第五世代コンピュータはAIを目指すか

第五世代コンピュータへのニーズの高まり

ICOT・研究所所長 / 渕 一博



第4回「第五世代コンピュータに関するシンポジウム」が開かれたのは、 1986年5月。プロジェクト中期も半ばを迎えた頃である。折しも人工知能 がブームとなり、AIビジネスの可能性が論じられ始めていた。渕所長は、第 五世代コンピュータ・プロジェクトは必ずしもAI開発を目指したものではな いが、世の中のAIへの期待が高まる中で第五世代コンピュータに対するニー ズも確実に高まっているのを実感すると語った。

AIと知識情報処理

 今さら言うまでもないのですが、一昨年ぐらい から昨年、今年とAIに関する関心が非常に高ま っています。新聞等でいろいろな活動が紹介され ますが、そのほかにAIに関する商業誌も二、三 出ている。学会での紹介はだいぶ前から増えてき ています。それから、先ほど行われたビジネスシ ョーあたりでもAIというのが一つの目玉のテー マになってきている。そういうことで、AIブー ムの炎はますます燃えさかっている状況にあると 言っていいかと思います。

 われわれの第五世代コンピュータプロジェクト は人工知能AIに非常に関係が深いわけです。第五 世代プロジェクト、イコールAIプロジェクトと いうのは当たっていないが、非常に単純な方程式 で考えている人にとっては、第五世代プロジェクト のあり方と現在のAIブームの状況はいろいろ気 になるのではないかと思います。これは半分冗談 だと思うのですが、これほど人工知能が世間の関 心を呼び、しかもいろいろな活動が盛んに始まっ て、第五世代プロジェクトは非常に成功してしまっ てもう終わりではないかと非常にせっかちに言う 人もゼロではない。あるいは、後ほど言うように、 第五世代プロジェクトは人工知能の全般はやってい ないので、世の中の速い人工知能の動きに取り残 されるのではないかと心配してくださる方もない わけではない。

 前々から言っていますが、われわれのプロジェ クトを非常に簡単に言うときに、人工知能をやっ ていますというのではあまりにも単純すぎて不正 確であろうというので、少し正確にするために、  現在ではないという意味をこめて、「将来の人工 知能のための……」、「ための」というところには 人工知能の実際的な応用と人工知能の研究そのも のということがありますが、そういうことに適し たコンピュータをめざしていると言うことがあり ます。これはだいたい近いと思いますが、しかし それだけでもない。人工知能の活動、そのサブセ ットとして第五世代プロジェクトをやっているとい う断面が一つありますが、それ以外の断面もある と思っています。仮に、人工知能ということばを 使わなくても、第五世代プロジェクトの意義とか構 想の位置づけは十分成り立ち得ると思っています。

 人工知能と言わないまでも、ソフトウェアの生 産性を向上するという切り口、あるいは知能とは 言わなくても、高度情報利用、コンピュータの利 用の高度化という切り口でいっても十分位置づけし 得ると思います。ソフトウェア生産というとちょ っと人工知能とは離れると思いますが、コンピュ ータの高度利用、あるいは情報処理の高度化とい うことは、実は人工知能の問題とからむわけです から、全然別の側面ではありません。あえて切り 出せばそういう多面的な側面があり、人工知能の 問題と第五世代コンピュータの問題は1対1対応で はないもう少し複雑なからみを持ってとらえてい るわけです。

 われわれのプロジェクト自体、当初から方向性 としては知識情報処理を指向すると言っています。 それが、先ほどの「将来のAIのための」という ことになるわけですが、知識情報処理を指向しよ うということは、人工知能の研究状況等をふまえ て、将来の情報処理の高度化の方向がますます知 能化のほうにいく。そういう大きな流れの中でと らえようということなわけです。

 当時では、AIに対する反応は、世の中として はむしろ冷淡で、とてつもないことをやるのでは ないかとか、実現不可能なことに挑戦しようとし ているのではないか。一部にはAIが若干のビジ ネスになることを主張している人たちもすでにい ましたが、そういう人たちはまだ信じられなくて ヤマ師のたぐいという悪口も言われかねないよう な状況でした。しかしながら、このプロジェクト が始まってもう4年経ちましたし、その前の準備 段階の議論からすれば、もう7、8年経っていま す。その時間スパンを置いてみると、状況は非常 に大きく変わって、現在ではむしろ一部の人が心 配するように、AIブームは過熱ぎみではなかろ うかということになっていますから、隔世の感に たえません。

