3 ナショナルプロジェクトの成果としての
ソフトウェアのIPRをめぐる議論
本章では、ナショナルプロジェクトの成果として得られたソフトウェアを産業界に一層幅広く普及させていくと言う問題意識で、IPRの扱いに関する問題点の有無、その改善への方向、さらにIPRに関連するいくつかの話題について、有識者に対するヒアリング結果をまとめている。
3.1 ヒアリング項目
ヒアリングの項目は以下のようなものであり、これをヒアリング回答者に提示して話を伺った。回答者によっては、この項目の流れに沿って個別に議論が展開される場合もあれば、これらの項目を含んだ形でより全体的なあるいは包括的な議論が主になる場合もあった。
● ヒアリング項目
1.
関与されたプロジェクトは何でしょうか？
2.
成果としてのソフトウェアのIPR（ここでは特許権、著作権を示す）の契約上の扱い、それを定めるに際しての制約などはどうでしたでしょうか？
例）国が100%所有、受託者にも権利を認める、など
3.
IPRの契約上の規定がプロジェクト参画の促進/阻害要因になったでしょうか？
例）研究開発の前提にした既存ソフトの扱い、など
4.
プロジェクト遂行上、IPRの扱いが促進/阻害要因になったでしょうか？
例）受託者が分割所有/共有すること、など
5.
プロジェクトで生み出された主要なソフトウェア成果はいかがでしょうか？
6.
プロジェクト後にソフトウェア成果普及・企業化の何らかの対応策が取られたでしょうか？
7.
その際にIPRがどのように問題になったでしょうか？
例）分割所有/共有のため他社との調整の必要性が生じた、など
8.
成果ソフトの普及・企業化促進のためのIPR政策の望ましいあり方についてのご意見は？
9.
プロジェクト参画を容易にするためのIPR政策の在り方は？
10.
新しいビジネスモデルに対するIPR政策の対応法についてのお考えは？
従来の「開発成果に価格をつけて販売する」的なビジネスモデルだけではもはや不十分。デファクトスタンダードを目指す戦略や無償で成果を公開してしまうオープンソース方式などの新たなモデルにIPR政策はどのように対応すべきか。
3.2 ヒアリング回答者
ヒアリングに回答いただいた方々は以下のとおり13名である。
回答者A プロジェクトの委託組織の責任者
回答者B プロジェクトの委託組織の責任者
回答者C プロジェクトの委託組織の担当者
回答者D プロジェクトの委託組織の責任者
回答者E 元国研の研究者、現大学教授
回答者F 元国研の研究者、現大学教授
回答者G 元国研の研究者、現大学教授
回答者H 元メーカ研究者、現大学教授
回答者I メーカ研究者
回答者J メーカ研究者
回答者K メーカ知的財産権担当セクション責任者
回答者L ソフトウェアハウス役員
回答者M ベンチャー企業経営者
3.3 ヒアリング結果の概要
ヒアリング結果の概要を主要なポイントとして次表にまとめる。表中ではヒアリングの結果得られた論点を大まかに、
● IPRの扱いと成果普及：関与したプロジェクトでIPRがどのように扱われていたか、また成果普及に際してどのような問題があったか
● 国の制度：IPRに関連して問題と考えている国の制度
● オープンソース：新たな開発スタイルとして最近注目を集めているオープンソース形式はIPRに関して従来の国のプロジェクトなどとは異なる方針を採っているが、こうした新たな形式についての見解
● 国のプロジェクト：公的資金を使用して実施される国のプロジェクトとして目標にすべき技術分野の方向など
● 大学との連携：国のプロジェクトで良い成果を挙げるために大学との緊密な連携を図る必要があるが、大学が抱える課題について
の5つの観点から整理している。より詳細な内容については付録に収録してある議事録を参照されたい。
表3-1 ヒアリング結果の概要
3.4 ヒアリング結果の整理
ヒアリングの中で言及されている話題はIPRに止まらず、受託者の起業家意識、国のプロジェクトとしてあるべき方向性、社会文化的な背景など、国のプロジェクトの成果の事業化に何らかの形で関連する相当広い範囲の議論を含んでいる。本調査の中心的論点であるIPRをやや逸脱したとも言えるこれらの観点での議論も非常に興味深いものであるが、そうした分析は4.2節に譲ることにして、本節では一応IPRの扱いに焦点を当て、ヒアリング結果を大まかに整理する。
