International Symposium on Fifth Generation Computer Systems 1994
December 13 - 16, 1994

第五世代コンピュータの
研究基盤化プロジェクトに関する総合報告

内田俊一
(財)新世代コンピュータ技術開発機構
〒108 東京都港区三田1丁目
uchida@icot.or.jp


Index

0. 概要
1. はじめに
2. 研究開発活動
3. 普及活動
4. おわりに
5. 参考文献
6. 印刷版の入手方法


概要

本論文では,11年間に亘った第五世代コンピュータプロジェクト(FGCS Project)の後を受けて,その後継プロジェクトとして2年間実施された第五世 代コンピュータの研究基盤化プロジェクト(FGCS Follow-on Project)について 報告する.
後継プロジェクトの活動は大きく2つに分けられる.一つは研究開発であり, 他の一つはFGCS技術の普及活動である.
研究開発活動は,KLICと呼ばれる,Unixベースの逐次および並列マシン上の KL1プログラミングの新しい環境の開発と,KLICを用いて知識処理の主なツー ルやアプリケーションシステムをこれらのマシンに移植するための修正や拡張 を含んでいる.
普及活動は,内外の研究機関や大学との様々な共同研究を編成すること,ワー クショップやセミナーを開催すること,作られたソフトウェアをICOT 無償公 開ソフトウェア(IFS)として配布すること,Internet上のanonymous FTPや World Wide Web(WWW)を介して研究開発活動に関する技術情報を公開すること, などを含む.
KLICは現在,各種のUnixベースのワークステーションや数種のMIMD型並列マシ ン上で稼働している.いくつかの並列ツールとアプリケーションシステムがす でにこれらのマシンに移植され,Unix環境で利用可能な様々な既存のソフトウェ アシステムとともに使用されている.
これらのツールやアプリケーションシステムのすべてはICOT 無償公開ソフト ウェアとして配布されている.1992年8月の最初のリリース以来,2,100を超え る人々が12,000以上のファイルをアクセスした.KLICはすでに日本や海外の数 十の大学で並列言語として教育に使用されている.
我々は,後継プロジェクトが全体目標を達成して,
1995年3月に成功裡に終了することを確信している.またICOTの研究所が活 動を終える1995年3月以降も,数年間はICOT無償公開ソフトウェアの保守と配 布を継続する計画である.


1 はじめに

最近,コンピュータ科学技術の主流は急速に並列分散コンピューティングに向 かっている.この変化はコンピュータにおける新時代の幕開けと見ることがで きる.変化はハードウェア技術から始まり,今やソフトウェア技術やアプリケー ションにまで拡大している.
この新時代において,FGCS技術はより重要で実用的な基本技術となり,我々に 大規模な並列分散知識処理システムを構成する際の機能を提供することができ る.
後継プロジェクトがその目標を達成すると,FGCS技術の利用が拡大し,結果と してコンピュータ科学技術の世界的な進歩に貢献するだろう.
本論文では,11年間続いた第五世代コンピュータプロジェクトの後継プロジェ クトとして1993年4月より2年間実施された後継プロジェクトについての活動報 告を行う.
後継プロジェクトは第五世代コンピュータプロジェクトで開発されたFGCS技術 の普及を目的としている.
FGCS技術は核言語にロジックプログラミングを用い,高度な並列処理と知識処 理技術を組み合わせて開発された.
FGCS技術の中心部分は,KL1並列言語と,約1000台の要素プロセッサを持つ並 列推論マシン(PIM)上に実装されたPIMOSオペレーティングシステムである.
PIM上でこのKL1/PIMOS環境を用いて,多くの並列ソフトウェアシステムが開発 された.KL1/PIMOS環境によって,要素プロセッサ数にほぼ比例するリニアな 速度向上を達成できることを,定理証明器 MGTPのような多くの並列ソフトウェ アシステムが証明した.
本格的な知識処理やAIの応用システムが,高度な並列処理を用いてほぼリニア な速度向上を達成できたことは,おそらく世界で最初のことであろう.PIMお よびその上で動くKL1/PIMOS環境は,知識処理において現在最も強力な並列シ ステムである.
第五世代コンピュータプロジェクトの終了に際し,
ICOTと通産省は,コ ンピュータ科学技術の先端研究のための新しい共通基盤としてFGCS技術を普及 すべきだと考えた.そのため,ICOTでは第五世代コンピュータプロジェクトで 開発された主なソフトウェアのすべてをICOT無償公開ソフトウェアとして提供 した.
しかしながら,PIMOSオペレーティングシステムを含む主要なソフトウェアが KL1で書かれていたため,PIM上でしか動作できなかった.このことは普及する うえで明らかに障害となった.
第五世代コンピュータプロジェクトの終わり頃,大規模な数値処理アプリケー ション向けの汎用のMIMD型並列マシンが市場に出現し始めた.これらの並列マ シンの規模はPIMほどではなかった.しかし,これらのマシンには近い将来, より強力な処理能力を低価格で提供する可能性がある.そのうえ,これらは 「仮想並列マシン」(Parallel Virtual Machine:PVM)と呼ばれるソフトウェ アなど並列処理向拡張機能を持ったUnixベースのオペレーティングシステムを 搭載していた.
このような状況を検討した結果,ICOTと通産省は後継プロジェクトの実施を決 定した.後継プロジェクトが掲げる技術面での第1目標は,Unixベースの並列 マシン上に新たなKL1/PIMOSの環境を開発することである.この新しい環境は, KL1プログラムをCプログラムにコンパイルすることから,KLICと名付けられた.
第2目標は,第五世代コンピュータプロジェクトで新しく開発された興味深い いくつかのシステムをKLICを使用してUnixベースのマシンに移植することであ る.この目標を達成するために,これらのシステムをコンパクトにし,現時点 ではPIMより規模の小さいUnixベースのマシン上で動くようにする必要があっ た.さらに,X-windows Motifといった標準規格のソフトウェアツールを用い て,新しいユーザインタフェース部分を開発する必要もあった.
これらの目標は現在ほぼ達成されている.新しいソフトウェアシステムのいく つかは,ICOT無償公開ソフトウェアとしてすでに配布されている.残りの部分 も完成されて,1995年3月にはanonymous FTPやWorld Wide Web (WWW)を介して 配布が開始される予定である.
KLICを含むこれらのソフトウェアシステムは現在,実用的な応用開発用のほか, 大学における並列言語,プログラミング方法論,並列知識処理などの教育用と しても使用されている.我々は,大規模並列マシンの価格がより廉価になり, もっと普及するようになれば,FGCS技術の貢献度はますます増大するものと確 信している.


