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3.8 感性のモデル化技術とEコマースへの応用

3.8 感性のモデル化技術とEコマースへの応用

加藤 俊一 委員

3.8.1  はじめに

 検索技術の向上により、膨大な商品群の中から自分が購入したいと考えている商品を検索することは、ある程度可能になった。しかし、「何かいいものがないかな?」というようにウィンドウショッピングするような感覚で、自分が興味を持ちそうな商品を探し出すのは、非常に大変である。しかし、「自分の興味の対象になりそうな商品の情報が欲しい」という思いは、消費生活の上では非常に基本的な要求である。このような要求に対して、消費者の主観的な商品の選択基準をモデル化することができれば、消費者ごとに興味を持つ可能性のある情報を適切にレコメンドすることができる。そうすることで、消費者は自分の選択基準にあったより多くの情報に触れることができる。
 本稿では、電子社会時代に、市民生活に最も近いBtoC (Business to Consumer)型の電子商取引(Eコマース)として、商品情報のレコメンデーションシステムを取り上げ、これを実現する上での技術的課題を考察する。

3.8.2 BtoC型のEコマースの問題点と解決のアイデア

 一人一人の消費者を対象としたBtoC (Business to Consumer)型のレコメンデーションシステム[1]では、消費者本人のアクセス履歴や購入履歴、他の多数の消費者のアクセス履歴や購入履歴などの情報を用いて、消費者本人の興味を判断・予測し、商品のレコメンドを行っている。さらに、消費者がレコメンドを受けるためには、個人を特定できる情報(名前、住所、E-mailアドレス)も登録しなければならない。
このようなシステムの構成と運用には、以下のような問題点がある。
(1)同じ商品を見ても、消費者一人一人で、その商品のどの性質に注目してどのように評価するかの基準が異なるため、他人の商品に対する評価を利用して、消費者にレコメンドするには限界がある。
(2)まだ誰も買っていない商品や新商品は、その商品が消費者にどのように評価されるかわからないため、それを必要としている消費者にレコメンドされることはない。
(3)嗜好情報や個人情報を、レコメンデーションシステムサービスを提供している会社に開示しないと、商品のレコメンドを受けることができないことに抵抗感を持つ消費者(特に若い女性)も多い。
 このような問題点を解決するためには、次のような技術的なブレークスルーが必要となる。

(1)消費者の商品に対する感性のモデル化技術
 「商品のどの性質に注目して、どう評価するか」という消費者によって異なるプロセス(商品の観察から、主観的な評価を経て、購入に至るプロセス)をモデル化する。特に、個々の消費者が、特定の商品やある商品群のどのような特徴に注目し、それをどのような基準で解釈し、取捨選択(つまり購入するか否か)するかを、個々の観察事例・購入事例などからモデル化する必要がある。
 このモデルには、商品の素材・形状・質感(木質・布、丸い・角ばった、半透明、光沢など)などの商品の客観的な特徴を表現する客観的イメージ語、消費者が主観的に商品の特徴を表現する主観的イメージ語(かわいい・シックなど)や、商品の様式を表現する知識的イメージ語(ブリティッシュトラッド・アールヌーボー・ポストモダンなど)の相互の関係の強さを表現した「イメージ語ネット[2]」が含まれる。同時に、ログからとれるWebアクセス履歴、商品購入履歴から、消費者が興味を持つ商品のカテゴリ・商品イメージなども含める。
 このような感性モデルを利用することで、商品情報提供者は消費者の評価基準に合った商品のレコメンドが可能になり、消費者は自分の判断基準にあった商品の情報を手に入れることができる。
(2)新しい商品のレコメンド
 上述のイメージ語ネットがあれば、新商品がどのような特徴を持つかを分析することで、個々の消費者が新商品についてどう思うかを推定できる。従って、新商品であっても、これに関心を持つ(潜在的な)消費者にレコメンドすることができる。
(3)感性モデルの匿名化
 消費者の立場からは、商品のレコメンデーションは、個人のプライバシーを守りつつ、適確な情報だけを受け取りたい。一方、売り手の立場からは、購入する可能性の高い(潜在的な)消費者に選択的に情報を送りたい。両者のニーズは、消費者のプライバシーを開示することなく満足させることができる。
 そのために、個人の特定を防ぐために感性モデルを匿名化し、これをマッチメイキング・レコメンデーションサービスの会社のサーバー上で匿名の私書箱的に公開する。この匿名感性モデルを用いれば消費者は匿名性を保ちながら、興味を持ちそうな情報を私書箱宛のメールとしてより多く得ることができるようになる。