AIは人間の知能に迫る

 5、6年前の状況では、AI活動は非常に小さ かった。いろいろな側面がありますが、未分化な ものがそのままになっていた。しかし、だんだん AIをめぐる活動が大きくなってくると、AIの活 動というものの見方をもう一度しっかりしなけれ ばいけないのではないかと思います。AI的な活 動が一つの尺度で測れるわけではなくて、いくつ かの尺度というか、ディメンジョンがある。三次 元で体積を持つように、空間ができているように、 AIの活動も三つぐらいの次元があって、それぞ れの次元が縦、横、奥行きと寸法が長くなれば掛け 算で全体の体積が大きくなると見てもいいのでは ないかと思います。奥行きとか、幅とか、高さを 何に例えればいいか。AIの奥行きというものも あると思います。

 これまでの研究によって、AIに関わる知見、 あるいはAI的なテクニックが出てきていますが、 それでAIが完成したとはだれも思っていないわ けです。AIのめざすところは、ある意味で人間 の知能に迫ろうということで、まだ奥か深い、い くらでもある。そういう研究は、前からむしろ AIの主流であったと思います。しかしながら、 現在起こっているビジネスがらみのAIブームは そこともちょっと違っている。むしろ、これまで 得られたテクニックを使って、いろいろな分野に 応用していこう、横の幅を広げていこうというの がこの数年の特徴だと思います。昔は幅がなく人 工知能なんか、どう転んでも役に立つものではな いという見方からすると、最近ではいろいろ使え るのではないかということで幅が広がってきた。

 もう一つは、高さを何に例えるかですが、人工 知能的な働き、機能を実現するとき、どの程度基 礎的なファンクションを高度化できるかというこ とで、実現の体系と例えていいのではないかと思 います。そういう三つの次元がある。

 この三つの次元は無関係なものではなくて、最 後はそれが掛け算されて、その体積の大きさで世の 中の進歩が測れられるものなのですから、相互に 関連しているわけです。しかし、AIをめぐる活 動、またはそれぞれの軸に応じた力点の置き方が 出てきていると思います。というのは、どの軸に 重点を置くかで、考え方、進め方というものがお のずから違ってくるというか、特色を持ってくる、 あるいはそうであるべきだということです。その ことを、かなり自覚的にとらえるべき時期にきて いるのではないかと思います。

AIはサイエンス

 最初の奥行き、知能の構造は何であるかという 方向は、これからもさらに進んでほしいと思いま す。一部に認知科学ということばも使われていま すが、サイエンスとして知能の構造を追究してい くという課題、これは昔からのAIの中に潜んで いたわけですが、これからはより自覚的に取り出 して、自然現象を解明するのと同じように、人間 を含めた知能の構造を解明していく研究がもっと 深められる必要があると思います。

 この場合に、例えば第五世代のスパンである1990 年代の初めにこの課題が解決するとはだれも信じ ておらず、われわれもそうは思っていない。今も 少しずつ進んでいますが、100年ぐらいの規模で 考えるべきだ。サイエンスとしての人工知能が21 世紀のサイエンスでの最大の課題になるであろう というようなことをよく言っていますが、それぐ らいの長さで考える。その間にいろいろな知見が 増えていく。しかし、最終的な解決は100年か200 年か、500年かわからない。それでもいいわけで す。それに対応して、それなりの策が立てられる べきではないかと思います。

 先ほどの2番目、3番目の軸に関しては、実は それなりの対応が、特に日本ではできつつあると 思いますが、サイエンスをさらに進めることに関 しては、日本でも特に若手、中堅の研究者の人た ちの研究が活発になってきていますから、望みは 持てるわけですが、外国から日本の基礎科学に対 する投資が少ないと批判されるのは当たっていな いわけではなくて、まだ不十分です。これからは、 もっとそういうものをプロモートするような計画 があっていいのではないかと思います。研究者の ほうはそういうことを期待していますが、日本の 社会として、まだそこまでは若干いっていない。