2 研究開発活動

2.1 後継プロジェクトの開始

1992年6月,後継プロジェクトの実施が決定され,FGCS'92国際会議において公 表された.その時点から我々は後継プロジェクトの準備を開始した.
我々は後継プロジェクトの技術目標の大枠は決めたが,詳細な研究テーマにつ いては,ICOT研究所が担当する研究員を確保できるかどうかによって決めてい かねばならなかった.
第五世代コンピュータプロジェクトの後期では,ICOT研究員の多くが4年から5 年もの間ICOTに在籍していた.この在籍期間は,ICOTと派遣元企業との間の研 究員の標準的な交替期間に比べて長くなっていた.したがって,研究員の多く を派遣元の親会社に帰社させ,新たに若い研究員をICOTに派遣するように各社 に依頼する必要があった.我々は個々の研究員と派遣元の各社の双方と交渉し た.
研究員と各社には後継プロジェクトの意図が十分理解されていたので,プロジェ クトの重要な研究テーマの研究リーダーと約20名の新しい研究員を確保するこ とができた.新しい研究員の多くは,派遣元の企業やソフトウェアハウスにお いて以前から第五世代コンピュータプロジェクトに参加していたため,割り当 てられた研究業務を遂行するのに十分な知識と能力を持っていた.
表1に'91年度から'94年度までの予算と人数の移り変わりを示した.

表1:'91年度から'94年度までの予算と人数の移り変わり
-----------------------------------------------------------  プロジェクト名  会計年度   予算   ICOTの   契約企業各社の           4月3月   十億円  メンバ総数     メンバ総数 ----------------------------------------------------------- FGCS(10年目) '91 7.2 90 500 FGCS(11年目) '92 3.6 60('92/10) 200 Follow-on(1年目) '93 1.3 40('93/4) 50 Follow-on(2年目) '94 1.3 40 50 -----------------------------------------------------------

'92年度にはICOT研究員の数が90名から40名に減り,7つの研究室が2つの研究 部に縮小された.再委託メーカやソフトウェアハウスでも,研究員,技術者, 管理者の数が500名規模から50名規模に減少した.この50名はICOT研究所に集 められた.
多くの研究員や技術者が第五世代コンピュータプロジェクトを離れていったが, その中でICOTや自社で第五世代コンピュータプロジェクトに関係していた約30 名の研究員が'91年度から'93年度にかけて主要な大学に移っていった.彼らの 多くは第五世代コンピュータプロジェクトにおける研究成果によって博士号を 取得した.これらの研究員達は後継プロジェクトにおいて大変重要な役割を担っ ている.