3.8.3 感性的レコメンデーションシステムのシステム構成

 以上のような感性モデルとこれを利用したレコメンデーションシステムの構成は、図1のようになろう。
レコメンデーションシステムは、消費者の感性モデルに基づいて消費者の商品選択の基準に合う商品を既存の商品データベースや新商品リストから検索し、レコメンドする。本システムは以下の手順からなる(図1)。


図1 匿名化された感性モデルを利用した商品のレコメンデーションシステムの基本構成

(1) 商品情報提供者は新商品に関する基本的な情報(商品名、カテゴリ、画像、色、素材)と共にその商品の雰囲気を言葉で入力し、商品情報データベースに登録する。
(2) 消費者の感性モデルや商品情報提供者の登録する情報は更新などにより、時間と共に変化する。そうした時系列データを管理するために、各データベースにはエージェント機能が組み込まれている。商品データベースエージェントは商品情報提供者が登録した商品の情報をXMLで記述してWebページを自動的に生成する。
(3) 消費者は興味を惹くような商品を探す際に、モバイル端末内に立てられたプロキシサーバを経由して商品ページを閲覧する。このプロキシサーバでURL、閲覧頻度、閲覧時間、イメージ語などのログを取得する。
(4) 一人一人のモバイル端末に組み込まれている消費者エージェントは Web アクセスで得られたログをチェック・解析し、インタラクションテーブルに蓄積する。消費者エージェントはインタラクションテーブルを参照して、一人一人の消費者ごとに異なる商品に対する評価基準を「スマートな」「クールな」といったイメージを表す言葉を用いて階層化し、「個人用イメージ語ネット」をインタラクションを通して作る。
(5) 消費者エージェントはインタラクションテーブル中のイメージ語間の関係を整理してイメージ語ネットを作成する。このイメージ語ネットは商品の雰囲気を表す主観的イメージ語と物理的特徴を表す客観的イメージ語からなる。同様に、商品情報提供者のイメージ語ネットも商品データベースエージェントが作成する。
(6) 消費者イメージ語ネットを匿名感性データベースへ格納する。
(7) レコメンデーションエージェントは、匿名感性データベースにある消費者のイメージ語ネットと商品データベースにある商品情報提供者のイメージ語ネットをマッチメイキングして一人一人の消費者にあわせた商品情報を検索する。
(8) 個々の消費者はレコメンド結果を入れてもらうために、持ち主が誰かは匿名化されている掲示板を持つ。レコメンドの結果はこの匿名掲示板に格納される。
(9) 消費者エージェントは、消費者ごとにある専用の匿名掲示板をチェックして、レコメンドされた情報を取得し、消費者の感性モデルに合わせて表示順序を編集し、レコメンド画面を表示する。消費者はそれを見ることで自分の判断基準と同じ基準によりレコメンドされた商品の情報を得ることができる。

 以上の手順により、感性レコメンデーションシステムは、消費者の感性モデルに基づいて選択の基準に合う性質の商品をレコメンドする。

3.8.4 感性的レコメンデーションシステムの技術課題

 感性のモデル化技術とこれを利用した感性情報通信技術の研究開発を核に、感性的な情報提供サービスの具体例としてショッピング支援システムの試作を通じて、基盤技術の整備を進める必要があろう。
 以下のような技術課題があげられる。

(1) 利用者の心理的身体的負担の少ない感性のモデル化技術の研究開発
 従来の感性のモデル化技術では、対象とするマルチメディアコンテンツごとに、かなりの数の教示用データを利用者から得て、統計的学習を行っていた。従って、利用者(被験者)の心理的身体的負担は大きく、感性のモデル化を進める上でのボトルネックとなっていた。
 このような研究開発では、様々なカテゴリの商品それぞれを対象に、感性の階層的なモデル化(物理→生理→心理→認知)とイメージ語ネットの統合化・高度化を図る。特に、多種多様なカテゴリの商品に共通な概念・固有な概念 (イメージ語表現)に対応して、新しいカテゴリの商品に対しても、既存の感性のモデルを利用して、出来るだけ少ない教示用データから、感性のモデルを構築できるようにする。
 商品の素材・形状・質感など、それぞれの属性と主観的なイメージ語との関係を分析する必要がある。さらに、これらの属性が複合された状態で消費者は商品を知覚しているので、視覚と聴覚、視覚と嗅覚のように、複数の感覚・複数の属性が複合された状態で知覚する感性(マルチモーダルな感性)のモデルの構築技術の研究開発も必要となる。

