情報科学を学ぶ

上田和紀 (早稲田大学理工学部助教授)

1994年5月


コンピュータや情報の分野は、技術面でもビジネス面でも発展と展開がめまぐるしい。ちょっと書店をのぞいても、他分野の棚を次々と侵食する勢いである。

専門家でない「普通の」人々が、その速さと勢いに恐れをなすのは、ごく当然のことであろう。情報分野を専門とする学生や社会人や教師でさえ、この発展と混沌の波を全部追いかけるのはとても不可能である。それどころか、基礎と信念をしっかり持たないと、波に呑みこまれ、溺れてしまうことはきわめて容易である。

では、このような分野を学んでゆくにはどうすればよいのであろうか?

最近思うのは、この分野の動きは、川の流れのようなものではないかということである。外から見える、水面に近いところでは流れは速いが、すべてがそのスピードで流れているわけでは決してない。実際、川底に近いところ、つまり情報科学の根幹をなす部分の流れは、驚くほど遅いのである。

私の専門としているのは、情報科学の中の、プログラミング言語の分野である。プログラミング言語とは、人間の意思をコンピュータに伝えるための言葉である。が、これは単に技術的な存在であるだけでなく、日本語や英語などの自然言語と同様、コミュニティを形成し、文化を背負うという側面を持っている。このため、星の数ほどものプログラミング言語が生まれては消えてゆく中、30年以上も前に作られた古いプログラミング言語もいまだ健在であり、進化を続けている。きわめて息の長い研究・普及活動が必要となる。

ハードウェアに目を転じると、性能面の進展はきわめて急速だが、そのアーキテクチャ、つまり基本設計の進展はそんなに速くない。それどころか、今後しだいに遅くなってゆくと思われる。それは、マイクロプロセッサ技術が巨大技術化しつつあることによる。

パソコンの心臓部であるマイクロプロセッサは、考え方自体はそれほどむずかしいものではない。我が理工学部情報学科でも、3年生の実験でマイクロプロセッサの設計製作を行なっている。しかし、最先端のマイクロプロセッサとなると事情は別である。社運をかけ、巨費を投じなければ作れなくなってきている。いや、一社がその社運をかけるだけでは駄目で、製品の生き残りのためには、いくつもの主要企業を巻き込んでゆかねばならない。物理的な大きさは異なるが、新型のマイクロプロセッサを一つ設計するのは、新型の航空機を設計するのと比肩しうる、あるいはそれ以上の大事業と考えてゆかねばならないであろう。

このような状況で、大学での学習や研究にとって重要なのは、足を川底にしっかりとつけ、世の中の表面的な動きに振り回されることなく本質を見抜く力であり、きわめて複雑な対象を体系的に捉えたり設計したりする力である。そして、そのような力の獲得を助けるために、底流の部分で、基本に立ち返っての概念整理をすすめるのが大学人の役目であろう。情報科学という若い学問が優秀な学生を引きつけ、また数学や物理学などに対するのと同じような学問的尊敬を集めるには、そのような地道な努力の積み重ねが不可欠である。

私は昨年4月に初めて教職につくこととなった。その4月早々、新入生諸君に、この分野の勉強の心構えを述べる機会があって、以上のような話をしたのであるが、読者諸氏にもご参考になることがあればと思い、ここに披露させていただくことにした。


(早稲田学報、1994年5月号、早稲田大学校友会、pp.11-12 所収)