2.2 研究テーマの選択

予算とICOT研究員の人数が減少したため,我々は研究テーマを縮小した.第五 世代コンピュータプロジェクトの後期には,約20の並列応用システムを含めて 50を超える研究テーマを持っていた.これらのテーマには基礎研究のほか,ジョ ブスケジューリングやVLSI CADシステム向けのエキスパートシステムといった 実用的な研究テーマも含まれていた.
後継プロジェクトの全体的な技術目標は,第五世代コンピュータプロジェクト で開発された主要なソフトウェアシステムをUnixベースの並列マシン上で稼働 させることである.したがって,技術面での第1目標は,KLICと名付けられた KL1/PIMOSの新しい環境をUnixベースのマシン上で開発することである.
他のテーマを選ぶ際の選択基準は,そのテーマがコンピュータ科学の将来に大 きな影響を与えるかどうか,並列処理の利用によってそのテーマが効果的に進 歩するかどうかといった点であった.
我々は後継プロジェクトの研究テーマとして以下のものを選んだ.これらのテー マは2つのグループに分けられている.


2.3 各研究テーマの研究活動

2.3.1 KLICシステム

KLICシステムはKL1コンパイラと実行時ライブラリから構成されている.KL1コ ンパイラはKL1で書かれている.KL1コンパイラはKL1プログラムをコンパイル してCプログラムに変換する.実行時ライブラリはCプログラムのライブラリと して準備され,デバッギング,モニタリング,並列実行管理,資源管理などの 諸機能を提供している.これらの機能は,PIMOSがPIM上で提供するものとほぼ 同じものである.
ユーザプログラムがこれらの機能を使用すると,これらライブラリ中のCプロ グラムのいくつかがユーザプログラムにリンクされる.ユーザプログラムがこ れらの諸機能を使用しない場合は,それは小型のパソコン上でも実行可能な, 非常にコンパクトなCプログラムに変換される.KLICのこのような特徴は教育 目的に適している.
KLICの開発は2段階で行われた.最初の段階では,KLICの逐次版が開発された. KL1コンパイラの開発が主な題目であった.この版はまずまずの性能を達成し た.SS-10/30上で2MLIPS,DEC AXP上で3.7MLIPSを達成した.KLICの逐次版は 1993年11月にICOT無償公開ソフトウェアとしてリリースされた.
次の段階では,KLICの並列版が開発された.この版は逐次版に比べて複雑で, PVMと呼ばれるUnix上の並列機能拡張用ソフトウェアを使用する.このPVMは並 列マシンや分散マシン上でプロセッサ間通信の標準インタフェースを提供する. このソフトウェアはPDSとして配布され,最近のほとんどの並列マシン上で提 供されている.
並列版KLICの新しい実行時ライブラリが開発され,並列実行管理,資源管理, デバッギング,モニタリングなどの諸機能を提供している.KLICの並列版の最 初のリリースが1994年9月に行われた.ICOT無償公開ソフトウェアとしてのリ リースは1995年2月に行われる予定である.
KLICの並列版は,Sparc Center,DEC AXP 7000,CM-5,AP-1000+,Cenju-3, SR-2001,SP-2などの並列マシンに移植される予定である.


2.3.2 PIMアーキテクチャの評価

本テーマではPIMの5つのモデルをさらに研究することを意図している.すべて のモデルはKL1をサポートしている.しかし,要素プロセッサのアーキテクチャ や要素プロセッサ間の接続機構はモデルごとに異なっている.
5つのPIMモデルの設計者達はタスクグループを形成して興味深い議論を行った. 彼らは評価データを集めて,設計のユニークな点をお互いに比較した.全体的 な評価結果がFGCS'94シンポジウムで発表されている.