 先般、サミットのとき、私は新聞記事でしか見 ていないのですが、ヒューマン・フロンティア計 画などが持ち出されようとしている。これなどは、 生物学的な側面もありますが、例えば人間の遺伝 子を解明するということを含めて、人間のサイエ ンスを深めようという提案だったようです。国際 状況はそんなことを議論するところじゃなくて、 すごい円高でそんな話はすっ飛んでしまったとい うことで、まだなかなかしっかりしたスタートは とれない。これからの日本としては、そういうサ イエンス的な活動は大事じゃないかと思います。

AI的な応用の広がり

 2番目の広がりのほうは、かつてはこれがゼロ だったわけですから、応用が大事だという議論も あったわけです。幸いにして、現在いろいろなと ころでその試みがなされてきています。現在の AIブームの特色は、日本の中でも実にさまざま な分野で応用してみようという動きです。われわ れのプロジェクトが起こるころによく聞かれた質 問は、第五世代プロジェクト、あるいはAI的なも のはどういうところに役に立つのか、応用分野は 何か。そういう質問のときは、一つ、二つAIが 役に立つような分野があって、それでもあればい いのではないかという気持ちで聞かれていたと思 います。そのときに、何にでも役に立つという一 見無責任なことを言っていた。しかし、これは無 責任に言っているわけではなくて、本当にそう信 じていたわけで、それは一部現実のほうで実証さ れつつあると思います。

 どういうところで切り出したらいいか、エンジ ニアリングとか、教育とか、医学という言い方も あるでしょうし、あるいは社会の一つの切り口と してお役所の省庁というのがありますが、AIに 関心を持っているのは文部省と通産省と科学技術 庁だけかというとそうでもなくて、農林省が農業 のほうにAIを利用しようとか、土木とか建築と か・・・・・・。そういうことで言えば、全省庁 がそれぞれの持ち分に応じて、AI的なものに関 心を持ち始めているという状況でもあるのです。

AI実現の基本的技術体系を目指す

 それから、先ほど言った3番目の高さとはどう いうことを意識して言っていたかというと、知能 的なファンクションといっても、それが実際に実 現されなければ意味がないわけです。実現される ときには数学的な理論、あるいは理論的な話も上 のほうにはありますが、結局ずっと下がって機械 というかたちで実現されるとすると、一番下のと ころはハードウェアまで入ってくる。そういうハ ードウェア、ソフトウェア、あるいはその上に乗 っかっているいろいろな知見という立体構造の高 さがどこまで高くなっていくかということです。

 現在のAIブームは現在のコンピュータを使わ ざるを得ないわけで、その上で展開されている。 それでもいろいろ広がりを見せているわけですが、 将来を考えると、現状のようなハード、ソフトの 切り分けでいいのかというのがもともと問題の一 つとしてあります。将来を見越すと、そこのとこ ろを見直す必要がある。

今までのコンピュータで ハードウェアとしてやっていた切り口のレベルを 大きく上げる。上げるについては、超LSI技術の 発展がある。そういう本当のハード技術の進歩に 支えられてレベルを上げられるわけです。そうい う進歩を利用すれば、現在のハードウェアが持っ ているよりもっと高い機能をハードとして持たせ られるだろう。ソフトとしては、その高いところ から出発してさらにもっと高い機能を実現してい く。そういうことを試みる時期にきたのではない かという分析ができます。第五世代プロジェクト自 体この三つの軸のどこに重点があるかといえば、 3番目の軸のハードとソフト、それからその上に 乗せていく高さを実現するときの基本的な技術体 系を作りたいということにあるわけです。

しかしながら、高さを追求するのに横幅のこと はどうでもいいのか、あるいはサイエンスとして の知見を深めるほうは大学の先生だけに任せてお いていいかというとそうではない。このプロジェ クトの中でも、それらを手がけながらいく。基礎 研究の一部として、人工知能の難しい課題も手が ける。これを最終的に解決するということではな くて、少しずつ進歩させていくということで手が ける。その成果をシステムとしての新しいコンピ ュータの技術に反映させていく。それから、応用 のほうも、まったく実際の応用はやらずに理論的 にかくあるべしというだけで知恵が出るかという とそうでもないわけですから、そういうことも一 部手がけつつ、知見をフィードバックしていこう ということです。

