあります。プロジェクトを組むからに は実現可能でなければならない。しかし、あまり に容易で現実にすぐ追い越されてしまうようなも のではいけない。ということで実際にはなかなか 難しいものであります。

 これは、衆知を集めて投票すればいい解が得ら れるかというと、そうはいかないところにまた問 題があるわけで、極端に言うと多数の人、マジョ リティのコンセンサスというのは必ずしも将来に 対する見通しとしては当たらないという経験則も あったりするわけです。常識的な判断だけでは、 特にこれからの研究開発を育てるということにな らないと思うんですね。先ほど西澤潤一先生が言われ ましたけれども、日本人には独創性がないわけで はなくて、かなりある。しかしながら、それを評 価する、馬でいえば伯楽ですね。目ききが少ない のだとおっしゃいましたけれども、私も極めて同 感であります。

 その問題は私にもこれまでいろい ろ体験があるわけですけれども、将来性について 評価をするというのは、単に常識に従っていい悪 いというだけではだめなわけです。周りの評判は 悪いけれども、これは物になるかもしれないとい って育てられるかどうかというのが本当の評価力 なわけで、そういう力をどうやって日本に育てて いくか。もちろん実際に研究するのは若い人たち ですから、その人たち自身に研究する力がなけれ ばならないわけですけれども、それを見抜く眼力 と、それを育てる環境を作って与える力というの が、これから日本にとって非常に大きな課題にな ってくるという気がいたします。

将来技術の汎用的部分を担う

 さて、このプロジェクトでは、当初から並列推 論というスローガンを掲げてやってきました。並 列推論マシンというのが、ハードウェアのイメー ジとしてのゴールですし、ソフトウェアとしては、 その上に乗る新しいタィプのOSとかアプリケー ション、そういうものを目標にしてきたというこ とは毎回申し上げております。ところが、その辺 を強調しておりましたら、不思議なことに、ICOT が目指している並列推論マシン、あれは非常に特 殊な世界の特殊目的の技術をやっているんだとい う解釈が世の中にあったりして、私自身、驚いた ことがあります。

 なぜ並列推論かというと、情報処理の将来とい うのは知識情報処理のほうに大きく動いていく、 そういう状況を踏まえて、知識情報処理向きの新 しいコンピュータの技術体系、ハードウェア、ソ フトウェアを含めて、そういうものの基礎を作ろ うということを申し上げていたわけです。考え てみますと、どうやら知識情報処理向きコンピュ ータというところだけを取り出されて、知識情報 処理というのはまだ世の中の主流になっていませ んので、これは極めて特殊な分野、その特殊な分 野の特殊なコンピュータ技術を作ろうとしてい るというふうに誤解されたのじゃないかと思いま す。しかしながら、知識情報処理への流れという のは、私たちの解釈では別に新しい特殊な分野と いうことではなく、情報処理の世界の将来を考え たとき、その全体に広がって、非常に中心的な存 在になるものだということです。知識情報処理は 特殊なものじゃなくて、むしろ情報処理にとって きわめて汎用的なものになるという前提か我々には 一つあるわけです。

 それからもう一つは、そうは言わなくても、コ ンピュータ自体の発展ということから考えてみて も、将来の大型の汎用的なコンピュータの中核に なる技術は何かというと、私は、我々が言ってい る並列推論という流れだと昔から思っております し、今でも思っています。ただ、世の中の人にと っては、汎用というと別のイメージがあるようで す。例えば10年前は、汎用大型というと、IBMコ ンパチというのがそういうもので、これが永遠の 真理だと思っておられたコンピュータ・メーカー の首脳部の方もいらっしゃったような時代だった わけで、そういう時代で汎用機を目指すというと、 また別の誤解を受けたかもしれないと思います。 しかしながら、それから10年近く経ったいまでは 世の中はだいぶ変わってきていますので、我々が 目指している技術というのは、将来のコンピュー タ技術にとって中核となるもの、その中で一番汎 用的な部分を担うハードウェア技術、ソフトウェ ア技術であるということを改めて言いたいと思い ます。