2.3.3 並列非正規RDBMS, Kappa

Kappaは,くり返し構造を持つ関係テーブルを使ってデータ表現ができる拡張 型RDBMSである.
標準のRDBMSでは通常,2次元のテーブルを用いてデータ構造を表現する.1つ のテーブルは行と列によって多くの矩形の枠に分けられる.このテーブルの構 造は非常に規則的だが柔軟性に欠ける.各枠には1つのデータ項目しか入れる ことができない.この規則性は単純なデータ構造だけを扱う限りは長所となる.
非正規RDBMSでは複数のデータ項目を1つの枠に入れることができる.したがっ て,自然言語辞書や生物学データなどの複雑なデータ構造を扱うのに適している. 非正規RDBMSの方が, 標準のRDBMSに比べて複雑なデータをよりコンパクトで分 かり易い形式に表現できる.
我々はPIM上でKappaを開発し,並列処理の利点を十分に活用して高性能を達成した.
後継プロジェクトではKappaを再構築して,小型で高速なシステムに作りかえ た.低レベル機能のいくつかは性能を上げるためにCコードに書き換えられた.
現在では,GenBankのような複雑なデータベース向けの正規RDBMSにほぼ匹敵す る性能を逐次マシン上で達成している.並列マシン上で使用した場合,並列処 理を用いて,さらに高い性能を達成することが可能である.


2.3.4 並列定理証明器, MGTP

MGTPは1階述語論理用のモデル生成型定理証明器である.これは第五世代コン ピュータプロジェクトで最も成功したアプリケーションプログラムの1つであ り, PIM上におけるKL1/PIMOS環境の効果を実証した.
定理証明器は非常に広大な探索領域を持つため,並列処理における興味深いア プリケーションと考えられてきた.しかし,計算構造が非常に不規則で,しか も探索木が枝をどのように延ばすかを予測することが困難である.
MGTPは1991年後半にPIM上のKL1/PIMOS環境において効率の良いジョブの分割と 割り当ての実装に成功した.実行速度は要素プロセッサの数にほぼ比例して向 上した.
しかも,プログラム開発期間が驚くほど短かった.このことによって初めて, PIM上のKL1/PIMOS環境を大規模なAI問題の解決に適用可能であることが証明さ れた.
MGTPグループの経験と技術はすぐに,ICOTの他の研究グループに伝えられた. このことはICOTや各社の研究員のすべてにとって大きな励みとなった.
後継プロジェクトにおいてMGTPグループは,さらに証明器の開発を続けた.結 果として,MGTPはこの種の証明器としては世界最高速となったうえ,実際に準 群の未解決問題を解くことができた.
それだけでなく,MGTP証明器のいくつかは,法的推論システム HELIC-IIのルー ルベースエンジンのような実用的なアプリケーション用ツールとして利用され た.
このことは,定理証明器を高度な推論エンジンと見なして,KBMS,自然言語理 解,ソフトウェア工学といった知識処理アプリケーションに適用できる,とい うことを示している.
通常のMGTP証明器だけでなく,MGTPグループは教育用にPrologを用いて証明器 の小型版も開発中である.


2.3.5 知識表現言語

第五世代コンピュータプロジェクトの当初から,ICOTにおける知識表現言語の 研究は数学論理に基づいていた.研究は非正規関係データベースと演繹言語か ら始まった.中期には,制約論理プログラミングの研究も開始された.
一方,オブジェクト指向言語の研究は,主にESPのようなシステム記述言語で 行われた.ESPというのは,PSIマシン向けプログラミング言語として開発され た拡張型Prologである.
ICOT以外のデータベース研究者の何人かは,オブジェクト指向言語とオブジェ クト指向言語のモジュール化や継承の機構とに関心を寄せていた.彼らはオブ ジェクト指向データベースを開発して,それが関係データベースや演繹データ ベースよりも柔軟なデータモデルを提供できることを示した.我々はオブジェ クト指向データベースの長所を我々の枠組みに組み込む方法について議論を始 めた.
第五世代コンピュータプロジェクトの後期には,演繹オブジェクト指向言語と DBMSの設計を開始した.この言語とシステムの設計は最終的には,知識表現言 語として完成した.その最初の版はKL1で実現された.
は演繹言語と組み合わせたオブジェクト指向ベースの豊富な機能を持っており, 法規や生物反応といった複雑な知識を記述することができる.しかし,その機 能が豊富なために実装が複雑になり,ソフトウェアシステムの性能と安定性は 満足できるものではなかった.
後継プロジェクトでは,言語仕様とシステム実装の改良に努力を集中した.シ ステムはKLICを用いてUnix ベースのマシンに移植された.は1995年3月により 実用的なシステムとしてリリースされる予定である.
このシステムは現在,Big-と呼ばれている.小型のサブセットのMicro-も教育 用に開発された.Micro-は小さいのでパソコン上でも十分に動くものとなって いる.


