1.4 まとめと提言
情報革命が世界中に波及し、情報関連産業はもちろんだが、他の産業も情報技術を活用するために、その姿を変えつつある。保守的と言われた銀行も、インターネットバンキングを正面に据え、コンビニと組んでビジネスを展開し、さらに規模拡大のため合併、吸収を繰り返している。今や主要な銀行のほとんどが名前まで変えてしまった。一昔前には想像できないような変化である。その中で、ほとんど変化しなかったものは、国の制度だったのではないだろうか。
わが国の情報技術の研究開発投資が、情報産業、特にソフトウェア産業の発展や競争力強化に貢献をしていないのはなぜか、また、それは、国の研究開発の仕組み、法・制度のどこに問題があるのか、という疑問に対する回答を求め、約4年間に渡り調査研究を行ってきた。
その結果、問題はいろいろあるが、「最も大きな問題は、研究開発の実施上の仕組みや会計制度のような法・制度が、ソフトウェア技術で特徴付けられる先端的情報技術とミスマッチを起こしていたからだ」ということが明らかとなった。わが国の研究開発の仕組みは、キャッチアップ時代にできあがったものがそのまま生き残っており、会計制度は、箱物作りを標準として設計された制度がこれまたそのまま生き残っている。
本文中ですでに何度も述べたが、仕組みの問題の代表は、米国のPM制度のような専門家を置かないプロジェクトの管理、評価の仕組みであろう。建物や橋などであれば、できあがった物を見ることができ、その分野の専門家でなくとも多少の素養があれば、大筋の評価は可能であろう。しかし、ソフトウェア技術のような抽象的論理構造の差異に技術の特徴がある無形のものは、専門家以外では、その評価はきわめて困難であり、場合によっては、初歩的な理解さえ困難である。多分、ソフトウェア以外の先端技術は今後ほとんどが同様の性格を持つものと思われる。バイオテクノロジーまたしかりである。
米国では、専門家であるPMが、予算を握り、研究開発の実施内容を監督し、評価し、成果の扱いを決める。これに対して、わが国では、行政官がこの任にあたる。しかし、その権限は、PMに比べ格段に小さい。会計制度や成果の管理にかかわる権限の多くは、財務省(大蔵省)が握ったままであり、現場の研究者どころか担当省庁の行政官の権限も限定されている。
ソフトウェアのような思考の産物は変更が極めて容易である。製造の手間はほとんどかからないから、技術の進歩は急速で、新しい商品がどんどん出てくる。研究開発は、そのようなめまぐるしい変化の中で行われる。研究開発の現場では、当然、研究目標や研究のアプローチ、スケジュール、研究担当者などを、環境の変化に合わせて素早く変えながら作業を進める。
このような状況では、研究計画書などの事務的ドキュメントの変更は最小限とし、研究開発の本質的な作業に研究者のパワーを注力するのが得策である。米国の仕組みはそのようになっており、専門家であるPMに電子メールで連絡し変更の承認を得ればよい。予算の使途変更を含め、すべて簡素化している。一方、わが国では、変更は常にかなりの事務処理を伴い、予算に係わる場合はさらに説明が大変であり、研究者は多大の労力をそれに浪費する。
会計制度についてもミスマッチがある。研究開発費用のほとんどは箱物にかかる費用であり、人件費は十分に少ないという前提に立っている。したがって、国は直接費分しか支払わなくとも、受け側は十分メリットがあるという想定であろう。しかし、ソフトウェアの研究開発では、コンピュータが安価となった今日、費用のほとんどは人件費である。これでは体力の弱いソフトウェアハウスなどは、通常の方法では国の研究開発に参加することは困難であろう。
米国を見ると、各企業の会計規則をそのまま国のプロジェクトの会計に適用してよいことになっており、当然、人件費についても国は間接費分も負担してくれる。この違いはきわめて大きい。PM制度と有無と企業会計を認めるか否かの違いだけで、日米の研究開発競争の勝敗は明らかである。