それぞれをある程度手がけると いう計画になっていますが、重点は当初から高さ の軸のほうにある。そのからみで、サイエンスと しての基礎研究的なこと、それから応用、われわ れのことばで応用実証とか、実証システムとか言 っていますが、そういうテーマも設定しつつやる という計画になっているわけです。

   そういう計画であったために、実は計画の当初 にはいろいろ批判があった。縦軸の構想、これは 論理的な推論を中核的な考えにして新しいアーキ テクチャの研究計画とか、新しいソフトウェアの 研究計画などを立てているわけですが、そういう ものを確定する前に、いろいろな応用をやるべき ではないか、あるいは応用こそ大事だから、縦は どうでもいい、とにかく国のプロジェクトではす ぐ役に立つことを示すべきではないかという批判 もかなりあったかと思います。また、もっと純粋 な立場からは、本当のAIの研究が薄いのではな いかという意見もあった。何が大事なテーマかは 立場によって違います。

 例えば、AIで一番難しいものに、常識という ものをどう扱うかという課題があります。われわ れも若干やっていますが、外国の先生ですが、 ICOTをあげて取り組んでるかと思って来てみた ら、数人しかやっていないというのでがっかりし たという話もあります。これは期待過剰で、いろ いろ批判がありましたが、今となるとそういう設 定はむしろいいバランスだったのではないかと思 います。

AI開発の加速に貢献

 サイエンティフィックのほうは、活発化しても 問題が少ないのですが、応用のほうで考えると、 幸いにしてAIブームが起こって、このブームと いうのはAIのアプリケーション、ないしはAIビ ジネスということですから、これはこれで非常に 結構なのですが、このプロジェクトのあり方と関 連していろいろ関心が持たれるところだと思いま す。縦軸のハードウェア、ソフトウェアの枠組みとい うことに関しては、現在のAIは現在の切り口に沿 って、その上で主としてソフトウェアパッケージ としてAIツールを作っているという技術構造に なっています。これを改訂しようというのが第五世 代のプロジェクトの狙いというか、野心です。こ れに関しては、研究としては世界的に盛んになっ ていますが、どこかの国のどこかのグループがそ の枠組みをすでに確立して、これがビジネスになっ ているかというとそうではなくて、まだまだやっ ていくものです。

 われわれのプロジェクト自体、 あと6年ほどやらなければいけませんし、6年経っ たときにそれが製品として出るというほど甘く は考えていません。うまくいけば、あと6年でプ ロトタイプとしての一つの見本ができる。それが 良ければ、それをテコにしていろいろな製品開発 が行われるだろうと考えています。ですから、ナ ショナル・プロジェクトとして取り上げることは非 常に意味がある。これは企業単体ではできない、 国のプロジェクトだからこそできる。リスクを含 んでいて、それを乗り越えるようなことをやろう というので、ナショナル・プロジェクトとしてふ さわしいテーマかと思います。

 それでは、応用のほうはどう見るか。私個人の 見解で言うと、現在のコンピュータ技術の体系の 上に乗ってAIの可能性を追求するという現在の AIブームの主たる部分は、いわゆる民活という か、企業グループの自発性、企業というのは必ず しも大企業ではなくていいのですが、メーカから ユーザに広がるいろいろな分野の人たちの活力に 主として期待するというのがいい方向ではないか と思っています。なぜかと言いますと、応用とい うのは一つや二つであれば、それだけを手がけて おけばいいわけですが、コンピュータ自体その応 用は何かと聞かれたときにすぐ答えられる人はい ないと思います。何にでも使えるというのが一つ の答えであるわけですが、こことここというよう に、コンピユータが利用されている現在の分野、 あるいはこれから利用される分野をすべて列挙で きる人はいない。そこで、何にでもと言わざるを 得ないのです。

 それと同じように、第五世代コンピュータ的なも の、あるいはAI的なものの広がりがあるわけで す。そうすると、そういう分野をすべて埋めて実 証することは原理的に不可能なわけです。一つの プロジェクトでは不可能だと言っていいと思いま す。そのこと自体は、社会全体、この場合は日本 と言わず世界全体と言ったほうがいいと思います が、そういうあらゆる活動とからんで広がってい くということが必要です。その場合には、一つの プロジェクトでストーリーを書いて、悪く言えば、 コントロールしながら進めることはやろうとして もできない。あるいは、やるとかえって害になる と思います。ですから、基本は、特にAI的なも のというのは、ある分野とAIテクニックを結び つけようということですから、分野別の専門家が AI的なものに興味を持って試してみるという層 がどんどん広がってほしいわけです。