(2) マルチメディア情報の感性的な翻訳技術の研究開発
 商品の作り手・売り手と消費者の感性が異なる場合、作り手・売り手の意図を正確に消費者に伝えることは難しい。両者の感性モデルを踏まえて、適切に翻訳する仕組みが必要となる。
 様々なカテゴリの商品の物理的・知識的な特徴と、言葉で表現される主観的な解釈との対応関係に注目して、

などの技術の研究開発も必要である。
 本研究開発の後期では、翻訳技術の範囲をマルチモーダルな感性に拡張する。

(3) 感性的な相互理解の研究開発
 ヒューマンコミュニケーションにおいて、「相手を理解する」のは、次に示す2つの方式に類型化できると考えられる。どちらの方式を採用するかの選択は、当事者である人間の判断に任される。

1. 独立感性モデルの構築: 送り手の意見を理解してもらうためには、送り手の感性モデルを受け手側に再現する必要がある。送り手の感性モデルの特徴が現れる事例とその主観的な解釈を選び出し、順次、受け手側に伝える。受け手側では、一連の情報に基づいて、送り手の感性モデルを統計的学習などにより構築する。送り手の感性モデルが正確に再現されているかを判断(評価)するためには、同様に、送り手の感性モデルの特徴が現れる事例を受け手に伝え、受け手側で推定した解釈との一致度を評価する。この方式では、受け手は、自身の感性とは別に、知識として送り手の感性をモデル化するので、受け手の感性モデルそのものは変化しない。

2. 従属感性モデルの構築: 送り手の意見を元に受け手が学習し直す場合、送り手と受け手間の感性モデルの相互作用が重要になる。具体的な事例に基づいて、受け手が再学習することにより、受け手の感性モデルが変化する。特に、受け手の考えが明確に定まっていない場合には、インタラクションの過程を通じて、受け手がイメージする商品の仕様や特徴などがはっきりし、当初と違う考えに至ることがある。このような思考の明確化をconcept articulationと呼び、そのアルゴリズムを開発する。

 ここで、消費者がショッピングで「面白い・楽しい」と感じて満足感を得るのは、単に、品質の良く自分の嗜好にマッチした商品を安価に購入するだけではなく、ショッピングの過程を通じて、自身の知識が増え、より広い視点・専門的な視点から、商品を吟味できるように消費者自身が成長すること(「目が肥える」)を実感するときであることを指摘しておきたい。いわゆるリピーターとして消費者を確保してビジネスを発展させていくためには、単に商品の情報を伝えるだけのサービスではなく、消費者がそこに面白さ・楽しさを実感できるようなサービスとして、システムを構築する必要があると考える。

(4) 感性モデルの匿名化と共有技術の研究開発
 感性モデルを高度に利用するために、利用者の感性モデルを完全に秘匿する部分と、匿名で公開・共有する部分に分けて管理し、プライバシーを守りながら適切にネットワーク上の情報サービスを享受できるようにする技術を開発する。
 高度情報化社会は、インターネット、モバイルネット、ユビキタスネットが重畳した、複合的な情報通信環境を実現しつつある。このような複合的な情報通信環境も前提として、個人情報の携行や開示・保護のための技術を開発する必要があろう。

3.8.5 期待される波及効果

 本研究開発により、モバイル環境での新しい電子商取引市場の生成、自動車における状況に応じた快適な情報環境提供サービス、製品設計の意思決定時間の短縮などが期待できる。モバイルインタフェースエージェントや感性的なプライバシーの保護技術は、携帯電話を利用したサービスや感性工学を利用したシステム設計やサービスを得意とする我が国をはじめ、世界的にも大きな市場があると期待できる。
 本研究の成果を利用することにより、例えば、産業面では、消費者のプライバシーを高度に保護しながら、ある感性的なプロファイルを持つ消費者層の嗜好などのマーケット情報を産業界に提供することにより、より的確できめの細かい情報サービスと、これを利用した商業活動が活発になると期待できる。
 教育面では、学童生徒一人一人のプライバシーを保護しながら、適切な教材の提供や学習指導が行えるようになり、自主的な学習や学校教育の質の向上が期待できる。
 個人の知的な資質・技能的な資質を、個人レベルから社会に向けて発信することも容易になり、高齢者の社会参加・社会貢献に道を開くものと期待できる。

[参考文献]
[1] T.Ishida (ed.) "Community Computing: Collaboration over Global Information Networks",John Wiley & Sons,1998
[2] 矢野,北野,末吉,篠原,ピンヤポン,加藤,"消費者の感性モデルを利用したレコメンデーションシステムの構築",情報処理学会,DBWeb2002,pp.283-289,2002

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