2.3.6 遺伝子情報処理システム

遺伝子情報処理の研究は,蛋白質配列のマルチプルアライメントの並列処理か ら開始した.この研究テーマは後継プロジェクトに引き継がれ,現在の配列ア ライメントシステムに拡張された.
このシステムは蛋白質とDNAの双方を処理できる.アライメントのアルゴリズ ムは,DPマッチングアルゴリズムに基づいてKL1で実現された.このアルゴリ ズムの並列実装は,PIM上でより高速でかつ高品質の結果を得るために何度も 改良された.
最近では,遺伝アルゴリズムの利用によって,いくつかの興味深い事例におい て優れたアライメントが得られている.探索領域を狭めるためにアミノ酸間や 核酸間の制約を利用することも試みた.このシステムは現在,Unixベースの並 列マシンに移植中であり,移植後は生物学者にも利用できるようになる.
蛋白質構造の予測の研究は後継プロジェクトで行われた.隠れマルコフモデル (Hidden Markov Model:HMM)の利用によって,いくつかの事例で興味深い結果 が得られた.
生物学DBMSとKBMSの研究も知識表現言語の研究と関連して行われている.生物 化学物質の特性だけでなく,いくつかの生化学的反応もで書かれ,知識ベース に蓄積されている.
これらの反応は生物学者によって数百の図式で表現され,蓄積されてきたもの である.それらはで記述することで, KBMSで蓄積し検索可能となる.我々は, この種の知識表現言語の利用が他の多くの応用分野において可能であると考え ている.
遺伝子情報処理の研究では共同研究が不可欠である.我々は海外や国内の生物 学者や生物関係のコンピュータ専門家と共同研究プロジェクトを編成した.こ れらのプロジェクトによって,最近の分子生物学における多くの興味深い問題 が提供された.我々の生み出したソフトウェアツールが生物学の研究に大きく 貢献することが期待される.


2.3.7 法的推論システム, new HELIC-II

法的推論システム HELIC-IIの研究は,第五世代コンピュータプロジェクトの 後期に開始された.このシステムは,KL1/PIMOS環境,知識表現言語,および 他のソフトウェアツールを,総合的に評価するために開発された応用システム の1つである.
このシステムはFGCS技術の有用性の証明に成功しただけでなく,初期の期待を 超えたFGCS技術の利用可能性を示すことにも成功した.このシステムによって, FGCS技術を社会科学分野に応用する方法についてより良く理解出来るようになっ た.
与えられた事例を分析し可能な判決のすべてを予想するために,HELIC-IIは2 つの知識ベースと2つの推論エンジンを用いている.一つは事例ベースの推論 エンジンとそれに組み合わされた事例知識ベースである.他の一つはルールベー スのエンジンとそれに組み合わされたルール知識ベースである.ルールベース のエンジンはその核としてMGTP定理証明器を用いて構築された.
刑法と事例ルールを記述するために,関連する研究成果を取り入れた知識表現 言語が用いられた.両方の推論エンジンはKL1で実現され,PIM上の並列処理に よって高速化された.
HELIC-IIは,第五世代コンピュータプロジェクトで開発された他の多くの研究 成果を効果的に使用したので,FGCS技術の総合的評価に最適のプログラムとなっ た.
後継プロジェクトではさらに研究が進み,検事と弁護士との論争をシミュレー トするような洗練された機能を持つようになっている.この拡張版はnew HELIC-IIシステムと呼ばれ,より多くの複雑な事例とルールを持っている.
この開発を行うには,法律と法的システムに関する背景知識がもっと必要であ る. したがって,ICOT研究員と法律分野の専門家との共同研究が不可欠である.コ ンピュータ科学と法律との間にはカルチャーギャップが存在するため,この共 同研究を編成する際には,遺伝子情報処理の共同研究編成よりも多くの努力を 必要とした.
本研究の最終目標はまだはるか彼方にあるが,この研究から生み出される技術 が,社会科学分野における実際的な諸問題へ応用されることがが期待される. New HELIC-IIはUnixベースのマシンに移植中であり,ICOT無償公開ソフトウェ アとして配布される予定である.


3 普及活動

3.1 普及体制

FGCSプロジェクトの終わり頃,通産省は第五世代コンピュータプロジェクトの 研究成果を評価するための諮問委員会を組織した[DPBCT 1994]. そこでの結 論の一つは,学術的見地からそれらの成果がは高く評価されているが,市場の ニーズからまだかけ離れているため,コンピュータ企業での数年内の商業化は 無理だろう,というものであった.
したがって,普及活動は主に内外の研究機関や大学などの学術分野に向けられ た.しかし,ごく最近では内外のコンピュータ企業がともに我々の普及活動を 積極的に支持するようになった.
我々は二つの方向から普及の準備をした.一つは,ICOT無償公開ソフトウェア のプログラムやドキュメントを保守するためのチームが使用する,Internetと 接続されたファイルサーバや,共同研究者達が離れた場所からPIMを利用でき るような高速ネットワークリンクといったハードウェアや設備の準備である.
他の一つは,ICOTに関連する研究者間のヒューマンネットワークを作ることで あった.我々は第五世代コンピュータプロジェクトにおいて編成された共同研 究プロジェクトのいくつかを維持することとした.さらに,後継プロジェクト の新しい研究テーマに基づいて内外の研究機関や大学と新しい共同プロジェク トを編成することを試みた.