 そのために、それをプロモートする、加速する というか、エンカレッジするための方策は可能だ と思います。国のレベルでそういうことを考える ことも必要だと思います。邪魔することも、加速 することも行政は可能なわけで、行政としてそう いうものを盛り立てていくという方策はとれると 思います。ICOTも、小さな組織ではありますが、 AIに関連したプロジェクトをやっているわけで すから、そのプロジェクトの関連としてそういう ものをエンカレッジすることも必要だと思います。

 しかしながら、広がりのほうの重点は、むしろ 非常にたくさんの人たちが多様性に富んだ自発性 というものをもとにして活動していく、その量が 広がっていくのが基本で、それをどう盛り立てて いくかが副次的に出てくるのではないかと思いま す。

AIユーザー層の関心の広がり

 ひと昔前、まだAIブームが起こる前はもっとた きつけなければいけないのではないかと言われて いたわけですが、現在はどっちでしょうか。慎重 なポーズをとる方は今のAIは過熱ぎみである、 AIというのは先が長い、今の技術の限界を知ら ないといまに幻滅が起こって、アンチAIブーム が来るのではないか、と、そういうことを言う人 が結構います。

 しかしながら、先ほどの話と関連するのですが、 現在のAIブームの全貌はつかめないぐらいの状 況になってきています。時々刻々広がっていて、 とても追跡できないぐらい広がっているような感 じがします。

 その全貌をつかまないで言うのも変な話ですが、 若干のサンプルデータから考えると、現在のAI ブームは意外と健全ではないかと思っています。 ちょっとことばが悪いのですが、AIツールを売 りまくろう、金もうけをしようという人たちが健 全だと言うつもりはなくて、そっちのほうは売る ためにちょっと過大な宣伝をしたりということが ありますが、現在のAIブームに健全な側面が非 常に強いのではないかと思うのは、ツールを使う ほうの広い意味でのユーザ層での関心の広がりと か、評価です。

 現在、日本の中でいわゆるユーザ的な場面にい る人も多いのですが、そこにおけるコンピュータ 技術に対する理解度、あるいは技術力は非常にレ ベルが高いような気がしています。そういう人た ちが結構たくさんいる。AIブーム的なものに関 しても、単に新聞が書くから関心を持つというこ とだけではなくて、もっと地道な検討が行われて いる。コンピュータ技術がわからずに新しいもの にとびつくということではなくて、現在のコンピュ ータは嫌になるぐらい使い込んでいる、あるいはそ の先どのぐらいの展開があるかも、その人なりにつ かんでいるような人たちが、それなりにAIを評 価し始めているというのが今の状況ではないか と思います。あまり期待してもらったのでは困る というよりも、いわゆるユーザ側の人は賢明で、 当然そういうことは心得つつ、しかし使ってみる と役に立つというような経験が増えているように 聞いています。ですから、そちらのほうではAI が万能薬とは別に思っていなくて、いろいろやる やり方のうちの一つであるというとらえ方で、こ れなどなかなか健全だと思います。

 それから、人間の知能に迫るような巨大なAI システムではなくて、いわゆるルール数でいくと 数百とか、場合によっては数十でもいい、小さな 規模でも役に立つところがあればいいというので、 実際にやると役に立つところがあれこれ見つかっ てきて、その効果は非常に大きいという話を聞い たこともあります。そういう人たちが増えている ということで、実際的なAIブームというか、AI に対する関心を支えているのだろうと思います。

 単に熱に浮かされてというだけの動きであれば、 2年は経とうとしていますので、ぼつぼつ冷めて いいわけですが、そうでもないというのはそうい う技術の流れを割としっかりふまえた上で、AI 的なものを取り込んでいこうという人たちが増え ていると観察されます。

 というわけで、私もひところはAIブームに対 して少し批判的だったのですが、最近は、特に日 本ではいろいろなところに優秀な技術者が分布し ているわけで、そういう人たちの関心が広がって いるということを知ってきたということで、単純 に評論家のようにブーム批判をやるよりは、もっ と実態を広く見たいという気がしています。