ICOTのいくつかの画期的成果

 そういうものを目標にして9年間やってきまし た。これは一昨年だったかと思いますが、全体 としてどれぐらいこのプロジェクトはうまくいっ たか、これを自己採点すると−−なんていうよう なことを言いまして、そのときに、まず60点はい ったと私は申し上げたわけですね。そうしました ら、いろいろ反応がありました。後でICOTの若 い人たちから「冗談じゃない。我々はもっとやっ ているし、これからもやって80点でも90点でも出 すぞ」とか何とか言われて、叱られたわけです。 しかしながら、私が自己採点で60点という点数を つけたというのは決して低い点ではないのです。 そのときにも言いましたけれども、国内にある諸 プロジェクト、過去のいろいろなプロジェクト、 これは私の採点基準だと平均が20点ぐらいです。 そういう基準で採点して60点ですから、手前みそ ですけれども、きわめて高い点数をつけたつもりだ ったわけです。ただし、100点じゃなくてマイナス 点もなくはない。これは当たり前なわけで、世の 中、パーフェクトはないということでもあるわけ です。

 しかしながら、ほかの方々からはもっと低い点 数しかつけていただけないかしれません。ある いは、人によってはもうちょっと高く、甘くつけ ていただけるかもしれないと思います。来年、終 わった時点で皆さんがいろいろ点数をつけられる と思います。零点ではなくて何点かいただけると 思いますが、私は、もしまた10年後、ポストプロ ジェクトのあるなしにかかわわらず、10年後にもう 一度採点していただくとすると、来年採点してい ただくよりはるかにいい点数をつけていただける ようなことをやってきていると内心思っておりま す。

 これは別に第三者だけじゃな<て、ICOT関連 でいろいろ仕事を皆さんにしていただいておりま すけれども、やっている皆さんが自分で思ってい るよりずっといい仕事、将来にとって意義のある 仕事をされていて、10年経つと「おれはあんなす ごいことをしたんだ」と思っていただけるのじゃ ないか、そんな気がいたしております。

 第五世代プロジェクトの成果がどういうものか。 ここでは、列挙しつくせませんが、いろいろある わけであります。そのいくつかをいいますと、我 々が核言語と呼んでいるKL1、こういう言語モ デルがICOT研究員の中から出てきた。これはだ いぶ昔の話になりますけれども、非常に画期的な 成果だったと思います。そういうものをべースに してハードウェアのアーキテクチャを追求してい く、それからソフトウェアを構築していくという ことが進んできているわけです。一番目に見える 箱の形になるPIMというものも、現在試作が進行 しているわけです。大体1システム256PE程度の 並列マシンが何種類か試作されつつあります。そ の上でのPIMOSというソフトウェア、これもソ フトウェア工学の面から見て非常におもしろい、 意味のある成果だと思っております。それから、 この1、2年で大きく立ち上がったのは、PIMは まだですけれども、それの前身であるマルチPSI の上のいろいろなアプリケーションです。

 例えば2年前ですと、ICOTの中でも、そうい う並列言語、並列マシンを使って大きなアブリケ ーションを書くというのは困難ではないかという 非常に謙虚な意見も強かったのですけれども、で も、皆さんスタートした。最初いろいろ苦労して 「やっぱりだめか」とか何とか言っているうちに、 今度は急速に進歩しだした。そんなふうに私は見 ております。今やいろいろなテーマでアプリケー ションの試みが進んできているわけで、あと1年 さらに進むんだろうと思いますけれども、大きな 成果になると思います。

 それから、いろいろ基礎研究的なテーマの展開 というのは、この9年間いろいろなフェーズであ りまして、その蓄積も非常に大きい。そういうも のが、あと1年延びていって、この第五世代プロジ ェクトの成果になっていくのではないか、そんな 気がしております。

来年6月が1つの目標

 ということで、そういう成果を一応見込むわけ ですけれども、それがしっかりした成果になるた めには、これからちょうど1年間というものを全 力疾走し続けなければいけないと思っております。