3.3節の表あるいはより詳細には議事録に示されるように回答者の意見は多様であり、また同一の回答者の回答の中ですら矛盾あるいは必ずしも整合していないと思われる見解も散見される。こうした点はそのままIPRの扱いを一様に論ずることの困難さを示していると考え、必ずしも回答者に矛盾を正すような方向での議論を求めていない。ここでは各回答者の論点の対立点あるいは重きを置いている点を際立たせることに主眼を置いており、些末な部分での多少の相違をネグレクトすることによって、回答者の見解は以下の6つの立場に整理できると考えられる。
回答者B、Cなどの見解がその代表である。成果の普及に際して現状のIPR制度に大きな問題は無い、あるいは少なくとも現時点で制度に関して困惑している事態には遭遇していないとする見方である。もちろん彼らも現時点で国の成果ソフトウェアの普及・事業化が十二分に進んでいると考えている訳ではないが、普及・事業化が進まないの理由の大きなものはむしろ受託側の事業化意欲の少なさや作られた成果そのものに魅力が少ないことであるとしている。すなわち、例えば事務手続きの煩雑さなどIPR制度が完璧では無いにせよ、その問題を具体的に強く指摘できる程に事業化の例がまだ多くは無いと言う認識を持っている。
この主張はプロジェクト委託側の回答者に多いが、プロジェクト委託側としては、より良い成果を生むためには研究開発にとって本質的でない作業（実態と乖離のある契約形態とそれから派生する意味のない開発作業、ドキュメント作成など）に多くの時間を費やさざるを得ない現状の改善の必要性や単年度会計などのプロジェクト運営上の問題の解決に向けての努力も必須であろう。
回答者E、F、Gが代表的主張を展開しているが、さらにはAの見解の一部にも同様の指摘が見られる。国のプロジェクトの成果は基本的には100%公開すべきであり、そうすることによって成果の普及を最も促進することができるとの主張である。この背後には、コピーが容易なソフトウェアは現在の囲い込み的IPR制度と矛盾なく同居することは不可能であること、ソフトウェアの普及のためにはFree
Software Foundation的発想が重要であること、またそもそも国は基礎研究的な分野にのみ力を注ぐべきであることなどの認識が見られる。
この主張は現行の国有財産法などの諸制度やそれに基づいて資産の管理を行う国あるいは国の代行機関の業務と本質的に相容れない側面を持っている（机のような物品と研究開発成果を同列に扱うことは誤り、研究開発成果を紙の量に換算することは研究者の高い意欲を阻害する、研究開発成果の検収を技術を理解しない人間が実施することは誤り、などの主張）。さらに国のプロジェクトの契約形態にしても委託や請負に替わる別の形式を設定して研究開発に適したより自由な形式の確立が必要であるとしており、その際に契約上のしばりを少なくすることによって生じ得る契約不履行者の存在も必要悪として認めた制度の検討が必要と考えている。米国の調達型研究（形式的には調達であるが、実態として研究を行う。受託者は細かな規制や規則に縛られずに研究を実施できると言う）のように日本には存在しない研究開発契約制度の重要性を指摘する意見もある。
長引く不況の中で国（特に通産省）の予算が企業経営に寄与している比率が高まっている現状では、やや理想論に近いと感じられるこの主張には、もう一つ疑問がある。それは、実態として情報分野の基本的な部分は米国の製品や技術に圧倒されている状況があり、日本が実施すべき基礎研究の分野として成算が見えるのは何かと言う点である。この選択を誤ると、見返りの期待できない投資を続けることになりかねず、後述するように将来を見越した適正な研究開発ポートフォリオの確立が合わせて論じられなければならない。