3.2 日本国内における共同研究

3.2.1 タスクグループの編成

第五世代コンピュータプロジェクトでは,いくつかの「ワーキンググループ (WG)」を持った.このWGでは大学やメーカの研究員を集めて,技術情報の交換 とICOTの研究ツールの提供を主に行なった.
WGの主な活動は,特定の研究テーマについて議論することであったため,WGの メンバとICOT研究員との関係はあまり緊密ではなかった.
後継プロジェクトでは,我々の研究開発部分の一部分を実施したり,セミナー やワークショップなどの開催を手伝ってもらうために,大学や研究機関の研究 者達とのより緊密な関係を構築した.
そのため,我々は新しいタスクグループ(TG)を編成することとし,大学や産業 界から研究員を集めた.ICOTや各社で第五世代コンピュータプロジェクトに関 係していた人達が自然に多く集まった.
現在,彼らは普及活動において大変重要な役割を担っている.例えば,これら のTGメンバの援助で大学において数回KLICセミナーを開催したりしている.
現在,以下に示す7つのタスクグループが活動している.括弧の中の数字は, ICOTの研究員を除く正規メンバの数を示している.
  1. 並列記号処理システム全般に関するタスクグループ(18名)
  2. 並列推論マシン評価に関するタスクグループ(10名)
  3. ポータブルKL1言語処理に関するタスクグループ(9名)
  4. 並列定理証明タスクグループ(9名)
  5. 異種知識ベース・異種問題解決タスクグループ(17名)
  6. 蛋白質立体構造予測タスクグループ(17名)
  7. 法的推論タスクグループ(7名)


3.2.2 日本の大学や研究機関との共同研究

第五世代コンピュータプロジェクトの研究成果のいくつかは具体的だが,なか には具体的でないものもある.KLICは具体的なものの典型である.このような 成果はソフトウェアシステムとして統合され有用なツールとして利用可能であ る.したがって,技術の移転は比較的容易である.
しかし,他のいくつかはひとまとまりのソフトウェアシステムとしてうまく統 合されていない.例えば,KL1を用いた並列プログラミング方法論は,技術論 文で一部が記述されたり,いくつかのKL1プログラムとして一部が統合された りしているが,大部分は研究員の頭脳の中に入ったままである.
このような成果はまだ整理されていないため,非常に抽象的である.法的推論 システムの開発で得た法律知識を表現する方法の経験も,一つの抽象的な成果 の例である.
これらの抽象的な成果を普及させるために,日本の大学と小規模な共同研究プ ロジェクトを編成することとした.これらのプロジェクトでは,大学で新しい 研究プロジェクトを始める際の種として,我々の成果を利用することを期待し ている.もちろん,具体的な成果を教育ツールや新しい研究基盤として利用す ることも要請している.
現在,以下に示す15のプロジェクトを実施している.

  1. 並列言語処理系と環境

  2. 並列定理証明

  3. 自然言語処理

  4. 応用システム等

さらに,電子技術総合研究所(ETL)や機械技術研究所(MEL)との共同プロジェク トがある.これらは通産省に付属する国立研究所である.これらのプロジェク トは第五世代コンピュータプロジェクトから続いている.


3.3 国際共同研究と成果の共有

第五世代コンピュータプロジェクトの技術目標は非常に高いものであったため, 世界の代表的な研究者達の協力が不可欠であった.そのため,第五世代コンピュー タプロジェクトの前期から国際的な共同研究が始められた.初期の共同研究は, 個々の研究者の招待や相互訪問の形で行われた.
中期からは,以下に示す政府関係機関や研究所と,研究者の交換やワークショッ プの開催などを行なう共同研究を開始した.

 後期には,KL1,PIMOS,およびPIM向けの応用を探すため,より具体的な共 同研究を開始した.我々は以下に示す米国の研究所と研究情報や研究ツールの 交換を行った.