 プロジェクトがあと1年ということは世の中に 知れ渡っているわけで、先日、たまたま機会があ ってワシントンに行きまして,NSFというお役所 −−ここはICOTとの国際協力のパートナーにな っているところですけれども、そこに立ち寄りま した。ここは、自分でプロジェクトを実際にやる のじゃなくて、むしろ資金を供給したりオーガナ イズしたりという管理的な立場の人たちなわけで すね。FGCSもあと1年で大変だな、大体あと1 年となるとみんな収束を考えてペースダウンする、 なんていうような話を聞かされました。しかしな がら、私が見るところ、ICOT関連の皆さん、収 束を目指して軟着陸のためにスピードを落として いるということはない。まだまだどんどん走って もらっていますし、これからあと1年間走ってく れると思っています。ですから、その場でも、第 五の場合には最後まで全力疾走ができそうだと言 いましたら、そうであればすばらしいねと半信半 疑で受け止めてもらったわけです。私としては、 実際に皆さんに走っていただいておりますし、そ の勢いで来年の国際会議までさらに成果を積み上 げていけると思います。

 その後、ばったり倒れるという美学はどうかと いうようなことを昨年申し上げたんですが、年寄 りは心臓にきてばったり倒れるかしれませんけ れども、若い人は全力疾走しても、一息つけばま た走れるわけで、別に倒れるのが目的ではないし、 皆さんは倒れないだろうと思つております。

 そういうことで、来年の6月まで全力疾走して 成果を積み上げて皆さんにお目にかけたいという ふうに思っておりますが、どうしてもそれに関連 して、その後はどうなるかということが皆さんの 関心になりつつあるかと思います。現在の段階で は、来年以降こうなりますということを申し上げ る所には来ておりません。というのは、隠してい るわけではなくて、まだ決まっていないからであ ります。しかしながら、どうするかという議論自 体は、昨年に比べますといろいろ進んできており ます。

プリコンペティティブ・ステージの10年

 もともと私は10年前から、第五世代プロジェクト というのは新しい技術の基本を作るということ を目指してやろう、そのために10年というのは、 単に数字がきれいだということだけではなくて、 ほどほどいい期間ではなかろうかと言っていたわ けです。それと同時に、この10年プロジェクトの 成果というのは、しかしながら、そこでマーケッ トに出せる製品の雛型ができて、次の年から売り 出されるというものではなくて、それよりはずっ と手前の段階のものをやることになるだろう。こ のプロジェクトが非常にうまくいったとすれば、 そういうことを踏まえて、少なくともさらに5年 ぐらい技術の熟成というものが必要であろう。と いうことをもうほとんど10年来毎年のように言っ ているわけです。

 これも手前みそですけれども、今の段階で考え ると、そういう予測はかなり当たっているわけで す。我々の成果がよすぎて、熟成も何も要らなく て、すぐ世界中の皆さんにというか、産業界で使 っていただけるというほどは進まなかった。しか しながら、10年経っても20年経っても物にならな いというものではない、もう少し磨けば使えるの ではないかと皆さんにうすうす感じていただける ような成果を積み上げてきた。ということからす ると、昔はかなり大ざっぱな予想のような気が自 分でもしておりましたけれども、結果的にはかな り正確な予想をやっていたという気もいたします。

 ここで私が5年ぐらいの技術の熟成が必要だと いうことを言ったことは、必ずしもこのプロジェ クトをあと5年延長すべきだという意味ではなか ったわけですね。プロジェクトがきれいに終わろ うと、何か引き続きの施策が講じられることにな ろうと、そこは別にして、いずれにしても技術に とっては熟成というものが必要だし、マクロな観 点でいえば、それぐらいの期間、さらに技術を改 良、展開させるということが必要だと思って言っ ていたわけです。