回答者I、Jに顕著に見られる論調だが、さらにD、H、Lにも同様な傾向があるかも知れない。国のプロジェクトに関連してIPRの扱いにはいくつか課題があるが、特に大きなものは既に受託者が事前に所有しているノウハウやソフトウェアと国の成果の切り分けの問題であると考えている。形式論としては、それらの既存技術は事前に届け出ることによってその権利を守ることができることになってはいるものの、特にソフトウェアの場合は既存部分と新規部分の切り分けが困難であること、既存部分と言ってもそのまま使える訳では無く何らかの形で手を入れることが必要、それにも関わらず既存技術とすると費用が削減されること、などの問題があって手続きどおりに既存部分を切り離すことが難しいとしている。さらに、企業の既存技術の権利擁護のために敢えて既に実績のある技術者をメンバーから外したプロジェクト体制とすることもあり、実績があるが故に最適な体制を作れないと言うパラドックスも生まれる。また、仮に既存部分として開発を進めた場合には、その部分の権利は企業に属するためそれを除いた最終的な納品物件はそれ自身ではまとまった意味を持たない中途半端なものにならざるを得ず、仮に第三者がプロジェクト成果の利活用を企てても成功する筈が無いことも指摘している。
こうしたことの原因の一端に国のプロジェクトが企業の製品開発に近すぎる分野を設定していることがあり、国は企業活動から離れたところにその研究開発分野を設定すべぞと主張している。インフラ整備や新技術に関する社会的実験、ニーズ顕在化のための社会的プロジェクトなどが研究分野の具体例の一つである。
情報技術がネットワークを通じて想像を超える影響力を�><ﾂことを考えると、こうした主張には説得力が感じられる。しかし同時に、研究開発や商品化が世界的な規模で極めて短期間のうちに浸透する事実を目の当たりにすると、このようなプロジェクト遂行には多くの点で強いダイナミズムが要求されている点にも留意しなければならない。
回答者KやさらにはHの一部意見もそうであるように見える。国の費用を使う研究開発とは言え、実際にアイディアを出して研究開発を行うのは受託側企業である。したがって、彼らにその権利が行かないのは極めて不自然であり、最低限権利は共有することにならないとプロジェクトに参画できないと主張ｑｽﾄいる。現行の国のプロジェクトでは国有財産法などの法律的規制があるため、契約書上に「権利を共有する」とは記述されずに覚書きなどの補足的文書や運用でカバーされることが多い印象があるが、回答者Kはそれは十分な対応では無く、契約書上に明記されなければならないとしている。実際、この回答者が属する企業は、この理由からか国のプロジpaクトへの参画に熱心とは見えないが、高い技術力を持ち独自のコンセプトの商品開発やマーケティングで名高い。
前述したように、最近の基本的な流れとしては権利は委託側・受託側で実質的には共有するようになってきてＺl閨Aその意味ではこの主張の根拠はやや薄れている印象もある。しかし、この主張の背後には、研究開発そのものは受託側のコントロールの下で実施されるべきであること、各種事務手続きは研究開発の進行を第一に考えて簡素化されるべきことなどのプロジェクト運営方法に関する主張もあり、その意味では残念ながら現行の制度の残された課題は大きｂ
国のプロジェクトの成果は企業の活動とは直接結びつかないとの見解で、回答者Lに代表的な意見が見られるがJ、Hの指摘の中修も類似した意見がある。彼らは国のプロジェクトの成果を元に普及発展させていく意志を必ずしも持たない、あるいは持てないと考えている。この意見に従うとIPRは大きな意味を持たず、したがってIPRに関して議論することも基本的に意義が少ないと言うことになる。