ANLの研究者とは,生物学的な解析や定理証明の研究を行った.彼らは定理証 明に関していくつかの興味深い問題を提供した.彼らは並列定理証明や生物学 解析に関する我々の研究を大いに刺激した.我々はNSFとICOTの後援によるロ ジックプログラミングと定理証明に関する日米ワークショップをANLにおいて2 度開催した.
NIHとLBLの研究者とは,蛋白質構造解析と配列アライメントの研究を行った. 我々はこれらの共同研究を通じて最先端の分子生物学を効率良く学ぶことがで きた.
その後,定理証明に関する共同研究は,オーストラリアの研究者が参加するま でに拡大した.

ANUとは,PIM上でMGTP定理証明器を用いて,準群における未解決問題を解決す る試みを行った.この試みは大成功を収めた.この共同研究の成果は,この分 野における世界中の研究者を大いに刺激した.我々はこれらの研究者達と何度 か国際的なワークショップを開き,我々の研究成果と経験を共有した.
これらの共同研究は,我々の研究グループが遺伝子情報処理や並列定理証明の 研究を進めるのに大いに役立った.これらの共同研究は,まだ個人ベースで継 続している.
後継プロジェクトでは,以下に示す2つの大学とより緊密な新しい共同研究プ ロジェクトを編成した.

我々は,海外においてもKLICシステムや他のプログラムがICOT無償公開ソフト ウェアとして普及するだけでなく,さらに発展することを期待した.
ブリストル大学の研究者とは,KLICシステムの拡張機能として使える並列デバッ ガや制約ソルバーを開発するための研究を行っている.
オレゴン大学の研究者とは,KLIC向けコンパイラの最適化や制約を用いた生物 学データの配列解析の研究を行っている.この共同研究に基づいて,我々はオ レゴン大学において国際的な研究者が出席する5回目の日米ワークショップを 開催した.
これら共同研究の成果はすべて無償公開されて, ICOT無償公開ソフトウェアの 拡張部分として配布される予定である.
後継プロジェクトの完了に伴って,これらすべての共同研究は終了することに なる.我々としてはこれらの共同研究がその後も個人ベースで続くことを期待 している.


3.4 ICOT無償公開ソフトウェア(IFS)とそのほかの技術情報の配布

1992年8月に,Internet上でanonymous FTPを介してICOT無償公開ソフトウェア (IFS)の配布を開始した.その時以来,45ヵ国の2,200人が12,000のファイルを 転送した.これらのファイルのうち,40%は日本国内,30%は米国,残りの30% はその他の国々に転送された.
第五世代コンピュータプロジェクトの後期には,77本のプログラムをICOT無償 公開ソフトウェアとして提供し,1992年8月にICOTのFTPサーバを立ち上げた. これらのIFSプログラムは,比較的大きなものである.例えば,PIMOSオペレー ティングシステムはそのようなプログラムの一つである.
これらのIFSプログラムには,PIM上でしか動かないKL1で書かれた多くのプロ グラムが含まれている.そのため,ICOT以外の研究者達から興味を持たれるか 不安であった.幸いにも,ICOT無償公開ソフトウェアサーバには開始当初より 多くの国々から頻繁にアクセスがあった.
後継プロジェクトでは,IFSユーザが自分達のマシン上でKL1プログラムを動か せる環境を提供するために,KLICの逐次版の完成を急いだ.そして1993年11月 に,KLICの逐次版を含む7本のプログラムをICOT無償公開ソフトウェアとして リリースした.KLICは期待通り,多くの人々に頻繁に転送された.
最終リリースとして1995年3月に,KLICの並列版やいくつかの興味深い並列ア プリケーションプログラムを含む,16本のプログラムをICOT無償公開ソフトウェ アに追加する予定である.それらは実際に多くのワークステーションや並列マ シン上で稼働している.
1994年10月には,ICOT's World Wide Web サーバ[1]に より配布を開始した.
我々は,ICOTの活動,技術論文/報告やICOTジャーナルといったICOT刊行物, および主な研究成果の概要などの一般情報を提供している.ICOT無償公開ソフ トウェアもこのサーバから転送できる.
始動して以来,「ICOT Home Page」ファイルは800を超えるサイトに転送され た.このことは非常に励みになっている.我々は最近のより多くの成果物をサー バ上に置く予定である.
Internetの利用によって我々は,ICOT無償公開ソフトウェアや他の技術情報を 効果的に配布することができた.共同研究の成功には直接的な対話は欠かせな いが,我々は先端技術情報,研究ツール,プロダクトなどの共有を,より多く コンピュータネットワークに頼るようになっている.
1995年3月にICOT研究所を閉じた後も数年間,研究員と技術者のチームを編成 してICOT無償公開ソフトウェアや他の情報の保守を行なっていく予定である.