 国のプロジェクトのあり方として、よくプリコ ンベティティブというようなことが言われます。 これ、実は第五世代プロジェクトがきっかけになっ てヨーロッパの人が発明した言葉なんですね。企 業を含めたいろいろな組織の協力を前提にしたナ ショナル・プロジェクトはプリコンベティティブ、 競争の前段階のものでなければならないというよ うなコンセプトが世界中に広まっているのですけ れども、きっかけは我々のプロジェクトだったわ けです。しかしながら、そのことをもう一つもじ りますと、第五世代でやってきたこと、あるいは目 標にしてきたことというのは、そういう皆さんの プリコンベティティブのイメージからすると、実 はぴったりそれではないと私は当初から思ってい たわけです。あえて言いますと、第五世代10年とい うのはプリコンベティティブ・ステージとい うことだったんじゃないかと思います。

 それぐらい基礎的な段階をやってきて、そこで の成果を上げてきたということなんですけれども、 私の言う熟成期間というのは、普通の人たちが考 えるべリコンベティティブ・ステージに相当する ような時期だろうと思うんですね。このICOTの 成果を奪い合って競争的にワッと皆さんが走り出 すという、まだそういう段階には来ていないわけ でありまして、そういう時期が来るとしても5年 先、状況によっては10年ぐらい先かもしれないと 思っているわけですけれども、その辺は今思って いるだけじゃなくて、昔からそう思つていたわけ です。

 技術の熟成という言葉を私、使ったのですけれ ども、日本語というのはなかなか難しくて、私は 非常にいい意味をこめて言ったのですが、人によ っては、熟成というのは、何もしない、何も手を 加えない、じっとしているという、何かテレビの コマーシャルに影響されたイメージもあるようで す。いや、そんなのじゃ困る、もっと発展させる べきだと言われるんですが、私としては、どこか のウィスキーはともかく、お酒でも熟成というの はじっとしているわけじゃなくて、その中では微 生物が必死になって活動していい味を作り出し ているというふうに見ているわけで、そういう意 味で使っているということを改めて申し上げたい と思います。

 しかしながら、熟成の具体的な手だてをどうす るかということ、これは、10年前はその程度のマ クロな観察でよかったわけですけれども、これか らは煮詰めていかなきゃいけないわけです。

内外研究交流の輪 

 そういうことで、第五世代プロジェクトがこれま でやってきたことを振り返ってみますと、実はい ろいろな役割をしてきたという分析が成り立ちま す。もちろん一番中心は、目標とする技術的なタ ーゲットに向かって研究を実際にやって、成果を 積み上げてきたということで、それが一番メイン の部分です。しかしながら、それだけではなくて、 例えば、そういうことを実際に進めるに当たって も必要だった研究者同士のコミュニケーションと かコラボレーションとかコーポレーションとか、 そういう場を提供してきたという分析もできると 思います。これは、最近言われている国際的な展 開というだけじゃなくて、国内的にもそういうこ とを心がけてきたわけです。不十分な点はあった かもしれませんけれども、ICOTでワーキング・ グループ等の研究会を組織して、いろいろな研究 交流をやっていただいたわけで、これには大学の 先生方、研究者の皆さん、それから直接プロジェ クトに関係してないかもしれない範囲まで含めて、 企業の研究者の人たちとかいろいろな人たちが集 まってきてやってきた、そういうワーキング・グ ループというものも一つのあり方だったわけです。

 それから国外の研究グループとの交流、我々と してはプロジェクトの当初からそれを目指してき たわけです。これは別に何かの下心というのでは なくて、我々が目標とするような新しい技術開発、 これは別に日本のためだけじゃなくて、将来の人 類社会のためだと思っているわけでありまして、 そういう目標を達成するには、我々当事者も必死 に頑張らなきゃいけないわけですが、志を同じく する世界中の研究の上での仲間の皆さんと手を取 り合っていくのは当然だという、そういう考えで あったわけで、それを当初から心がけてきました。