米国は産業の建て直しを試み、情報産業を米国の産業の新しい柱と決めたころから、研究開発の仕組み、法・制度をソフトウェアや先端情報技術に適合するよう進化させてきた。わが国は、キャッチアップ戦略の成功がもたらした束の間の繁栄に酔いしれてか、仕組み、法・制度の改革を忘れてしまったようである。そしてその状態は今日まで続いている。
情報革命は、その第一段階が終わり、米国の情報産業は選別の時代に入り、株価も
一時のブームが去り、勝ち組、負け組も決まってきたようである。情報産業は、米国のプロパテント政策のシナリオ通りに、特許を中心とするIPRを商品とする技術貿易の時代に入りつつある。特許の範囲を拡大するなどして、多くのIPRやノウハウを抱え込んだ米国はきわめて有利な立場にあり、情報革命の先行者利益の蓄積を中長期の研究開発に投じ、再び、バイオやナノテクなどの新分野でのIPRの先行取得を狙っている。
このような時代の到来に対して、わが国は研究開発の仕組み、法・制度に関して、どのような対抗策を講じるべきであろうか。これが、今年度からの調査研究のテーマであった。
調査はまだ始まったばかりであり、明確な結論はまだ出てはいないものの、IPRを効率よく産み出すための仕組み、法・制度のポイントの一つは、上で述べたソフトウェア技術の研究開発において重要であったPM制度である。付加価値の高いIPRを発掘するためには、PMはその選別能力に磨きをかけ、研究対象となっている技術の将来の市場価値まで見通すことが求められる。
IPRというソフトウェアよりもさらに抽象的で形のないものをどのように取り扱えば、高い市場価値を持つようになるかを考え、それを仕組み、法・制度に反映させることも必要であろう。ソフトウェア同様、長く持ち続ければ陳腐化してしまう。売れないものは、どこかで公開してしまうほうがよい場合も多く、柔軟な扱いが必要である。
この問題は、わが国では国有財産の管理に係わる問題であり、ソフトウェア成果の扱いについても十分な法・制度改革に成功していないわが国にとっては、さらなる難問となることが予感される。
わが国が当面なすべきことは何であろうか。
まず第一は、会計制度をできるだけ企業会計に近いものへと変えて、無理な持ち出しなしで国の研究開発の参加できるようにすることであろう。産学連携のプロジェクトにおいても、従来、産業側は、この人件費の持ち出しがネックとなり、優秀な人材を出せなかったと聞いている。会計制度の改善は、産学連携を本来の姿とし、ポスドク研究者のポジション確保や企業の基礎研の再生を可能にすると思われる。このような仕組みを機能させることで人材を育成し、PMとなる人材や、教育の義務のない研究専門職の集団を大学に形成することができると考えられる。
これができれば、ファンディングする省庁は、PM制度を導入し、大学の研究専門職の集団に、中長期テーマの研究開発を行わせ、産業のシーズとなる技術の蓄積やIPRを産み出すことができることになる。
以上のような仕組み、法・制度は、米国ならずとも、フロントランナーとして研究開発を実施しようとする国は、必ず持たねばならないものである。わが国は、一度めは米国などが作り出した産業の技術シーズや商品をコピーし、性能と価格面で勝るものを製造して富を得たが、今度は、仕組み、法・制度のよい点をコピーするという制度面の、キャッチアップを目指さねばならない。それは、まさに真のフロントランナーとなるための道でもある。
そして、やり方はどうであれ、市場構造も変革し、中小、ベンチャー企業が多く産まれ成長するダイナミックな産業構造を作り上げねばならない。変化を止めることは追い越され、富を失うことである。米国では、「全ての大企業もかつては小企業であった」と言い、中小、ベンチャー企業の育成を支援している。わが国にもそのような考え方に立った仕組み、法・制度が必要な時代が到来したのであり、既得権にとらわれない国をあげての努力を開始すべきである。