この主張の論拠にはいくつかのパターンがある。第一は、成果を普及させて行こうにもその市場が見えないと言うものである。ソフトウェア成果を生かして事業化する際に最も自然な形はパッケージソフトの形で製品化することである。しかしながら、日本のパッケージソフトウェアの市場は欧米のそれに比較すると相対的に低調・未発達であるため、プロトタイプのソフトウェアを敢えて製品として完成させるための努力やリスクを冒す意欲を持てないと考えている。第二のパターンは、そもそも国のプロジェクトでは自社内で抱えているテーマのうち事業化と言う観点では可能性が相当低いものを対象にしており、したがって当初から事業化の意欲を持っていないと言う考えである。この場合、事業化の可能性が見えているテーマは自社内の予算で実施しているが、それは権利関係を複雑にしないためとか、自らの全面的なコントロールの基で研究開発を実施できるからなどの理由によるものと思われる。第三のパターンは、基礎的な研究開発ではテーマの将来性を判断することが難しく、したがって、事業性を考えても成功しないことが多いと言うものである。例えば回答者Jは過去に国のプロジェクトとして行ったジョセフソンジャンクションやガリウムひ素メモリの研究が結果として産業的には方向違いだったことなどを挙げて、基礎研究の成果を事業化することの難しさを指摘している。
いずれの論拠であれ、この考えに従うと成果のIPRには企業は関心を持たず（持てず）、国から請け負った仕事の範囲内で一定の金銭的利益や技術者の教育的効果、対外発表の機会などを得ることができれば事業目的は達成でき、それでプロジェクトは完結したものと言うことになる。この主張に賛同する声は少なからずあるとの印象があるが、成果普及に関して積極性に欠けるこの層の存在は大きな問題である。前述したように原因は種々あり、例えば二番目のパターンの論者は景気の動向に極めて敏感であり、現時点ではむしろ国のプロジェクトの成果普及と自らの事業の関係を密接なものとして考えている。一番目と三番目は問題の根がより深い。こうした層への対策は研究開発における技術的観点、産業構造的観点などから総合的に考えていかなくてはならないであろう。
f.
脱IPR派
ベンチャー企業経営者の回答者Mが代表的な意見を述べている。IPRは成果普及のために一つの要素ではあるものの、現時点での最重要課題では無いと考えている。ベンチャーにとって最大の問題は顧客を確保することであるとした上で、自らが開発した技術に関する需要家とのマッチングの場を設けることが本質的な課題であり、そういう意味での支援の必要性を訴えている。こうした観点からは例えば通常国のプロジェクト終了後に開催される成果報告会などはその意義が皆無ではないものの、ほとんどの出席者が同業者と言う状況ではビジネスチャンスに繋がることは期待薄と考えざるを得ず、より広範な層を巻き込んでの実質的な商談の場への変貌が必要と考えている。
多少敷延すると、日本のベンチャー企業の多くは流通サービスを領域としており、先端技術型ベンチャーはごく少ないが、これを育てるためには官の支援マインドおよび大企業の購買マインドの2つの点で変革が必要との主張がある（早稲田大学
松田修一教授）。すなわち、一定の研究成果が出てから最終顧客に製品が認知されるまでの川下分野ではマーケティングや販売チャネルの開拓、資金調達や全体ビジネスモデルの構築などに多大の時間と費用がかかるが、この点についての官の支援マインドが低すぎる。また、先端技術型ベンチャーがもっとも期待する支援は製品が売れるようにバックアップしてもらうことであるが、日本では大企業がベンチャーに実質的に門戸を開いているとは言えず、もちろん政府調達も高い期待を持てない現状から、製品販売の機会を得ることに悲観的にならざるを得ないと言う現状がある。
このような販売機会の増大、チャネルの確保の問題が喫緊の課題であり、それに比較するとIPRの問題は二の次、言い換えるとまだ問題がそこまで達していないと言うのが回答者Mの見解である。
以上、ヒアリング結果を6つの立場に代表させて整理した。もちろんこれらの立場は必ずしも対立するものとは言えない。現時点での回答者の論点のポイントを明確にすることが上の分類の目的であり、回答者の意見の本質的な分析を目指してはいない。実際、成果全面公開派の見解の背後にある考え方はある意味では国・企業独立路線推進派に共通するし、現状肯定派の論点のある部分は企業優先使用派のそれと一脈通ずる印象さえもある。さらには脱IPR派と成果普及懐疑派でもある種の理解を共有していると考えることも可能である。逆にこうした錯綜した状況がIPR問題の込み入った事情を反映していると考えるべきであろう。