 まだまだ不十分だったという批判もあるかもしれ ませんけれども、日本の社会的な環境の中ではか なり先進的にやってきて、先進的にやったために 少し摩擦が国内でなくはなかったということもあ りますけれども、そういう流れの先頭を走ってき たと思っております。現在になりますと国際貢献、 国際協力というのは日本としてやるべきだという のがほとんど全体の議論になってきておりますけ れども、そうなる以前から、心ある人はそういう ことが必要だということは、我々だけじゃなくて もちろん考えておられたわけで、そういう人たち の支援、支持もあってそういう方向を先進的に進 めてきたということがあります。

 ですから、ICOTの一つの役割として、日本中、 あるいは世界との関連で研究活動を推進する、こ の分野での研究活動を推進するという役割も一応 やらさせてもらったのじゃないかと思っています。 ですから、将来を考えるときにはそういう観点も 一つ必要だろうという気がいたしております。

 ですから、まだ決まった話はありませんけれど も、これまでICOTが果たしてきた役割というも のを分析して、それをもう一度整理し直していけ ば、来年以降の、いわゆるポストFGCSのイメー ジが固まってくるのじゃないかと思います。

ICOTの技術的成果と今後の役割

 技術面でいいますと、この9年間いろいろなこ とをやってきたわけです。1つは並列推論という ターゲットでハードウェアのパイロットモデルを 組む、ソフトウェアを実際に構築するというもの に今、集約されてきている部分があります。それ からもう一つは、もちろんそれと密接に関連した わけですが、情報処理にとって基礎的なテーマの 追求というものもやってきた。いろいろなことを やってきたつもりなわけです。将来を考えますと、 実はそれらの役割というものをもう一度洗い直し てやるべきではないかという気がしております。

 先ほど、例えばあと5年間の技術を熟成させる、 と言ったわけですけれども、それは何を念頭に置 いて言っているかというと、この10年で一応基礎 が築けたと思っております並列推論というもので す。これは技術の芽ができたというか、そういう 段階ですから、もう少し育てたい。育てれば、こ れはそのうちほんとに自力でどんどん繁栄してい くような技術になる、そういう部分です。

 それからもう一つは、それと関連しながらやっ てきた基礎研究、これはあと5年で終わるかとい うと、私はそうは思わないわけですね。いろいろ 解決すべき大事な、しかし、難しい基礎研究テー マというのはいっぱいあります。これがあと5年 で全部解決されるかというと、そんなに甘いもの ではない。まだ5年、10年、物によっては100年の オーダーで追求すべきテーマもある。そういうテ ーマの展開を将来どうするかというのは、これま た別途考える必要があると思います。

 非常に幸運だったのは、これまでの9年といい ますか、この10年というのは、その両方のコンビ ネーションがやれて、しかもそれが、それぞれ独 立に存在したのじゃなくて、密接に交流しながら やれたという、歴史の中でなかなか得がたいタイ ミングにあったと私は思うんですね。しかし、そ ういう幸運な時期というのは、いつも同じパター ンで続くわけではなくて、これから先の10年を考 えた場合には、もう一度そこのあり方を見直して、 それぞれをうまく伸ばすような手だてというもの を考える必要があるだろうと思います。

 ですから、これまでICOTが果たしてきた役割 を少しモデル化して考えると、1つは、広い意味 での推論研究といいますか、そういうものの国内 外の研究者の交流のセンターという役割ですね。 これは、何らかの意味で将来も必要だと思います。 それから、ある程度技術として姿を現してき て、これを熟成させるとさらに豊潤なものになる 並列推論技術、これを伸ばす手だてがさらに一つ あると思います。それから、非常に基礎的な研究、 5年かかるか100年かかるかわからないものを含め て、私たちが高次推論と言っていたような部分、 これをどういうふうに追求するか。大きくこの3 つぐらいに分類して、それぞれをどう考えたらい いか、かつ、場合によってはそれをどう組み合わ せたらいいかということを、これから数か月か1 年くらいかけて考えていったらいいのじゃないか という気がしております。

国家プロジェクト成果を公開し国際公共財に

 そこで、もう一つ、そういうことを考えるとき に非常に大事なことがあると思います。それは何 かというと、研究開発のナショナル・プロジェク トの成果をどう扱うかということです。