第5世代コンピュータへのニーズの高まり

 われわれのプロジェクトからすると、ある意味 で非常に領域が拡大された。変なことばを使いま すと、プロジェクトを広げて予算を10倍にしなく ても、そういう活動が起こってきたということで、 補完的な活動ができてきたととらえることもでき ると思います。もともと新しい技術を築き上げる ときに、いろいろな分野における応用経験が必要 だということ自体は、総論としてはわれわれもも ともとそういうことを言いたいのです。しかし、 現実問題として、すべてをやってから何かを始め るのかというニワトリとタマゴ的な議論が常にあ るわけです。ニワトリとタマゴの展開が4、5年 前とは変わってきて、AI的なものの経験の蓄積 が世間的に今どんどん広がっている。そういう ものは、われわれにとっても非常にありがたい蓄 積になるという期待を持っていいのではないか。

 ただし、現在の技術体系の枠内でもある程度い けますが、それだけでいいと思うと、いずれは壁 にくるだろうと思います。数百ルールでも役に立 つことも発見しなければいけませんが、やはり役 に立つ部分が増えてくれば、もっと大きな規模で 総合的に問題を解かせたいということが起こるの は当然で、そういうときにどう対処するか。そう いうことを考えると、世の中のAI的な活動が盛 んになったということで、潜在的、あるいは顕在 的に第五世代へのニーズが高まっていると解釈して も、我田引水ではないと思っています。

 そういうことをふまえて、これからどういうふ うに考えていくか。われわれの計画でも議論の段 階からそれを整理しつつやってきたつもりですが、 現在あるいはこれからの動きを考えると、第五世代 プロジェクトそのもの、その本体は、世俗的な妥 協を減らしたかたちの、より純粋なやり方で進め るほうがいいのではないかと思います。基本技術 の研究をちょっと置いておいて、周りの説得のた めに少しレベルの低い応用を手がけるという妥協 策を、これまでもあまりとっていないのですが、 とらなくていい。それから、プロジェクトを進め るときの基本的な考えについても、あれやこれや のことをあまり考えなくていい。

 例えば、言語の問題でも、われわれとしては論 理型言語をもとにして、ESPとか、GHCとかあ りますが、そういうものの将来的な言語の確立を 図っているわけです。しかし、現実にAI的なも のをちょっと利用しようとする人からすると、Prolog の処理系にいいのがあるのかとか、Lisp はすでにあるではないかという議論があります。 ここのところは実はもうクリアされているわけで す。Prolog処理系についても、計画当初、並列 アーキテクチャとか言わなくても、まず現世代 コンピュータの上でのいいProlog処理系を作っ て、それを普及させることから始めるべきだとい う議論がありましたが、実に幸いなことに、大型 機でも出てきていると思いますが、パソコンを含 めて、日本でもProlog処理系のいいものがいく つも出てきている。Lispだって、そういう見地 からすればいろいろやられているわけで、非常に 結構だと思います。そういう活動がありますので、 改めて第五世代プロジェクトがLispを手がける必 要もないし、そんな形でのProlog自体を守り続 ける必要もない。それは世の中に任せて、その先 のことを純粋に考えるべきであろうというのが一 例です。そういうことで、より純粋化しながら持 っていくのが一つの方向だろうと思います。

 と同時に、世の中と切り離されて孤高を保とう という気持ちではなく、その広がりは大事だとい うことはわれわれも思っている。いろいろな分野で 適用されて、それなりの有効性を発揮して、その 人たちが何かのメリットを得ると同時に、そうい うことをふまえて限界等が指摘されて、われわれ のほうにそういう知見がフィードバックされる。 そういう広い世の中的な活動がもっと活発になる ことを期待しています。そういうものとのりンク もまた大事ですので、ICOTの中にAIセンターと いう組織を作りました。広い活動の相互のコミュ ニケーンョンが行われるような場を提供できたら ということで、まだきわめて不十分ですが、そう いうことも手がけようと思っています。これは狭 い意味の第五世代プロジェクトの、その横でのもう 一つの軸でのささやかな試みを始めようとしてい るととらえていただくといいのではないかと思う 次第です。

 今年一杯たつと、もう中期の真ん中になって、 計画全体としてもちょうど真ん中になります。ま だ真ん中を越す前ですが、そういう時期にあるプ ロジェクトの姿をいろいろなところから観察され て、ご批評いただければ幸いだと思います。