おわりに

後継プロジェクトの総合的な目標は,二つの側面を持っていた.一つは,第五 世代コンピュータプロジェクトの成果物の普及である.他の一つは,コンピュー タ技術分野において日本最大級の国家プロジェクトである第五世代コンピュー タプロジェクトを無事「軟着陸」させることであった.
FGCS技術の普及という目標は達成できることが明白になっている.
第一に,KLICの開発がスムースに進んでいる.KLICの逐次版は,ICOT外の多く のユーザによってUnixベースのワークステーションに移植が進められている. KLICユーザの数は日本や海外で急速に増えている.彼らはKLICを主に研究目的 や教育目的に使用している.
KLIC並列版は現在,ICOTで使用され, デバッグ中である.KLIC並列版もいくつ かの異なるサイトで数台の並列マシンに移植中である.
移植は比較的容易である.しかし,最高の性能を得るには並列マシン専用のハー ドウェア機能を用いた最適化が必要である.
この問題は,PVMのような並列処理をサポートするミドルソフトウェアが現在 急速に,多くの並列マシン上で最適化されているので解決されると期待してい る.
応用システムの改良と移植はまだ進行中である.この移植において抱える問題 の一つは,大規模MIMD型並列マシンがまだ高価であり,多くの研究者が容易に 利用できるに至ってないことである.特に,要素プロセッサの数やメモリ容量 が不十分なため我々の応用システムを十分に利用できない状況にある.
並列マシンのユーザの期待は非常に大きいように思われる.しかし,並列マシ ンのベンダは市場がまだ小さいと感じている.このギャップは,満足できる並 列プログラミング言語や環境が不足しているためと理解している.我々はKLIC がこのギャップを埋める有望な解決手段だと確信している.
第五世代コンピュータプロジェクトを軟着陸させるという目標も達成されつつ ある.ICOTの研究員が大学や研究所,メーカにおいて有望な仕事か地位に恵ま れていることは喜ばしいことである.
自社に戻ったICOT出身者の多くは,並列マシンや分散ソフトウェアといった興 味深い仕事についている.長期に亘ってICOTにいて第五世代コンピュータプロ ジェクトを主導した研究員達は,多くの大学に迎え入れられた.
ICOT無償公開ソフトウェアの保守とより一層の普及のために,ICOTの卒業生と 共同研究者で構成する,Internet上の仮想研究所を編成する構想がある.ICOT 無償公開ソフトウェアに共通の興味を有する,緩やかに結ばれた研究グループ を構成したいと考えている.我々はこのグループが将来の研究プロジェクトを 生み出すシンクタンクとして活動することを期待している.


5 参考文献

近山 1994
T. Chikayama, ``Parallel Basic Software'', Proceedings of the International Symposium on Fifth Generation Computer Systems 1994, Dec. 1994.
新田 ほか 1994
K. Nitta, K. Yokota, A. Aiba and M. Ishikawa, ``Knowledge Processing Software'', Proceedings of the International Symposium on Fifth Generation Computer Systems 1994, Dec. 1994.
DPBCT 1994
電子計算機基礎技術開発推進委員会:第五世代コンピュータシステムプロジェクトの最終評価報告, ICOT ジャーナル, No.35, pp-2-17(1994).
内田 ほか 1993
S. Uchida, T. Chikayama, and K. Nitta, ``Knowledge Information Processing by Highly Parallel Proccessing'', ICOT Technical Report TR-0854, Sep. 1993.
内田 ほか 1993
S. Uchida, R. Hasegawa, K, Yokota, T. Chikayama, K. Nitta and A. Aiba, ``Outline of the FGCS Follow-on Project'', New Generation Computing, Vol. 11, No. 2, OHMSHA and Springer-Verlag, 1993.
内田(編)1992
S. Uchida (Ed.), ``Proceedings of the FGCS PROJECT EVALUATION WORKSHOP'', ICOT Technical Memo TM-1216, Sep. 1992.


脚注:

  1. サーバ Internet アドレス: ICOT無償公開ソフトウェアのanonymous FTP serverは,ftp.icot.or.jp,ICOT's World Wide Web serverは,http://www.icot.or.jp


印刷版の入手方法 (圧縮されたポストスクリプト形式):

第五世代コンピュータの研究基盤化プロジェクトに関する総合報告 (68KB)


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