 例えばICOTの場合には、研究費は全額、国と いいますか、通産省から来ておりますから、形式 的には成果はすべて国のもの、国に帰属するとい うことであります。これは、当然そうあるべき だと思います。しかしながら、国に帰属するとい うことをもう少し深く考えてみなければいけない と思うわけです。古いイメージですと、お国に納 めると、どこに行くのかわかりませんが、どこか にかぎがかかった蔵があって、そこに研究成果を 納めてしまって、だれも使えなくなるというよう なイメージがあったりするわけですね。そういう イメージがありますと、国内の協力はもとより、 国際協力を考えたときにも障害になるわけです。

 このところを、私は、日本全体、政治家、お 役所を含めて、一度基本から考え直していただき たいと思うのです。国有財産としての研究開発成 果というものは、国が金を出して掘ったトンネル とか橋とか机とか、そういうものとは違う財産だ と思うんですね。これまでですと、国有財産管理 法とかいうものがあるそうですが、それは何を対 象にしているかというと、研究成果ではなくて、 国のお金で買った建物とか机とか、そういうもの  でその管理を規定したものしかないわけです。下 手をすると、そういう規定が研究開発にも流用さ れがちなわけですね。私は、これは根本的に間違 っていると思います。国有財産としての研究開発 成果というのは大事に保存しておけばいいものか というと、そうではなくて、そういうことをする と、数年後には消え去ってしまう、全く税金のむ だ遣いになるようなものです。研究開発成果とい うのはできるだけ早く世の中に広げるべきもので ありまして、もし今ある国有財産管理法がそれに 合わないとすれば、研究開発に関する新しい管理 法を作るべきだと私は思います。

 その基本は何かというと、これはちょっと語呂 合わせですが、国というものはもともとパブリッ クなんですね。昔、何とか公社というのがあった んですけれども、これはパブリック・コーポレー ションということでありまして、国というのはも ともとパブリックなものです。ですから、国の資 金で国の事業として生み出された研究開発成果、 例えばソフトウェアもそうですけれども、そうい うものはパブリック・ドメインであるというのは、 もともと言葉のもとからしてそうであるべきだと 私は思っているわけですね。ですけど、何となく そうは思っていないような風潮もあるようです。

 この数年、知的所有権というのがいろいろクロ ーズ・アップされています。ちょっと言葉が悪く なって申しわけないのですが、日本人の中には非 常にケチな方もいっぱいいらっしゃって、人が知 的所有権で保護するなら、おれの分も保護しろと いうことでやられる。私自身は、私企業は当然そ の論理でいいと思います。しかし、その私企業の 論理を国の研究成果に当てはめてはいけない。む しろ逆でありまして、それぞれの個人なり個別企 業の権利というものを保護してあげる、これは今 以上にやっていいと思うのですけれども、そうい う車の一輪があれば、もう一つの一輪として、国の 研究開発というのはパブリック・ドメインのもの だ、原則的にそうだというものを置いたもう一つ の車があって、その車の両輪がそろってほんとの 意味でインテリジェント・プロパティの扱いがで きると私は思っておりますが、どうも世の中、片 方ばかりに目が行く人が多くて、かつ、自分の会 社の議論を国のプロジェクトに当てはめようとす る人もいないとも限らないということを憂えてお ります。

 私としては、これからポスト5Gに限らず、新し い研究開発プロジェクトというのは国はいろい ろ起こすべきだ、これは当然、国際貢献というこ とを前提にしてやるべきだと思うのですけれども、 その中の1つの原則として、研究成果はできるだ け速やかに全部公開し国際公共財化にするという ふうにすべきだと思います。

研究環境のあるべき姿

 こういう議論をしましたら、そういうことを言 うと人々はやる気をなくすのじゃないか、インセ ンティブがないのじゃないか、そういうプロジェ クトには我が社は努力しないという会社が出てく るのじゃないかというようなことを心配する人も いるんですけれとも、私は、それが一つの基準に なると思うんですね。お国から金をもらって自分 のものにするというのではほんとはいけないわけ で、民間の企業も余力ができれば世の中に尽くし たいという気持ちが十分おありなわけですから、 自分だけじゃなくてほかの人にも分かちたいとい うもの、しかし自分だけではやれないから共同で やろう、協力しようというものであるべきだと思 います。ですから、そういう基準に合わない、実 はほかの競争相手には使わせたくないというよう なものは自分でやればいいというような割り切り が、国のプロジェクトのあり方の一つの基準にも なると思います。

 それから個人のインセンティブのほうですけれ ども、プロジェクトが始まった当初にアメリカの 新聞記者が来て、ICOT研究員の月給はいくらか上 がったかという質問をされました。全然変わりな い、出向元の基準でそのままで増えもせず、減り もせず−−減った人もいるのかしれないけれど も−−であると言ったら、そんなことで研究者の インセンティブが保たれるのか。アメリカでは絶 対あり得ない。2倍とか3倍出してスカウトしな いと働かないというわけです。ここで私の気持ち は複雑なんですけれども、結果において、皆さん、 別に給料が2倍にもならない、1%も増えてない にもかかわらず、大いに研究していただいて、や る気をなくした人は全然いない。やる気がない人 はもともと来ないか、帰ったか知りませんけれど も−−ということで、お金のためじゃなくて研究 をしてくれるという実例を、この10年間、身近な 体験として見ているわけです。これは非常に大事 なことでありまして、給料を2倍にしないと働か ないような国というのは、やっぱりある意味で問題 があるわけです。

 とは言いつつ、今の日本の研究者の処遇がこれ で十分豊かであるとは私はちっとも思わなくて、 それはそれで大いに待遇改善をしてあげなきゃい けないと思いますけれでも、物事の順序関係とし ては、給料が高いから仕事をするのでじゃなくて、 いい仕事をした者に対して国なり社会なりはもっ と報いるべきだという、そういう方向で言いたい わけですね。しかし、世の中、時々、価値観が引 っくり返って、まず金がなければ話にならぬとい うようなことがあって、そう思っていらっしゃる 方も世の中に大勢いらっしゃるかもしれませんが、 私としてはそれはとらないわけです。ICOTに来 て経済的なデメリットがあったとしても、ものす ごく仕事をしてきた人たちを身近に持ったという 体験は非常に貴重です。

 これは別に日本的な現象ではなくて、そういう 気構えというものは世界中にとって必要だと思い ます。これからの国際協力みたいな、あるいは国 際貢献みたいなときにも必要だと思うんですね。 お金さえ出せば国際貢献したことになるのかとい うのは、いろいろ実例が既にありますけれども、 そういうことであるわけで、これから国際展開を いろいろな場面でやるとき、まずは日本の中でし っかりした研究上のインセンティブ、やる気があ って、仮に国外が協力してくれなくてもそれをや る。しかし、その成果は大いに提供するというこ とから出発すれば、世界中だって心ある人たち、 組織はあるわけで、そういう人たちは心から協力 してくれると思います。

 ICOTの場合、これまでも、別に何かの研究費 をあげたわけでもないにもかかわらず、世界中の あちらこちらの研究者から支持というか、励まし、 あるいは協力を受けたわけです。そういう信頼感 に基づいた、私的な利益じゃなくて、ほんとに理 想とか人類のための利益というようなことに基づ いた考え方というのはこれからますます必要にな ると私は思います。もしポストFGCSプロジェク トが続いてあるとすれば、それはそういう原則に のっとったものでないといけないと思います。そ れに反するものであれば、積極的に私はやらせな いということになるわけですが、そう言わなくて も、いろいろ皆さんのこ理解があっていい展開に なるのじゃないかと期待しております。

 きょうお集まりの皆さん、どちらかというと若 い人が多いし、研究的に近い人が多いわけで、私 の雑談は雑談として聞いていただいていいわけで すが、FGCSはあと1年ですが、研究とか技術と いうものはこれからますます伸びていくもので、 皆さんの、あと1年ではない協力というものをぜ ひお願いしたいと思います。